トン、トン、トン…………
闇の中で鼓動を感じた。
同時に、体を伝う無数の脈動を感じる。脈は両手の指先、両足のつま先へ向かって、雫が落ちるみたいにスルスルと動いている。
そうした脈の動きを感じていると、体の節々の筋肉が膨張と収縮を始めた。脱力して開かれていた指先が閉じて拳を作り、またゆっくりと開かれる。
この体の動きのどれにも、僕の意識は関わっていなかった。
不思議と恐怖感は無い。夢見心地でマッサージを受けているような。
そうした闇の中で、とろけた意識がはっきりとしてくると、闇が上下にゆっくりと開かれた。
寝かされていた。
ヒト型のくぼみのような場所にハマっているみたいで、肩や腰、手足が包み込まれていてくぼみから抜き出さなければ動かせなかった。
視界はめいいっぱいの白に染まっていて、あまりにも広大なので、それが天井だと気づくのに時間がかかった。
腕を抜き、肘をついて上半身を起こした。
目の前、左右、床、全てが優しく発光する白に覆われている。
授業でこんな映像を見たことがある。
ここは多分、情報子エネルギーを最高効率で動かして、どんな構造物も瞬時に生成できる空間。確か、フリーブロックと呼ばれる施設空間だ。
そしてこの施術台も分かった、ヒト型アンドロイドのメンテナンス用のものだ。僕が着ているものも、男性型のメンテナンス時に着る、局部を隠すピッタリとした下着一枚だ。
体勢が変わった事に反応して、台が変形を始める。座面ができ、肘置きができ、細かく隙間ができて、ピッタリと包み込むような圧迫感が消えた。
少し浮かせていた頭を背もたれにつけると、自分の首に不自然な突起を感じた。
右手で首を包むように触って、おそるおそる第七頚椎の部分へ指を下ろしていく。
骨とは違う、機械的な塊に指が当たった。
……拡張脳だ。
わからない。
なにもわからない。
蕾との戦闘は。
あれからどれぐらい経った。
姉さん、姉さんはどうなったんだ。
この機械化は姉さんの意向で行われたのか。
だとしたら、何故姉さんはこの場にいないんだ。
「…………姉さん」
探そう。
彼女を探さなければ。
肘置きに両手を置く、グッと力を入れて立ち上がろうと俯いた時、視界に足が入ってきた。
足はゆったりとした運びで、僕の正面へ向かっていた。
体を前傾にしたまま、その足の主人の顔を見た。
長髪を高く一つにまとめた女性が、僕の前に立っている。ウーロングループの制服を着ていて、身長は170を超えているように見える。シュッとスレンダーで姿勢が良く、ニコニコと笑って、座った僕を見下ろしていた。
「私が誰か、わかる?」
「……わからない」
見当もつかない。僕が名前を知ってる人なんて、大した数はいないはずだし。
「私は、同調実践部隊に提供される、演算強化生命体『夏姫』。とはいえこうして人型形態で意思疎通するのは久しぶりなんだけどね。20分前まで、私は実践部隊50名に2%ずつ分割されて装備されていたから」
惑星アルターを守護する実践部隊の話を聞いた時「夏姫」の概要は聞かされる。15にもなって知らないアルター人はいないだろう。
だけど、夏姫を目視できるのは、夏姫と融合した人格だけだ。
なんで……僕が見えるのだろう。
「そしてランプ、君は今、100%私を保持している。」
「あっ…………えっと?」
夏姫が融合を解くのは、その融合した演算機能が停止した時に限られる。
融合が解かれた夏姫は、瞬時に同量ずつ、分割された夏姫に分配される。
そしてその夏姫の100%を、僕が保持している。
「うむ、ランプくん、分かったみたいだね。」
部隊は全滅した。
「いや……いや、わかってない……わかってないよ」
わかってない……!
そう続けて声に出そうとしたけど、出てこなかった。
体が重くなって、上半身が下がっていく。
肘置きにあった腕を腿に移動させて、開いた手のひらを見た。震えていた。
僕はどれだけ機械化したんだ。
姉さん、アンナ姉さんはどこにいるんだ。
ロトールさん、あの言葉はなんだったんだ。
細い指が僕の髪を退けて、後頭部を優しく両手で包んでいく。
その感触に、妙な安心を感じていると、オデコらしい感触がゴツンと頭に当たった。
フワリと、少しだけ体重が軽くなるような感覚があった。
ランプくん。
これが同調。
あなたの絶望が私に伝わるように
私の落ち着きがあなたに伝わるでしょう?
