数日後、ルークたちは北東に位置する街、エルーラへと到着した。
小高い丘に広がるこの街は、王都の
石畳を走る子供たちの笑い声が、風に乗って響いてくる。通りには露店が並び、焼き立てのパンの香りが鼻をくすぐる。ここが、かつて自分を育ててくれた場所――そう思うだけで、ルークの胸にわずかな熱が宿った。
「……いい街だね」
ララが感嘆の声を上げる。
「治安がいい証拠だな。子供たちがあんなに自由に走り回ってるなんて」
ガイの言葉に、メイジス達も微笑を浮かべた。
街の中心部――かつて教会だった建物が、今や冒険者ギルド《金獅子》の拠点となっている。
白い石造りの外壁、尖塔のシルエットはそのままに、入り口の上には堂々とした金色の獅子の紋章が掲げられていた。
ルークは一歩、扉へと進み出る。
――ギィ、と重々しい音を立てて扉を開けると、懐かしい空気が一気に流れ込んできた。木の床の香り、革の擦れる音、掲示板に貼られた無数のクエスト依頼――そのすべてが、彼の記憶を刺激する。
「ルーク様!」
ひときわ高い声が響いた瞬間、小柄な”黒髪”の少女が駆け寄ってきた。琥珀色の瞳がきらきらと輝き、真っ直ぐにルークを見上げている。
「シエル……!」
驚きと共に名を呼ぶと、少女――シエルは勢いよくルークの前に立ち、深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ルーク様! ご無事で何よりです!」
「はは……そんな堅苦しくしなくていいって。入試の時は送ってくれてありがとうな」
「いえっ、ルーク様は、私の恩人ですからっ!」
頬を染め、胸を張る姿に、仲間たちは思わず目を見張った。
「誰、この子……」とミレーナがぽつりと呟くと、「まさか……ファン?」とガイが茶化すように言い、ルークは小さく肩をすくめた。
「昔、ちょっとした縁があってな。境遇が似てたのもあって今はここで色々手伝ってもらってる。優秀な子だよ」
「うぅ……ルーク様、ちょっと照れます……」
シエルはそう言いながらも嬉しそうに笑い、手を広げてギルドの中を案内する。
「皆さま、こちらが受付カウンターと依頼掲示板です。奥には医務室と仮眠室がありまして、訓練場にはそちらの扉から出られます。そして、こちらの階段の上がギルドマスターの部屋になります」
訓練場は、建物の裏手にある広い空間だった。地面には無数の踏み跡があり、木製の人形や障害物が所狭しと並ぶ。
様々な環境を想定されて作られた訓練場は、まさに修行をするには持って来いの環境だった。
「ここが……訓練場……!」
ガイが目を見開いた。
「俺の知ってる訓練場ってレベルじゃねぇ……」
「環境が整ってるってこういうことなんだね……」
仲間たちは一様に感嘆の声を上げたが、ルークはその視線の先を静かに見据えていた。ここは“強くなる”ための場所――それだけは、決して間違いなかった。
訓練場の視察を終え、皆が汗を拭いながら戻ってくる。
「私、見てるだけで筋肉痛になりそう……」
モニカがぽつりと呟き、ガイは妙に満足そうな顔をしていた。
「へへっ、ああいう場所で腕を磨くんだな……燃えるぜ、マジで」
そのとき、シエルがふとルークの袖を引いた。
「ルーク様。よろしければ、この機会に“あちら”をご案内しても?」
「ああ……そうだな。みんな、少し寄っていってくれ」
「どこへ?」
「ギルドマスターの部屋だ」
ルークの言葉に、一同はぎょっとした顔を見せた。
「え、ええっ!? ギルマス不在なのに、そんな場所に入っていいの……!?」
ララが戸惑いながら問いかける。
「安心していい。中を見せたいだけさ。それに……話しておきたいこともある」
◆
階段を上がり、重厚な扉を開けると、静寂な空気に満たされた一室が現れた。
壁一面の本棚、丁寧に磨かれたソファセット。ギルドの心臓部たる場所は、思いのほか整然としていて落ち着いた雰囲気を持っていた。
「これが……エイネシアさんの部屋……」
「なんだか、感慨深いものがありますわね……」
ララとミレーナが目を細めて周囲を見渡す。
ふいに、シエルが一歩前に出る。
「それでは、ルーク様。どうぞ」
その言葉と同時に、ルークがギルドマスターの椅子に腰を下ろすと、皆の顔に驚きが走る。
「えっ……?」
「ちょ、ちょっと待てルーク。なんでお前がそこの席に座ってんだよ!?」
ガイの叫びが響いた。
「じゃあ改めて、ギルドマスター代理のルークだ。ようこそ《金獅子》へ」
不敵な笑みを浮かべながら、仲間たちを見渡す。
「ええええええ!?!?」
一同の叫びが部屋に響いた。
「なんでルークがギルドマスター!? 代理って何!? どういうこと!?!?」
「色々あってな。今は師匠――エイネシアさんが不在で、その間だけ代理を任されてるんだ」
ざわつく一同に、ルークは落ち着いた声で続ける。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「ルーーークッ!! 帰ってきたと聞いたぞ!」
扉を勢いよく開けて、筋骨隆々の大男が飛び込んできた。短く刈り込まれた銀髪、どこか豪放な笑顔。彼こそ、ギルドマスター・エイネシアのチームの一員、ダグラスだった。
「お? こいつらは?」
「ダグ兄、ただいま。俺の仲間たちだ。しばらくここで修行させてもらう」
「ルークにツレか! がっはは! いいじゃねぇか! エイネシアが聞いたら、泣いて喜ぶぞ!」
そう言って豪快に笑い飛ばすダグラスに、仲間たちの表情が少しだけ緩んだ。
「さて……話を戻そうか」
ルークは皆を見渡し、真剣な声で言った。その声に空気が変わる。
「俺たちがここに来たのは、学年別闘技大会で優勝し、“世界樹の実り”を手に入れるためだ。そして、そのためには――さらなる力が必要になる」
静まり返る室内で、ルークの瞳は仲間たちを真っすぐに捉えていた。
「この街でなら、それが掴めるはずだ。俺の原点でもあるこの場所で、皆を鍛える。お前たちも――覚悟してついてきてくれ」
誰も言葉を返さなかった。けれど、それは否定ではない。
ただ、拳を強く握る者。頷く者。瞳に火を灯す者。
それぞれの心には強い意思と覚悟が宿っていた。
「ダグ兄、シエル。訓練の手ほどきを頼みたい。俺と三人で、全員の底上げをする」
「任せろ! いっちょ、しごいてやらあ!」
ダグラスが歯を見せて笑った。
「ふふ……ルーク様のお手伝いができるなら、喜んで」
シエルも頷く。
「絶対に強くなってやるぜ!」
ガイが立ち上がり、ララも立ち上がった。
そのとき――ルークは最後にもう一つ、皆に向かって告げた。
「――優勝して、必ずモニカのお姉さんを救うぞ」
「ルーク……」
モニカが、感極まったように唇を震わせた。
仲間たちの胸にも、改めて強い火が灯る。
――この夏、それぞれが己を超える。
それは、逃げ場のない戦い。
試されるのは技でも力でもない、“覚悟”だ。