日は傾き、空に朱が差し始めていた頃。
ルークたちは、大図書館を後にして学園の外れ――かつて魔術の実戦訓練に使われていた演習場へと向かっていた。
朽ちかけた木製の観覧席と、雑草に覆われた土の地面。かつて栄えたはずのその場所には、今や静寂しかない。
「なあルーク、ここに来たってことは……何か思いついたのか?」
ガイが少し息を切らせて尋ねた。ララも首を傾げる。
「学園長に、何かヒントをもらったんでしょう?」
ルークは頷くと、上着の内側――胸元の内ポケットに手を入れた。
「……これだよ」
そう言って、彼は懐から小さな黒い物体を取り出した。
拳ほどの大きさの正八面体。まるで光を吸い込むような漆黒のアイテム。その表面には、極めて細かい文様が幾何学的に刻まれていた。
「うわ……何それ、めちゃくちゃ不穏な見た目してるな……」
ガイが一歩引くようにして言った。
「これが、師匠が作ったアイテム――《アンチマナブロック》だよ」
ルークの掌の上で、それは沈黙のような重みを持って存在していた。
魔力を感じさせない。けれど、確かに“何か”を内に秘めている異質な物体。
「ルーク、それ……どうやって使うの?」
ララが慎重な声音で尋ねる。
「これは魔力の扱いを上達させるのに使うんだけど、試してみたほうがわかるかな」
ルークは、彼女にアンチマナブロックを差し出す。
「ララの感覚なら分かるかもしれない」
「えっ、私が?」
驚きつつも、ララは受け取り手に持つ。
「身体強化のときみたいに、それをマナでそっと覆ってみて」
「……分かった」
ララは両手でアンチマナブロックを包み込み、静かに目を閉じる。
マナを静かに集め、両手のひらからアンチマナブロックへ向かって、薄く、慎重に――
次の瞬間。
「……えっ!?」
ララの両手の間で、マナが霧のように弾け飛んだ。
まるで何かに拒絶されるように、流れは寸断され、四散して消えていく。
「は!? なんだよ、今の!?」
ガイは驚きに声を上げる。
「い、今の……私、マナで包もうとしただけなのに……」
ララは両手を見つめ、戸惑いの声を漏らした。
「それが、このアイテムの性質なんだ」
ルークが静かに口を開く。
「マナが近づくだけで拡散させてしまう……それが《アンチマナブロック》の性質。もしこれを応用できれば、“魔素”も……拡散させて無力化できるかもしれない」
「なるほど……けど、それって……」
ララが眉をひそめ、真剣な表情でルークを見る。
「そもそもこの中にどんな術式が入ってるのか、分かってるの? マナを注いでも拡散するなら、中を解析することもできないんじゃ……」
その問いに、ルークはゆっくりと首を横に振った。
「大丈夫。これは、俺にとっては“修行の課題”だったんだ」
彼はララの手からアンチマナブロックを受け取ると、懐かしそうにそれを見つめ、手のひらで優しく包み込む。
そして――マナを纏わせる。
だが、それは散ることなく、八面体の表面に沿って薄く、緩やかに流れ循環していた。
「……消えない……!?」
ララが驚いた声をあげる。
「師匠に徹底的に叩き込まれたんだ。『無駄を削ぎ落とせ』『一点の濁りも許すな』ってね……。このアイテムにマナを纏わせるのが、俺の修行のひとつだった」
そう言って、ルークはアンチマナブロックの中心に、魔力をそっと注ぎ込む。
すると――
カチリ、と微かな音とともに、アイテムが淡く光を放ち始めた。
八面体の中心から、赤・青・白の三色が渦を巻くように広がり、複雑な魔術式が空中に浮かび上がる。
「……これが、術式?」
ララが思わず見惚れるように呟いた。
しかし、そのとき──ララの表情が変わった。
「……これ、違う」
「え?」
ルークとガイが同時に振り向く。
「この構造……魔術理論じゃない。もっと、根本的に違う体系。これ……“儀式用術式”だよ」
「そうか! 設置型の魔法にも使われる術式か」
「そう。通常の魔術が“即時展開”なのに対して、儀式は“時間と構造”を使って、段階的に力を繋ぐ術体系。魔術の原型とも言われてるものよ。しかも、これは……かなり古いもの」
ララは目を見開いたまま、ノートを取り出して一心に写し始める。
「これなら、魔素の流れを制御できる可能性がある……! 転化も遮断も、応用次第でできるかもしれない……!」
その言葉に、ルークの胸の奥で熱が灯る。
ミレーナを救う手段が、確かに見え始めていた。
「――よし。急ごう」
ルークの言葉に、ララもガイも力強く頷いた。
夕陽に照らされた演習場に、三人の影が伸びていた。
かつての修行が、今、新たな希望を導いていた。
そして、その術式が“儀式”であると気づいたとき――
物語は、より深い領域へと踏み込もうとしていた。