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深層同調-Chapter3

 ポーン

『研究棟D-4に到着しました』

 人間一人を収納するための楕円形の室内。その左側の壁がプシューという空気圧の音と共に大きく上へ開いた。

 座椅子から立ち上がって、出口横に付けられた取っ手を掴み、狭い室内の天井と壁に気をつけながら体勢を変えて出口の方へ体を向ける。

 屈みながらカプセルから出ると20m程先、レールに挟まれたホームの中央、エレベーターの前にロトールが体の右側をこちらに向けて立っていた。

 黒い制服の上から清潔な白衣を着ていて、ふわふわとした長い金髪が映えている。眠たげなタレ目に青い瞳孔、大人びた彼女の顔設定は、イマイチどの標準模型をイジったのか分からなかった。

 耳の下を指で押さえながら、どこともない虚空を見ている。

 誰かとの通話中なのだろう。外部音の取り込みを止めているみたいだ。

 ……でもああいうのは基本、マルチタスクでやってしまえるものだ。特に通話以外にやることが、友人の弟から本を受け取るだけなんていう簡単なタスクであればなおさら。

 僕は歩幅を短くしながら、ソロソロと姉の友人に近付いて行った。視覚情報は切っていないから、レールカプセルの到着には気づいているはずだ。

 彼女は全く姿勢を変えない。

 僕が近付いていることに気づいているのか、いないのか。

 もし気づいていないなら……なんだか微妙な気まずさがある。口の端か目の下がムズムズするような感じがする。

 3mほどまで近付いて、もう半歩踏み出そうと足を上げた時彼女の顔が少しだけこちらを向いた。

 瞳孔が目の端まで移動して、僕のことをとらえていた。

「……こんにちわ」

 浮いた足を地面に戻しながら、僕はロトールさんへ声をかけた。耳の下に当てられた指はそのままなので、声は聞こえていないだろうが……。

 しかし僕の唇の動きを見たからなのか、彼女は顎関節の後ろあたりに置いていた指を退けた。

「手間かけたね、ありがとう」

 彼女は体をこちらに向けることなく、僕へ手を差し出しながら言った。謎の機械のくぼみに謎のオーパーツを納めるような気持ちで、僕は本をロトールの手に置いた。

「ちょっと待ってて」

 言いながら彼女は本を両手に持ち、パッと表紙を開け、サラサラと紙をめくっていった。

 めくるのを止め、紙を指でなぞる。

 まためくり始め、止まり、同じように指でなぞる。

 最後のページまでそうすると、また最初に戻り、また最後まで何度か同じようにして読み終える。

 およそ2分ほどだろうか。僕は彼女から1歩下がり、片側に体重をかけて後ろで手を組み、そうしている彼女のまつ毛と青い瞳孔の微かな動きを見ていた。

「……うん。やっぱり数列は、ページ数と右から数えての行の数字を合わせた2〜5ケタの構成だね。この条件で考えられるパスワード候補は……350962通りぐらい。ここからまた考えられそうなのを絞っていこう。」

 彼女はそう口に出していた。

 思考のみで話せるはずなのに、あえてそうしている。

「……うん。またね」

 パシン!

