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第十一話 血の涙が語るもの

トンネルの奥深く、濃密な霧が静かに、そしてゆっくりと立ちこめていく。


その、まるで生きているかのような霧の向こうから、あの時と同じ──

クリーム色のトレンチコートを纏った女性の姿──詩織さんの霊が、ぼんやりと淡く浮かび上がってきた。


彼女の周囲からは、鉄錆と、そして微かに、けれど確実に──

生々しい血の匂いが漂ってくるような気がした。


「先輩。大丈夫、私が必ずお守りしますので……

どうか、彼女の側へ行って、その心に触れてあげてください」


隣に立つ美琴の声が、静かに、けれど力強く僕の背中を押す。


彼女の瞳は、もう深紅の霊眼の色を宿してはいなかったけれど、

その言葉には、絶対的な信頼と覚悟が込められていた。


「う、うん……分かった、美琴」


ごくり、と乾いた喉が鳴る。


早鐘を打つ心臓の音を感じながら、僕は一歩……また一歩と、

ゆっくりと、詩織さんの霊へと足を踏み出した。


気づけば、彼女の、そのあまりにも儚げな霊体が、もう僕のすぐ目の前にいた。


「あ、あの……詩織、さん……!」


震える声を必死に振り絞って、僕は彼女へと話しかける。


すると──


今までずっと顔を覆っていた彼女の両手が、まるで糸が切れたかのように、すーっと静かに離れ、

だらりと力なく下がる。


そこに現れたのは──光を失い、どこまでも黒く濁りきった瞳。


その瞳が、感情の読めないまま、まっすぐに僕の顔を覗き込んできた。


近い……そして、怖い。


本能的な恐怖で、背中にぞわりと冷たい悪寒が走る。


次の瞬間──


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」


凄まじい、鼓膜を突き破るような金切り声が、

詩織さんの、その小さな口から絞り出された。


トンネル内の空気が、一瞬にしてガラスのように張り詰め、

暗闇そのものを切り裂くかのような絶叫が、空間全体に響き渡る。


耳をつんざく、あまりにも悲痛なその悲鳴が、冷たいコンクリートの壁に何度も何度も反響し──

何重にも、何十重にも膨れ上がって、僕の脳髄を直接貫いた。


まるで氷のような冷たい空気が、無理やり僕の肺へと流れ込み、

湿ったトンネルの床の、あの不快な感触が、足の裏までじっとりと染みてくる。


「っ……うぐ……っ!」


僕は、思わず両手で強く耳を塞ぐ。


だがそれでも、あの絶叫の凄まじい振動が、僕の頭蓋骨を直接揺さぶり、全身を恐怖で強張らせた。


足が、まるで地面に縫い付けられてしまったかのように、一歩も動かせない。


目の前で、詩織さんの、その黒く濁った瞳から、ぽたり、ぽたりと──

赤黒い血の涙が、彼女の白い頬を伝い、あのクリーム色のコートへと、無数の筋を刻みながら、

そして、冷たいコンクリートの床へと、次々と落ちていく。


その赤黒い滴が、床に広がり、まるで呪いの紋様のように──

暗闇の中に、不気味な模様を描いていく。


頭の奥深くで、キーン……という、甲高い耳鳴りが鳴り止まない。


視界が、まるで古いテレビの砂嵐のように、チカチカと激しく点滅し、

足元の感覚が、ふっと、どこか遠いものへと変わっていった。


そして。


僕の視界が、次の瞬間──

まるで深海に沈んでいくかのように、どこまでも深く、そして冷たい、青白い光に完全に染まった。


全身が、ふわりと宙に浮くような、奇妙な浮遊感が広がり、

地面の硬い感触が、完全に消える。


現実と、そして過去との境界線が、まるで水彩絵の具のように溶け合い、

目の前の全てが、曖昧に、そして急速にぼやけていく…。


──次の瞬間。


僕は、確かに。

彼女の記憶の奔流の中に流されていた。





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