ナイフの刃が、ゆっくりと傾いた。
微かな光を反射し、鈍く輝く。
その瞬間——。
『——動くなよ』
黒崎が低く唸り、次の刹那——
「ダンッ!!」
爆発的な勢いで床を蹴る音が、石津製鉄所の静寂を切り裂いた。
視界の端で、彼の影が跳ねるように消え——
「——シュッ!!」
目の前を、鈍い銀色の閃光が走る。
刃が空気を裂き、鋭い音が遅れて耳に届いた。
「っ……!!」
「幽護ノ帳!!」
美琴の声とともに、紅い結界が瞬時に展開される。
「バチィッ!!」
黒崎のナイフが見えない壁に叩きつけられ、火花を散らして弾かれた。
反動で黒崎の体が数歩、後方へ跳ね飛ばされる。
『……は?』
黒崎の口から、低い声が漏れた。
ナイフを握る手が、わずかに痙攣している。
『……なんだ……今の……?』
刃先を見つめる。
指先でナイフを軽く回転させながら、ゆっくりと視線を上げると——
『……はぁぁ?』
次の瞬間、黒崎の顔が歪んだ。
『……なんだよ、今の!! ふざけんな!!』
苛立ちが滲み出る声。
牙を剥く獣のように、ナイフの柄を強く握りしめた。
『お前、今何しやがった!?』
美琴を睨みつける。
「先輩! 絶対にこの人の刃物に触れないでください!!」
「……っ!?」
突然の警告に、僕は息を呑んだ。
「この人の周りには……殺された人の怨念が漂っています!!」
「……!!」
「それが、このナイフを”霊の武器”として成り立たせています!つまり…この霊は物理的干渉が可能です!」
「つまり……僕も食らったら、普通に死ぬってことか……!!」
手にじっとりと汗が滲む。
指先が微かに震えた。
今までの幽霊とは違う。
黒崎は明確に「殺す手段」を持っている。
──
「っ……!」
黒崎が、今度は僕に向かって跳躍した。
「ダンッ!!」
鋭い足音が響き、同時に——
——シュバッ!!
ナイフが横薙ぎに閃く。
「っ……!!」
僕は反射的に後ろへ仰け反った。
刃先が鼻先をかすめ、冷たい感触が一瞬だけ肌を撫でる。
『遅ぇよ。』
——ヒュン!!
背後で風を切る音が鳴った。
「っ!!」
僕は本能的に身を翻す。
足元が滑りそうになりながら、必死に体を捻った。
——ザシュッ!!
「っ……!!」
一瞬遅れた。
服の袖が裂け、腕に鋭い痛みが走る。
「ぐっ……!」
見ると、腕に浅い切り傷。
血が滲み、じわりと服に染みていく。
『おいおい、もっと逃げろよ。』
背後から、ねっとりとした声が絡みついてくる。
黒崎の気配が、まるで影のように僕にまとわりついて離れない。
——やばい。
僕の動きに、完全に追従してくる。
それに、ナイフを振るう動きに一切の迷いがなかった。
額に嫌な汗が滲む。
心臓が早鐘を打つ音が、耳の中で響き渡った。
「くそっ……!!」
黒崎がニヤリと笑う。
『お前は“普通の人間”だよなぁ?』
『ならさ……どうやって”死ぬ”のか、試してみるか?』
——ヒュン!!
次の刹那、黒崎のナイフが、僕の首筋に向かって振り下ろされた。
刃が空気を切り裂き、死の匂いを運んでくる。
「先輩!!!」
美琴の叫びが、石津製鉄所に響き渡る——。