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第3話 訪問者


冷蔵庫も、棚も、アルバムも、何もかもが消えていた。

けれど、一番確かに消えているのは──家族という事実だった。


智哉はダイニングの椅子に深く座り込んだ。

空っぽの家に、あまりにたくさんの“無”が詰め込まれていて、動く気力も失せる。


残された家具も家電も、まるで誰かが見栄えだけ整えた舞台装置のように無機質だった。

時計の音だけが続いている。

カチ、カチ、カチ。


それが家に流れる“唯一の時間”になっている気がして、ぞっとした。


スマホを握り直す。

着信履歴を再確認しても、両親からの連絡はどこにもなかった。

メッセージアプリも、既読のつかない灰色の画面がそのままだ。


自分だけが、綺麗に切り離されていた。


(……なんで、俺だけ)


考えても答えは出ない。

じわじわと喉が乾いてくる。

水を飲もうと立ち上がりかけたその瞬間、ポケットの中でスマホが震えた。


画面には──「知らない番号」。


指が止まる。

迷っているうちに着信は切れた。


数秒の沈黙のあと、別の番号からまた着信が入る。


次いで、また違う番号。


──嫌な予感がした。


呼吸が浅くなる。

スマホを握る手のひらがじっとりと汗ばんでいた。


四回目の着信が切れたあと、しばらく通知が止んだ。


ようやく静けさが戻った……そう思った次の瞬間。


「ピンポーン」


インターホンが鳴った。


玄関。


その音が、今日という一日の中で一番心臓に響いた。


反射的にモニターへ歩く。

玄関のカメラに映し出されたのは、黒いスーツの男たち。


二人。いや、三人。


どれもが似たようなスーツに身を包み、無表情で立っていた。

整った立ち姿。妙に揃った髪型。どこか会社員にしては“きれいすぎる”。


そして、その後ろ。


少し距離をとって、もうひとり。


カメラの角度が微妙にずれていて、顔ははっきりと映っていない。

けれど──

その立ち方、手の組み方、わずかに揺れる肩の動き。


どこか、昔見た“誰か”に似ていた。


(……いや、でも──)


違う。

こんな場所で、こんなタイミングで、会うはずがない。


でも、身体が勝手に動かなくなった。

映らない顔の向こうに、知っている表情がある気がした。


スーツはよく似合っていた。

けれど、シャツの襟が少しだけ乱れていて、髪も以前より伸びていた。


いつも清潔感のあった人の、それとは違う。

何よりも“空気”が違っていた。


(まさか……市原、さん……?)


市原誠人。6つ上の先輩。

智哉の通う学校は幼稚舎から大学までの一貫校だ。

小学生の頃から“縦割りグループ”で一緒だった。

中学生だった市原は、年下の智哉に勉強を教えてくれた。

優しくて、笑うと目元が少しだけ下がる人だった。

あの頃の自分には、それが“世界で一番安心できる顔”に見えた。


でも──


今、モニターの奥にいるその人の“気配”は。


怖かった。


もう一度、インターホンが鳴る。

ビクリと身体が跳ねる。

咄嗟にモニターを切った。

音のない画面が壁に戻る。

心臓がばくばくと騒いでいた。

額に汗がにじむ。手が冷たい。


怖い。誰だあれ。

……いや、違う。わかってる。わかってるけど、わかりたくなかった。


再びスマホが震えた。


着信──「非通知」。


名前も、番号も、表示されない。

けれど、それは確かに、玄関の向こうと繋がっている気がした。


鳴り響くバイブレーションが、腕の骨を通じて鼓膜に響く。


そのときだった。


──カチャ。


玄関のドアノブが、音を立てた。


音は小さかった。鍵が回るような、ごく微かな動き。

でもその音だけで、智哉の全身が硬直した。


(……なんで、鍵……)


確かに、さっき自分でかけたはずだった。


玄関に目を向けたまま、一歩も動けない。

時間が止まったように、何も聞こえなかった。


そして、ドアの向こうから──


「……相原智哉くん?」


男の声が、やけに穏やかに響いた。

懐かしいはずなのに、記憶より少しだけ低くて、怖かった。


智哉は、返事ができなかった。


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