僕は期待されて生まれてきた。
母には──「立派な王になりなさい」と願われて。
父には──「立派な王になれるように」と導かれ。
乏しさを知らず、飢えを知らず……。
お世話をしてくれるメイドさん達が沢山居て。
夜闇に怯え眠れないときは、両親のベッドで三人一緒に寝ては母が子守唄を歌って、父が頭を撫でてくれた。
みんな、優しかった。
だから僕も最初は、少しだけ我儘だった。
嫌いな食べ物を残したり。一人が寂しいときは誰かに構って欲しくて、言う事を聞けなかったり……。
そんな、少しだけ我儘な普通の子どもだった──。
だけどある日、そんな僕に契機が訪れた。
アベル・シュヴェアート──僕に妹が出来たのだ。
──アベルは特異だった。
何があっても泣かず、言葉も発さず、四六時中指を咥えてじっとしている様な、そんな子どもだった。
僕はそんな妹のことを不思議に思っても、それが個性なのだと受け止めて、兄としての態度で接した。
アベルもそれが嬉しかったのだろう。
誰にも懐かなかったアベルが、僕にだけ自ら近寄って来ては年相応に甘え、確かな愛情表現をしてきたのだ。
僕もそれが嬉しくて、二人は仲良くなっていた。
──アベルは天才だった。
兄である僕よりも二歳年下なのに、いつの間にか誰よりも色々なことを知っていて、誰よりも詳しかった。
特に僕が凄いと思ったのは、妹が数日先の天気を連続的に当てたことと、初めて見た物の性質を当てたことだ。
普通は天気なんて予測出来ないし、初めて見た物なんて何も分からない筈なのに、確かに成し遂げたのだ。
これには、家族もメイドも、ド肝を抜かれた。
中には魔の生まれ変わりだなんだと、王族に対して失礼極まりない戯言を宣う、馬鹿者も現れた程である。
まあ……こんなに可愛い僕の妹がそんな訳は無いので、変なことを言うなと猛抗議をして、鎮静化させたが……。
しかし。これはアベルが言っていたことだが、どうやらアベルには、この世界が数列に見えているらしいのだ。
その見えている数列を解き明かすことで、物本来のポテンシャルや、絶対的な未来視をすることが出来るという。
始めは何を言っているのか、凡人である僕には理解出来ていなかったが、次第に理解していった。
アベルは生粋のギフテッドであり、得てして天才とは、才あるが故に不憫で生き辛くもあるのだ。
だから僕は兄として、アベルを護ろうと思った。
僕には才能なんて、ありやしないのに………………。
・・・
僕は王族である。
誰よりも偉くて、誰よりも気高く、誰よりも尊い──。
僕は王子である。
将来を期待され、将来を願われて、将来を背負う──。
だから僕は、生まれた時から求められるのだ。
王族であるが故に、王子であるが故に──今までの恵まれた豊かさと飽食に報いるだけの、才能と責任を…………。
才能と、責任──────?
アベルみたいな才能の欠片も無いただの凡人が?
将来、国の安泰と更なる発展を国民に約束する?
どうやって?──どうしよう……。
どうすれば?──分からない……。
出来るかな?──出来ないよ……。
それが責任?──責任って何……?
ただ偶然、王族として生まれただけの僕に!不出来の僕に──っ!一体、何が出来るというのだ!!
