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第一章 三話「帰宅する好奇心」

 ルークがエイネシアの弟子となって、三ヶ月が過ぎた。


 ――とはいえ、この三ヶ月で「修行らしい修行」は一度もしていない。


 彼がこなしてきたのは、もっぱら家事と雑用だ。買い出しに薪割り、食事の準備や洗濯など、生活に必要なことは一通り。まるで家政夫のような日々を過ごしている。


 それでもエイネシアは髪を切りに連れていってくれたり、服を新調してくれたり、個室を与えてくれて、ふかふかのベッドで寝かせてくれるのだから、文句はない。


 エイネシアの家は、ルークが助けられた森とは正反対の方向にある、別の森の一角に建っている。


 周囲の土地を丸ごと国から買い取り、木を伐採して庭にしているらしく、広くて日当たりも良く、すぐ近くには川も流れていて、住み心地も良い。


 恵まれた生活に不満はない。だがルークは、早く強くなってエイネシアに恩返しをしたいという気持ちが日々募っていた。


 森に入るのは危険だと判断し控えていたが、そのぶん、基礎体力の強化には余念がなかった。


 腕立て伏せ、スクワット、軽いランニング。まずは体作りだと割り切り、地道に続けた。


 時にはエイネシアに内緒で、予備の剣を借りて素振りをすることも。


 やがてルークは、より本格的な鍛錬がしたいと思うようになり、たまに貰える小遣いを使って木材を購入。


 自作の木剣を作ったり、体術や剣術の教本を買い漁ったりして、知識と技の両面を磨き始めた。


 エイネシアは依頼で外出していることが多く、帰宅は二〜三日に一度程度。


 ルークが修行に時間を割くのはそう難しいことではなかった。


 独学ではあるものの、積み重ねた努力の成果はしっかりと現れ、森で助けられた頃とは比べものにならないほど、彼の動きは洗練されてきていた。


「たっだいま~! お腹ペコペコだぞ~!」


 三日ぶりにエイネシアが帰宅した日。玄関の扉を勢いよく開け、いつもどおりのテンションで声を上げる。


 事前に手紙をもらっていたため、ルークは既に食事の準備を整えていた。


 きちんと料理がテーブルに並べられているのは、修行に力を入れていても手を抜かない彼の几帳面な性格ゆえだ。


「ん? エイネシアさん、どうしました?」


 いつもなら着替えてすぐに席に着くはずのエイネシアが、珍しく玄関先で立ち止まったまま、ルークをじっと見つめている。


 その視線がしばらく続いたかと思うと、彼女は無言のままルークの手を引いて外に連れ出した。


 戸惑うルークをよそに、エイネシアは距離をとってから一本の木剣を放り投げる。


「ルーク、構えな」


「……へ?」


 訳が分からず、ポカンとした表情のルーク。


 だが、次の瞬間。エイネシアの目つきが鋭く変わり、彼との間合いを一気に詰めてきた。


 ルークは慌てて木剣を構え直す。と同時に――エイネシアの一撃が、彼の剣に叩き込まれた。


 ガッ!


 鈍い衝撃音と共に、ルークの足が地面を削り、5メートルほど後方へと滑っていく。


「おおっ、吹き飛ばされずに耐えた! 結構手加減したけど、予想以上だよ!」


「いきなり何するんですかッ!」


 興奮気味に感心するエイネシアとは対照的に、突然の一撃に襲われたルークはブチギレ寸前だ。


 その怒りはもっともなのだが、エイネシアは悪びれるどころか、ニヤニヤと笑みを浮かべている。


「なんですか、その顔!」


「いや~、薄々気づいてたんだけどね。最近、筋肉の付き方がちょっと早いから、なんか自主トレしてんだろうな~って思って。試したくなっちゃったんだよね」


 ケラケラと笑う彼女に、ルークは眉間にシワを寄せて睨みつける。


「その“試す”ってレベルじゃないでしょ!? 見てくださいよ、この木剣! 普通、真っ二つになるような力で振りますか!? 下手したら死んでましたよ!? っていうか、エイネシアさんの方の剣、原型ないじゃないですか!」


 ルークが突き出した木剣は、真っ二つに折れている。


 一方、エイネシアの木剣は……粉々だった。


 さすがに弁解の余地もなく、エイネシアは頬を指で掻きながら、気まずそうに笑う。


「ご、ごめん……ね?」


「……はぁ。もういいです。ご飯にしましょう……」


 ルークは大きくため息をつき、家の中へ戻っていく。エイネシアもそれに続き、席についた。


 念のため、ルークは料理をもう一度温めてテーブルに並べ直す。


 今夜の夕飯は、野菜たっぷりのスープにチーズを乗せたパン。そしてジャガイモと人参、玉ねぎを使ったサラダ。


 優しい香りにエイネシアは鼻をクンクンさせてから、満足そうに微笑んだ。二人は手を合わせて、声をそろえる。


「「いただきます」」


 ご飯を食べるときのエイネシアは、本当に幸せそうな顔をする。


 ルークはそんな彼女の表情を見ながら、「こんな顔をする人が危険な魔物と戦ってるなんて、全然想像できないよなぁ……」と思うのだった。


「ん~! このスープ、美味しっ! 幸せ~!」


 エイネシアは子どものような笑顔で、嬉しそうにスープをすくう。


 そんな姿を見るのが嬉しくて、ルークはいつも料理に手を抜かない。


 聞けば、エイネシアはルークと出会う前は外食ばかりだったそうだ。


 初めてルークの手料理を食べたときは、目を丸くして驚いていたが、今ではすっかり虜である。


 ルークの祖父は、かつて料理人だった。その影響で、小さい頃からルークは祖父に料理を教わっており、今では得意分野の一つになっている。


 食後、二人は食器を片付け、紅茶を淹れて、ゆっくりと一息ついた。

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