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深層同調-Chapter2

 B区画中等教育学校棟の15歳クラスには、僕を含めて20人の生徒がいる。

 主に学ぶのは、歴史、数学、娯楽。特に歴史と題されているものは範囲がバカみたいに広い。

 歴史といって語学を扱うし

 歴史といって科学を扱うし

 歴史らしく歴史も扱うけど

 またそれぞれで科目が分岐するのだ。なぜこんな事になるのかと担任のコバに聞けば

「電脳化すれば、語学も科学も数学も、知識が流れてくるからな。多分なんか、そのへんの影響なんじゃないか?」

 中年型のアンドロイドの彼は、教室窓際、先頭から二列目の僕を見ながら右手で顎を掻き、やる気のなさそうな猫背でそんな事を答える。

「なんでコバ先生は電脳化してるのにそんな適当なんですか?」

 僕の二つ隣のニコが元気に手を上げて言った。

「ふっふっふっ、こういうのを『パーソナリティ』っていうのさ。ランプ、ニコ、ちょうどいい導入をありがとう。今日はそのへんを話してやる」


 脳と身体の完全情報化は、高等部卒業資格を持っていなければ行えない法律がある。それは人格情報化が発展してきた時に起きた、主に二種類の事件に起因する法律だった。

○十分な事前教育が生体に入力されてない12歳の男性が完全情報化した事例がある。

 彼は完全化した直後、大量の情報流入の影響なのか、情報の中に人格が溶けてしまったらしい。彼の人格情報ルーティーンは呼び出すことはできるが、全く機能を失い、彼というパーソナリティはこの世から完全に消失してしまった。

○人格ルーティーンの異常を直した際のパーソナリティのズレ、という題目が、コバの背後のディスプレイに映る。

 情報化されてもなお、人の思考は傷つき、人工知能とは全く違う数値操作で回復を行おうとする。そんな特定の彼は、思考や会話、演算をまともに行えない状態になってしまった。