こんなこと──気づかなければよかった……。
目を逸らして、忘れてしまえばよかった……。
なんて言葉を・・・いっその事、無責任にも吐き捨てれたのなら良かった……。
でも、どうしても言えなかった。
──ダメだったのだ。
もし他の誰かが赦しても、僕だけは許しちゃいけない。
だってそれは──僕が王族に生まれてきた意味を、才能に苦しむアベルを、裏切る蛮行だから……。
──嗚呼…………ハハッ………………。
このとき、乾いた笑い声が溢れてきた。
一筋の涙も頬を撫でる様に零れてきた。
これは、僕が五歳の頃だった──……。
・・・
僕は、何をするにしても、人二倍の努力はする。
何故なら僕は凡人で、努力の他に何もないからだ。
だから僕は、弛まない努力を積み重ねてきた。
特に精を入れているのは、剣の練習である。
両親によく聞かされていた、レーヴェ・エーデルと祖父の戦いの話が好きだった。格好良かった。
特にレーヴェさんに至っては、
己の身体とたった一振の剣を以てして、無垢な民を護る為に果敢に攻め入る姿に、僕は幼いながらに憧れた。
僕もこう在れたなら。と、一つの
僕は、──剣を振るときが好きだ。
剣を振っているときは、将来を考えなくて済んだ。
僕は、──剣を振ることが好きだ。
剣を振って強くなって、少しだけ、自信がついた。
僕は、──剣が好きだ。
そして。これはもしもである。
もしも凡人である僕が、天才に並べたのなら──。
努力でも天才に追いつける証明になり、僕みたいな人への励みになるかもしれないし……。
何よりも。才ある故に迫害されている人達に、
「僕だってここまで出来たから、君は何も特別なんかじゃない。君は少しだけ才能がある普通の人なんだよ」
って、そんな当たり前のことに気づかせて、寄り添えられるかもしれない──。
だから僕は、剣を振ることに精を入れ始めた。
・・・
七歳になっていた。
僕はお爺様から、一人の少女の話を聞かされていた。
名を──ルカ・エーデル。
彼女は僕と同い年であり、憧れているレーヴェさんのお孫さんであり──龍種並の魔力を有しているという。
龍種とは──八種といる魔物の上位二位で、上位一位の力と知能のある妖種と比べても、遜色無い化け物で……。
僕は魔物を見たことがないけれど、文献と言伝で見聞している限りでは、幾つもの村が焼き野原にされたらしい。
この国は何度、龍種の恐怖に怯え、恐怖し、辛酸を舐めさせられたのだろうか……。
そう考えるだけで反吐が出る。
しかし。そんな龍種並の魔力が彼女にあると、あのレーヴェさんが言っていたというのだ。
要は彼女はアベルとは別方向の、戦闘特化のギフテッドということなのである。
これを聞いたとき、心底羨ましかった。
魔力とは努力で覆しようのない才能だからだ。
でも同時に僕は、幾ら凄い才能があったとしても努力をしなければ、その才能を磨くことは出来ないと──。
ならば──同い年で天才な彼女に、努力をしている僕が勝つことも出来るのでは……と、軽率にも愚考をした。
──でも、無理だった。
彼女は三歳のときには既に剣を振り、一人で己を高めていたというのだ。
もはや勝負の土台に立てると、そう脳内を掠め過ぎった考えからして、烏滸がましい程の完敗であり──。
極め付きに彼女は、ハイハイが出来るようになったら直ぐに書庫に入り浸り、独りで勉強をしていたというのだ。
この事実に僕は「……は?」と思わずフリーズしたが、アベルは「まるで私みたい!」と目を輝かせていた。
アベルを見た僕は、自分の「嫉妬心」に嫌気が差した。
やはり凡人の僕には、天才の気持ちなど分からない。
才ある者の尺度を、何の変哲もない様な、そんな面白みのない自分の物差しで測ることなど出来やしない。
そして──その天才で同い年の彼女が、どうやらプライベートでレーヴェさん達と、ここに来るらしいのだ。
だからなのだろう──。
僕は何の気なく、想いを吐露していた。
「ルカさん、ですか……。仲良くなれると良いな……」
これは嫉妬でも羨望でも、憧憬でもない……。
なんでもない、一人の人としての本心であった。
◆◆◆
彼女がシュヴェアート城に来た。
彼女はとっても綺麗で、可愛らしかった。
とても龍種並の魔力を持っているとは思えなかった。
けれど彼女は、何処か大人びていた。
それも、僕みたいにつま先立ちをして、無理して大人ぶっているではなく──。
精神そのものが成熟しているような……そんな、年齢に対する差異のようなものを感じた。
特にそれを身に染みて感じたのは──、
『私は最尊が我が国家を守護せし、名誉あるエーデル辺境伯家が長女──名をルカと申します。この度は、本来私達が先んじて前に出なければならないところを、その深い慈愛の温情をもってして、未熟な私達の為にと光で照らして頂きましたこと、遅らばせながら深謝致しますわ』
──という、彼女の自己紹介であった。
これには思わず僕も見惚れてしまったし、初対面の他人に対する警戒心が強いアベルも興味を示していた。
しかし彼女は、どうやらそれだけではないらしい。
なぜなら一先ずの自己紹介を終え、みんなでお菓子を食べているときの彼女は、年相応であったからだ。
甘いお菓子をモグモグと美味しそうに食べる姿が、まるで、妹のアベルのようだったからだ。
だから僕は、彼女も極々普通な女の子なのだと思った。
──でも、どうしてだろう?