あなたはずっと、アンナに憧れながら、同時に不信感を持っていた。
あなたは騙されている予感を持ちながら、見て見ぬふりをし続けていた。
この「おきざりにされた」ような現状は、まるでそれを証明するみたいだって
思っているんだね。
でもね、早計はいけないよ少年。
君はもっと見るべきものがあり、
もっと考えるべきことがある。
足し引きも分からない内に数式に向き合っては、
不要な恐怖しか生まれない。
大丈夫。
よくわかるから。
君はとても深い思考を持っていて、良識があり、聡明だ。
この夏お姉さんと一緒に、しっかり話し合おうじゃないか。
夏姫の頭と手が、僕から離れた。
「君の生体は95%以上残っているよ。1回、深呼吸すると良い。」
僕は上半身を起こして、椅子から一歩引いた場所で僕を見る夏姫の顔を見上げた。
腰に手を当てて仁王立ちをしている夏姫は、左腕を持ち上げ、手のひらを天井に向けた。
「吸って〜」といって手を少しだけ上昇させる。
「吐いて〜……」といって、手をゆっくりと深く落としていった。
ふーーーー…………。
自分の呼吸を聞いて、また夏姫の目を真っ直ぐ見た。
「では、現状の整理といこうか」
君はどうやら、相当情報が制限された環境にいたらしい。
現在、宇宙全域の人類を脅かす「鉱格生命体」との闘争の歴史も研究の成果も、君のメモリーには存在しなかった。
君が見た「蕾」はこの惑星アルターの地下で研究していた鉱格生命体が暴走したものだ。この事故が意図的に起こされたかどうかは五分って感じだね。
ここから出て、色々材料を揃えてから判断はしていくべきだけど、とりあえず蕾の攻撃範囲外に逃げる事が先決と言えるだろうね。
しかし敵は、実践部隊の攻撃をほぼ無力化する装甲を持ち、戦闘機装甲でも回避困難な弾丸を撃ってくる。
私の2%出力では全く太刀打ちできなかったし、その戦闘力の底は見えなかった。
夏姫が一旦話し終えると、僕は座ったまま腕を組んで黙ってしまった。
聞きたい事が山ほどあった。
しかしそれを説明してもらう時間があるのかも分からない。
聞くべきことを厳選すべきだけど、混乱してて話と質問の整理が難しい。
そうして頭を抱えていると、夏姫がもう一度話し始める。
「なんにせよ、装備を揃えようか。ランプ、プレートスーツ装着をブロックに命じて」
「夏姫……さんの命令には応じないんですか?」
「ブロックには私の声も、姿形も、全くとらえられないからね」
ここの映像記録を確認したら……と続けようとして、また時間の問題を考えた。
夏姫、この人はなんでこの状況でこんなに物腰が柔らかいんだろう……。
「うーん……プレートスーツ装着」
夏姫より少し奥の方、座っている僕の数歩先に、情報子光で青い円が床に作られた。
「施術台を分解」
僕はついに椅子から立ち上がりながら続けて命令した。
こうしてAIに命令を出していると、調子が戻って来ているような感じがする。
青い円に向かいながら、夏姫に質問をした。
「第一装甲とか、戦闘機装甲の生成はできないんですか?」
「光速度を動きとしてとらえられる視覚を持ってると、現在このブロックがどれだけ情報子を操作できるのか目視で分かるんだ。多分、施設内の主要な情報子炉がほとんど潰されてるんだろうね。装甲を生成できるほど、情報子光生成も演算処理もできる状態じゃない」
話を聞きながら、円の中心に立った。
「足を肩幅に開き、手を真っ直ぐに伸ばしたまま脇から離してください。」
AIの音声が流れ、その通りにする。
円の直径が5mほどまで広がって、僕の体をスキャンしながら素早く上昇を始めた。
頭頂部まで上昇すると、同じように下がってまた床の模様となる。
次の瞬間円は数十複製され、その都度順番に上昇し、僕を青く発光する円筒ですっぽりと囲んだ。
僕の首から下に無数の情報子光が這う。
いつのまにか、ピッタリとしたボディースーツを着せられている。それが情報子を吸収し、黒一色の光沢に、青い脈動がドクドクと流れる。
情報子光が集中して光の塊を作ると、それはまばたきの内に薄く軽く硬質な装甲に変化する。
肩、二の腕、手の甲
胸、背中、腰
腿、膝、脛、足
それらは元々の人間的動作の邪魔を全くしない設計であり、装備者の元の体の大きさからほとんど変わらないように出来ていた。
授業で一度着用した事がある。
実験には参加しなかったが、この装甲を装備した同年代のアンドロイドは2t近い物体が時速50kmで突っ込んできたものを、片手で止める事が出来ていた。
装甲が同じように情報子を吸収していく。
背中の装甲の脈動が拡張脳と連結した瞬間、体の筋肉が柔らかく密度を増していくのがわかった。膨らんでいく感覚、といっても近い。
力が湧いてくるとはこういう感覚なのだろう。自然と目が見開き、背筋が伸び、目線が真っ直ぐ前を向く。
換装が完了し、円筒が床へ収納されていくように下降し消失していく。それを見ながら夏姫は僕に指示を出す。
「ワープロール起動。グラビトンタクト、エフェクタービットの展開」
僕は全くそれを復唱してブロックに命令した。
中空に青い正円が現れ、その内径を青く回転する靄が埋める。その中心から、グリップの輪郭だけをかたどった光の線が飛び出てきた。
僕がそれに手を差し出し、握り込むと瞬間、光の線の内側が光で満たされ質量となる。僕はいつの間にか赤一色に染まったグリップを握っていて、それをゆっくりと、ワープロールから引き抜いていく。
ズルズルと最後まで引き抜くと、150cmの曲刀が完成した。
そうしてタクトを生成していた時、僕の前で3m近い巨大な円筒が8つ床から生えて左右に整列し並び始めていて、さきほどの僕の換装と同じようにそれらが床に下降しながら消えていくと、中に全長1mの羽の無い戦闘機といえるような大型ドローンが生成されていた。
「準備万端! ではランプ、ブロックに開放命令を」
「…………。」
僕は右手にぶら下げていた刀を持ち上げて凝視した。
「ランプくん、戦闘訓練は?」
「……娯楽授業で一通り」
「優秀だった?」
「……生体脳にしては上出来とは、言われてたかな」