 と大げさな音を立てて本を閉じ、彼女はついに僕の方へ体を向け、正面から僕を見た。

 彼女の身長は175cmを超えている。

 160cmの僕は彼女の顔を見上げなければいけない。

 彼女が異様に大きく見えた。

 変に体がこわばった。後ずさってしまいそうな圧に耐える代わりに、背中側で組んでいた手を解いて体の横に持ってきた。

「久しぶりだね、ランプ」

「……えっと」

 なにか話してくれるかと思って沈黙を作ってみたが、彼女は微笑むばかりでなにも言わなかった。

 左手で本を持ち脇に抱え、右手は白衣のポケットに深く突っ込んでいる。

「……そうですね」

 ロトールが突然上半身を前に倒して、僕の顔を覗き込んできた。

 あまりに驚いて声も出なかった。

 体を反らしながら右足を下げてしまう。

 僕の反応を見てもロトールは全く動かず

「ふむ。やはり生体が残っているというのは興味深いね」

 彼女とこうして顔を合わせるのはこれで5回目だったか。

 いつもは本を受け取って労いの言葉をかけると、スタスタと去っていってしまったものだが。

 さっきの事といい、今日は明らかに違う。

 とはいえ……彼女らしいといえばらしい。本を渡し、労らわれるだけでも、彼女の破天荒的なオーラはずっと感じていた。

「あの、今日は何か?」

「うん、アンナも含めて進めている研究プランが佳境……いや、そこまで進めざるを得なくなってね。色々考えてしまうんだ、私の演算も、私個人も」

 研究を加速させなければいけなくなった。

 さっきのパスワードうんぬんと本。

 そして生体への興味……。

 僕が彼女を見ながら、キーワード達に関連性を探して無言でいると、彼女は続ける。

「ランプくん。今のうち、心に残しておくといい。

 君の若さからくる他人への信頼の

 その至極一人称的な人生観の

 あまりの脆弱さに気付かされる瞬間、そこで起こる大きな大きな津波について。

 君に近く転機が起こる。

 衝撃に備えなさい。腹這いに寝て、後頭部を両手で押さえるんだ。」

「………………。」

 言いながらロトールは姿勢を戻していた。余裕そうな笑みに、可笑しそうなニュアンスが混ざったことが分かる。

「理解させる気ないですよね」

「アンナから私について聞いたことがある? 変人って言ってなかった?」

 姉さんによればロトールは、コバが語るところの「パーソナリティ」それを複製し、細部を変化させて、自分同士を話し合わせる遊びが好きだと言っていた。

 よくわかんない、と僕が姉さんに言うと、私も、と返された。ロトールを語る時の姉は、なんだか楽しそうに見えた。

「よくわかんないって、聞きました」

「そうだね。そうあれるように努力してるんだ、自分にとってもね。そしてさっきのも、ただの変人の戯言になることを祈っておくよ。ランプもそうしてくれ」

「…………はい」

 返事を聞くと、彼女はにっこりと目を細めて口角を上げた。それから僕に背中を向けると、エレベーターに向かってスタスタと歩いていった。


「地表居住区画B-3」

 エレベーターの上昇が止まり、扉が開く。

 なだらかな地面に人工芝が植えられ、青々とどこまでも伸びていた。

 地面から飛び出るようにして立つ、エレベーターの出入り口であるこの円筒形の建物が、後ろからアルトリウスの夕陽を受けて長く影を伸ばしていた。

 エレベーターから降りて、芝を踏みしめながら道の真ん中へ出る。

 僕が立っているこの辺りを大通りにして、いくつかの家が左右に立ち並んでいるのが見える。様々な形をしているが、白色と角の丸い正方形は統一されていて、正方形一つ一つに据えられた大小形様々な窓たち全てが黄色く発光していた。

 ここから500mほど歩くと家に着く。

 D区画からレールカプセルで移動してくる間、レール層からエレベーターで上がってくる間、ずっとロトールの言葉を考えている。


 君の若さからくる他人への信頼の

 その至極一人称的な人生観の

 あまりの脆弱さ


 若さ、他人への信頼、一人称的、脆弱さ。

 批判されているのだろうか……。もっと疑えって言いたいのか。疑うったってなにを……どうして?

 いや、この言い方的に、僕は今、疑うべきだという事にさえ気づけないということなのかも……

 スラックスのポケットに両手を突っ込みながらダラダラと歩いていると、家々の中からなにかぶつかり合うような音がした。

 左側にあった一軒家に目をやると、自分の足が震え始めた。

 違う。震えてるのは自分じゃない。

 地面だ。

 揺れが強くなる。立っていられなくなって四つん這いになった。

 首に力を入れても頭が震わされるのを止められない。手で頭を支えたかったけど、地面から手を離すわけにはいかない。視界いっぱいに広がる人工芝が、ブルブルと輪郭を定めず揺れている。

 それぞれの家の中で何かの対策を打ったようで、どこからも音はしなくなった。

 ただ岩盤が揺れ、どこか奥の方で、大きく、メリメリと蠢くような、バキリと割れるような音を聞きながら、揺れが収まるのをひたすら待った。

 ……1分ほどそうしていただろうか。

 揺れが止んだ。

 自分の髪の毛の中から汗がいくつも垂れてきて、頬を伝って一粒だけ地面へ落ちた。

 四つん這いから正座になって、右手のひらで汗を拭う。

 左から回り、周辺を見渡す。

 地平線に程近い真っ赤なアルトリウスを正面に見据えた時、視界の左端に何かが現れた。

 それは……それはなんというか

 蕾。あの空へ向けて尖った先端と地上に向かってでっぷりと膨らんでいくシルエットは、そう形容すべきだろう。

 だが、相当大きい。

 多分、あれと僕の間には……50とか100km近い距離がある。にも関わらず、あの蕾はあまりに横に広く、夕陽に照らされる千切れ雲より高く天に届いていた。


 ロトールさんの表情と声、映像と音が、頭の中でゆっくり、何度も、流れていく。


 すると遠く、背後でなにか音がした。

 振り返ろうとした瞬間、左の空に黒い塊が高速で過ぎ去り、そのすぐ後に強風と轟音が僕を揺らした。

 それは戦闘機装甲を装備した同調実戦部隊の一機だった。訓練飛行を見たことはあったが、それらのエキシビション的な飛行とは、速度も動きも全く異質だった。

 戦闘機装甲の黒点は蕾の周りにもう3つ、別の場所から集合し、4機の戦闘機が蕾の周囲に取り付いた。

 僕がそう見てとった1秒後、4っつあった黒点が3つになった。

 撃墜された?

 3機は蕾から距離を取り、1機が何か、黒点より小さなモノを蕾へ向けて放った。

 そして突然

 視界が白に染められ、圧された。

 僕の体は反射的に動いて、光に対して顔を背け、腕で影を作った。そのまま完全に閃光に背中を向けた。

 なにが起こっているのか

「ふーっ……ふーっ……」

 上半身を縮こまらせているからか、自分の息遣いが反響するようによく聞こえた。


 ゴロゴロゴロゴロ…………


 なにかが急速に迫ってきている。

 だが閃光が収まったようにも感じない。


 ゴロゴロゴロゴロ!!


 あの爆弾で起こった爆風か……!


 衝撃に備えなさい。腹這いに寝て、後頭部を両手で押さえるんだ。


 ……あれ比喩じゃなかったのか!?


 わけのわからない気付きを得た瞬間。

 僕は、抗う判断も起こせないような力に足を取られ、上下が反転し、ほぼ同時に左右も分からなくなり、強烈な衝撃を感じたか感じないかという瞬間

 思考が闇に落ちた。

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