「そういやルーク、独学でどんなことしてるんだい?」
「え? 基本は筋トレとランニング、あとは素振りですかね。体術は本を読んで、型を真似してみたり……って感じです」
エイネシアはそれを聞いて、特に驚くこともなく、「へぇ、そうなんだ」とだけ呟いた。
そのあっさりした反応に、ルークは前々から抱いていた疑問をぶつけた。
「だって、エイネシアさん、僕を弟子にしたって言ったのに、まともな修行らしい修行、何にもしてくれてないじゃないですか。僕は早く強くなりたいのに……教えてもらえないなら、自分でやるしかないですよ」
紅茶を静かにひと口飲み、ルークの言葉を聞き終えると、エイネシアはようやく口を開いた。
「別に、修行させてないわけじゃないよ。具体的に言ってなかっただけ。……ただね、僕がルークにやらせたい修行って、今の身体じゃたぶん耐えられないと思ったからさ。だからまずは、体をしっかり作るために、家事とかやってもらってたんだよ」
「……へ?」
ルークには、エイネシアの言葉がまったく理解できなかった。
家事はあくまで日常の雑務。体を鍛えることとは無縁のはずだ。
疑問が膨らむままに、ルークは首を傾げながら尋ねる。
「あの……家事と身体作りって、何か関係あるんですか? 正直、僕には全然ピンと来ないんですけど」
エイネシアはまた紅茶をひと口飲み、ふーっと息を吐いたあと、小さく微笑んでから、紅茶のカップを少し持ち上げてルークに問いかけた。
「ねえルーク、今、僕が何してるか分かる?」
「……カップを持ち上げてます」
「うん、そう。カップを持ち上げてるだけ。でもね、武術や剣術だって、突き詰めればこれと同じなんだよ」
当然、ルークの頭の中は疑問と困惑でいっぱいだった。
その様子を見て、エイネシアはクスッと笑って続ける。
「いい? このカップを“武器”だと考えてみて。武器を扱うには、三つの要素が必要なんだ。まず“武器本体”、次にそれを使う“知識”、そして最後に“それを扱えるだけの力”。僕のこの動作で例えるなら、カップが武器、持ち上げるという行動が知識、そして腕の力がそれに必要なパワーってわけ」
そこまで聞いて、ようやくルークも少しは理解できたのか、こくりと頷く。
「よし、ここからが本題だ。武器や知識ってのは、なくてもある程度ごまかしは効く。でも、基礎的な“力”だけは、絶対にごまかしがきかない。特に、魔力の補助が使えない君の場合はね。……ただし、筋トレで得た筋力って、実戦じゃ意外と使えないことが多いんだ」
「え……?」
「見た目がムキムキだからって、力が強いわけじゃないんだよ。実戦で必要なのは、柔軟性と反応力も備えた筋力。だから僕は、日常生活の中で“自然と”身につけてもらうようにしてたのさ。君は気づいてた? この家にあるもの、全部、僕の魔法で日を追うごとに少しずつ重くなっていってたってことに」
「なっ……!」
ルークは目を見開いた。自分がただの日課と思ってこなしてきた家事は、エイネシアの仕掛けた“修行”だった。本人の知らぬ間に、確かに鍛えられていたという事実に、驚きを隠せない。
だが、信じきれないルークの思考を見透かしたように、エイネシアはニヤリと笑い、残っていた紅茶を一気に飲み干すと、カップをぽんっと床に落とした。
次の瞬間――
バキィッ!
という凄まじい音と共に、カップは床板を突き破ってめり込んだ。目の前の光景に、ルークの脳が直感的に理解する。
本当に、家の全てのものが“重く”なっていたのだ――と。
「どう? ちょっとは信じた?」
にっこりと笑いながら、エイネシアは手を横に振る。すると、ふわっとした風のような魔力が部屋を包み、家全体にかかっていた魔法が解除される。
エイネシアは床からカップを拾い上げ、ルークに差し出した。
「はい、どうぞ。これが“本来の重さ”だよ」
ルークは恐る恐るカップを受け取り、その軽さに思わず言葉を失った。
「……っ、軽い……」
「でしょ? さっきまで何キロもあったのが、今じゃ数グラム。感覚の差、凄いでしょ。筋トレで得られる筋肉と、生活や戦闘の中で身につく筋肉って、質も柔軟性も違うのさ。筋トレが悪いわけじゃないよ? でもね、自然と身につけた筋力の方が、戦闘ではよっぽど使えるんだよ」
ルークはしばらくその軽さに呆然としつつも、少しずつ、自分の体の変化を思い返していく。
たしかに、最近は以前より重たい荷物も軽々と持てるようになっていた――。
エイネシアは、ふーっとひと息つきながら、ちょっと悩むような表情を浮かべて、すぐに笑顔で告げた。
「よし、決めた! もうそろそろステップアップしても大丈夫そうだし、明日からは“実戦経験”を積んでいこうか!」
「……実戦、ですか?」
一瞬、期待に胸が膨らんだルークだったが、“実戦”という言葉が意味するものを考えた瞬間、その顔は不安へと変わっていった――。