こんなに可愛らしい女の子のキミが──。
身に余る強大な力を持ちながらも、それでも自分らしく在れているキミが──。
凄く、周りと壁を作っているように見えたのだ。
まるで、他人じゃなく自分を拒絶している様な、そんな風に見えてしまったのだ。
しかもレーヴェさんとコルンさんは、そのことを重々承知しているようだった。
──歪に感じた。
家族であって家族ではないような。
言ってしまえば、そんな感じがした。
そして。
どうやらアベルも気づいていたらしい。
アベルが小声で、僕に耳打ちをしてきた。
「ルカさん、レン君には自然体だけど……。レーヴェさんやコルンさんには、何処か遠慮してる気がする……」
「アベルもそう思うのか……」
「うん……」
「でもさ、レーヴェさんもコルンさんは、ルカさんに対して自然体で接しているんだよね……」
「不思議、よね。ルカさんって私に似てるようで、何処か決定的に違うの。それも不思議だわ……」
薄皮一枚分の差異が孕んだ違和感であった。
時間が埋め合わせる問題であることを、僕達は何となくで理解していた。でも、興味があった。
だから──。
「後でちょっと、話せる機会を作ろうか」
「そうね。そうしましょう」
・・・
時が経ち、大人達が孫自慢を始めた頃。
時を見計らった僕は、彼女とレンを誘って外に出た。
念の為にと、お爺様が十数人の城兵をつけてくれたが、それが少しだけ窮屈にも感じた。
少しだけ過保護だな、とも思った。
でも、それでも。
僕はお爺様に感謝している。
王族である僕とアベルだけでなく、貴賓の二人にも何かがあってからでは遅いし──。
それに。彼女達は何も気にしていない様子で、この時間を楽しんでくれていたからだ。
特にルカさんは、無邪気に瞳を輝かせ──綻んだ顔の可愛らしい口から、感嘆の言の葉を漏らしていた。
僕にはそれが、あまりにも微笑ましかった。
そして。
彼女は時折、僕達の知らない言葉を遣う。
だからつい気になった僕は、本当に何の気なく言葉の意味を彼女に聞いたのだ。
しかし、それが駄目だったのだろう。
このとき、アベルの悪い癖が発動してしまったのだ。
『アハハ!お姉さんも、そんな可愛い声出すんですね? さっきの挨拶のときは、凄く綺麗で見惚れちゃって。まるで大人みたいだなって思ったので、なんか意外です!』
アベルは無害だと認知した相手が、自分の目の前で何かしらの心の隙間を晒すと、悪戯で揶揄ってしまうのだ。
だから僕は何時も──、
『妹がご迷惑をお掛けして申し訳ございません……。今後はこのようなことが無いよう、兄として、一国の王族としてしっかり言っておきますので、どうかお許しください』
──と、謝罪をしているのだが……。
一体、僕が何度アベルの悪戯で頭を下げて、その度に悪戯する癖を辞めるように言って聞かせたことか……。
正直あまり覚えていないし、欠片ほども覚えていたくはないけれど、それでも大切な妹なので
ならば自分の安い頭の一つや二つ、下げることなどどうということはないし、それに──。
『いえいえいえ、気にしなくて大丈夫ですよ? 妹さん、大変可愛らしくて結構じゃないですか!──ねっ!』
彼女は優しかった。笑って許してくれた。
だからなのだろう。このとき、僕も笑っていた。
そして僕は内心で──やはり、というべきか。
口ではなく、剣で語り合いたいと思っていた。