学園長のヴェルディは、ゆっくりと本を閉じた。
静かに首を傾けたまま、こちらを見ている。
「……何か用かな、諸君?」
ルークが一歩前に出て頭を下げた。
「突然すみません。学園長。お時間、少しだけいただけませんか」
ララとガイもそれに倣って頭を下げる。
ヴェルディは目を細め、三人を順に見渡した。
「顔は覚えているよ。……ルーク君、だったね」
「はい」
「かまわんよ。ただ、ここは話には向かない。私の執務室へ来なさい」
◆
案内されたのは、大図書館を出て渡り廊下を抜けた先にある学園長室だった。
広々とした空間に、重厚な本棚と緻密な魔術陣が描かれた机。
壁には歴代の学園長の肖像画が飾られており、荘厳な雰囲気が漂っている。
ヴェルディは椅子に腰を下ろし、三人にも着席を促した。
「それで……話というのは?」
ララが口火を切る。
「実は、友人が魔素を取り込んだことで暴走して、今は昏睡状態に陥っていて……浄化魔法も効かず、今は学園付属の治療所で隔離されています」
ヴェルディの表情がわずかに曇る。
「原因は、術式か何かかね?」
「おそらく、特殊な丸薬を服用したことが要因です。それを使ったことで、魔素が取り込まれたようで……」
ララがそこで言葉を切り、ルークが続きを引き取る。
「彼女を救う手段を探していて……ララの記憶にあった、“魔素を意図的に集めて魔物を強化・進化させる術式”の断片をもとに、反転応用できないかと調査していました」
「ふむ……それで大図書館を?」
「はい。三日間探しましたが、それらしい記述は見つからなくて。ヴェルディ学園長なら何か知っているのではないかと」
一瞬、沈黙が落ちた。
ヴェルディは椅子の背に体を預け、長く目を閉じた。
記憶を探るように、静かに思考を巡らせている。
「……残念じゃが、そのような術式について、わしは知らんのお」
その一言に、ガイの肩が落ちる。ララも手を膝の上で握りしめ、黙り込んだ。
ルークもまた、俯きかけたそのとき。
「だが――」
ヴェルディの声が、再び空気を引き締めた。
「“魔素”ではなく、“マナ”を拡散させる術式なら、心当たりがある」
ルークが顔を上げた。
ヴェルディはまっすぐにルークを見つめている。
「君なら、ある程度の記憶があるのではないかと思ってね」
「……え?」
ルークは戸惑いの表情を浮かべる。
「君の師、エイネシアが数年前に私を訪ねてきた。彼女は“マナの流れを制御し、強制的に遮断・分散する”装置の製作について相談してきたのだ」
「……!」
ルークの胸に、過去の記憶がよみがえる。
師匠のエイネシアが持っていた、あの“特殊”なアイテム。
「完成したアイテムは《アンチマナブロック》と名付けられた。マナを拡散し、一時的に魔術的干渉を遮断する特殊なアイテムだ。……覚えているかね?」
ルークの瞳が、わずかに揺れる。
その名を聞いたとき、胸の奥で何かが静かに弾けた気がした。
かつてエイネシアが「ルークに必要なものだ」と言って渡してきた、小さなアイテム。当時はそのアイテムの”異質さ”に驚きつつも、確かな成長を与えてくれた。
記憶の断片が繋がる。呼吸が深くなり、冷えかけていた頭に熱が戻る感覚。
ルークは心の中で静かに言葉を繰り返していた。
(やれる……これなら、希望はある)
思い出した。修行時代、最初の修行の一つに使われたアイテム。それが《アンチマナブロック》だった。
あれは、確かに、意図的に“流れ”を操作するアイテムだった。
今なら分かる――、なにをどうすればいいのか。
「……ありがとうございます、学園長」
ルークは立ち上がり、頭を下げた。
「行こう、ララ、ガイ」
二人は顔を見合わせ、頷く。
三人は足早に部屋を後にした。
残されたヴェルディは、どこか懐かしげに微笑んだ。
「エイネシアよ……お主の弟子は、師匠似でなかなか面白い子じゃのお」