 専門家達は、彼の人格情報数値をイジって、なんとか「元の状態」に戻そうと試みた。

 彼が社会的な任務遂行ができるまで人格を回復した時、彼のパーソナリティは全くの別人になってしまっていたらしい。


「さて、ここで興味深いのは、ランプ、お前だ」

「えっ」

 突然コバが話を振ってきたから、体が瞬間的に力んで椅子とテーブルをガタンと揺らしてしまう。

 ほとんどの生徒がこちらを見ている。顔を歪めて、コバを呪うように睨んでやる。

「このクラスで脳を機械化してないのはお前だけだからな。この話を聞いて、なにか考えることあるか。例えば、電脳化への恐怖とか」

 脳を機械化してるか否かは、僕たちの年代では目で見てすぐにわかる。背中側の首の下、そこに拡張脳が取り付けられているかどうかだ。

 恐怖……今挙げられた事例はもう数千年前のものだ。これまで僕の周りで人格情報化による損失は聞いたことがない。

「……べつに、ですかね」

「みんなはどうだろう? なにか、考えてしまうことはあるか?」

 何人かが手を上げて、コバはそれぞれの話を聞き、それぞれに見解を話していった。


 午前授業が終わり、テーブルに浮かせていたインターフェースの画面を整理して、情報を端末に保存し閉じた。

 僕以外はみんな、授業情報を自分に送信すれば事足りるのに、僕だけはこういった端末が必要になる。

 ため息をつきながら、端末に届いた情報をスクロールして確認する。僕の列の一番後ろの席が動く音がした。僕の席に、アキトが近づいてくる気配がする。

 端末をテーブルに置いて、座ったまま隣に目をやった。

 標準Aの顔を細部までこだわって改造してある。長袖を肘下まで捲ったり、時計をしたり、ベルトの色と装飾を変えてみたり、目や髪色を変えてみたり。

 あの授業の後にこいつを見ると、パーソナリティについてまた考えが深まっていく気がした。

「なんか食いにいく?」

 アキトは、生体の残った僕と食事をしながら話すのが好きみたいだった。

 最初の頃はこいつの知的好奇心に疲れる事もあったが、3年も付き纏われるとだんだん慣れてくる。全然悪いやつではないし。

「いや、今日はこれで終わり」

「またアンナさんのお使いか」

「そう」

「俺さ、ちょっと前に紙の本って手に入れるのにどんぐらいすんだろって調べたんだよね」

「……確かに」

 アルターで製紙技術を扱う場所はあるのだろうか。いまさら紙で本を読みたい人格も少ないし、多分無いのではなかろうか。

 無いのであれば、新しい紙の本を手に入れるには外部星系の貿易船に頼む事になる。

「どんなもんだった?」

「前にコバの一ヶ月で貰えるクレジットを聞いたんだが……」

「おおっ、うん」

「その14ヶ月分だった」

「ええぇっ!?」

 僕とアキトは突然聞こえてきた声を追って後ろに振り返った。

 ウーカの標準Kの少し丸みのある輪郭と、愛嬌を感じられるように編集された目が、こちらへ上半身を乗り出してきていた。

「……私のお父さんとお母さん10冊ぐらい持ってんだけど」

 彼女の父母は研究棟Bの職員。姉さんの同僚だった。

「コバの約12年分……」

 アキトがひきつった笑顔を作ってこぼすように言った。

 クラスのみんなは、10歳になる年からの付き合いで、今年5年目になる。みんな、全生体を残す僕に、奇異の目を投げる事にとっくに飽きた人たちだった。

 僕は就寝前のような時間に時たま、彼らに深く感謝したくなる時がある。


 ブーーーン

 そんな音が、下降するエレベーターの中で微かに響いている。

 扉の横についたディスプレイにメーターのようなものがあって、それが満たされると到着を意味する。

 2分ほど揺られていただろうか、メーターが8割を埋めると「まもなく到着します」とディスプレイに文字が現れた。

 ブーーーーーウゥン………。

 全く振動を起こさず、下降機は目的地に止まった。扉が真ん中から左右へ開かれると、B区画研究棟の出入り口が見えた。

 天井が6m近く上にあって、エレベーターから出たところの横幅は20mぐらいある。広大な横幅には、等間隔で6つのエレベーターの扉が設置されていて、僕が乗ってきたのは中央右側のものだ。

 床も壁も天井もほとんどが白を基調としていて、時折視界全てが平面で連なっているように映るときがある。

 20mの広がりは、5mほど進むとしぼんで、2つの無人カウンターに挟まれた通路になる。その奥にはまた左右三つずつエレベーターの扉が配置されていて、あれを使用するには職員情報が必要だった。

 通路右側のカウンターによっかかって僕を待っていたアンナ姉さんと目があった。

「ラーンプ」

 カウンターから離れた姉さんが僕の名前を呼びつつ、こちらへ手を振った。

 僕と同じ標準Dの顔に、女性らしい艶やかなボブスタイルの頭髪型を着けている。ウーロングループのほとんど黒一色の制服を着ていて、この空間ではあまりにも目立った。

 3日ぶりに姉の顔を間近でみた。

 無邪気に名前を呼ばれ手を振られた僕は、不機嫌そうな顔を作った。

「今回はなに?」と近づきながら姉に聞いた。

 カウンターの上に一冊の本が置いてあって、それを手に取り、彼女も僕へ一歩歩み寄った。

 差し出された本を取って、題名を見る。

「……ホールブレイン?」

「うん。太陽系にしか文明が無かった時代に書かれたものみたい。ロトールも読みたいっていうから、持ってってあげて」

「……なんか、紙の本って手に入れるの難しいって聞いたよ」

「ん? そうね。なんの後ろ盾も無いと難しいと思うわ。」

「うしろだて?」

「うーん、私の弟がどんな知恵を手に入れてきたのか分からないけど、私の所属するウーロングループは元々なにを中核事業にした会社連合だと思う?」

「あっ……宇宙間貿易です……」

「そう。まあ、それでも、ちょっとただの趣味としては恥ずかしくなるクレジットは、使ってるけどね」

「……。」

 僕は姉から目を離し本を見て、もう一度姉を見た。

「言わない、ぜったいに。」

 教えてくれないらしい。

 僕が微かに残念そうな顔をしたのを見たからか、姉さんは嬉しそうに微笑んで続けた。

「じゃあ、お願いしていい?」

「うん、わかった」

「助かるわ。じゃあ気をつけて行ってきなさい。レールカプセルでのD区画への行き方は……さすがにわかってるわよね」

「もちろん」

「うん、優秀な弟だわ。あとそうだ、明日家に帰れると思うの、そしたらゆっくり食事でもして、話を聞かせてちょうだい」

 言いながら、彼女は背中を向けて左側いちばん奥のエレベーターへ向かって行った。

 なんだかそれを見送ってしまっていると、姉さんはもう一度こちらへ振り返ってパタパタと手を振った。僕もそれに手を振りかえして、姉さんに背を向けた。

 D区画行きのレールカプセルに乗るには、6番エレベーターから上がるのが早い。僕が端に移動すると、エレベーターが人体を感知して動作を始めた。

 エレベーターを待つ間、そして上昇するエレベーターの中で、僕は本を撫で、紙をパラパラとめくって、本の冒頭と中間の文章を斜めに読んだ。

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