「なんだ、女の子ですか。お化けでも出たかと思いましたよ」
現れた何者かが小学生ぐらいの少女とわかり、ライラは安堵のため息をついた。そして、原チャリを降りると、そのまま女の子のほうへと駆け寄った。
「ライラ、油断しないで。何が起きるかわからないのに!」
大きめの声でリリカが叫ぶと、少女は両肩をビクッと震わせた。ライラは「もー」と言いながら
「急に大きな声出すからこの子がびっくりしちゃったじゃないですか」
と女の子の前で膝を折った。目線を合わせるためだった。そんなライラと比べて自分は無作法だったかと思い、リリカは頬を左人差し指で掻いた。
「こんにちは。この街の子ですか? 私はライラと言います。あっちの子はリリカ。よろしくお願いします。もしよろしければお名前を教えてください」
ライラは女の子に自己紹介を始めた。そのマイペースさにリリカは若干呆れたが、コミュニケーション力の高さは認めざるをえないものがある、ここは任せようとリリカは軽く息を吐いた。
「私は……ミオです」
消え入るような声で女の子は名前を名乗った。
「ミオちゃんですか。初めまして。何歳ですか?」
「11歳です」
「11歳ですか。なるほど。この街はあなた一人ですか? 誰か他にはいますか?」
ライラは意図的に「両親は?」「お父さんやお母さんは?」とは尋ねないようにしている。この世界で家族の誰かを失っていることがあるのはよくあることだったからだ。
ミオは首を横に振った。
「いない……。この街は私だけ」
「そうですか……。どれぐらい前からとかわかりますか? 昨日からとか、数日前とか」
「……2年ぐらい」
「2年!?」
ライラとリリカが揃って声を出した。ミオがまた両肩を震わせた。
「エ……そんなに長い時間も一人で? ミオちゃん一人だったんですか?」
ライラの問いにミオはこっくりと頷く。「ええー」と言いながらライラはぽかんと口を開けた。そして軽く首を横に振った。
「待って待って。ミオさん……ええと、何から聞けばいいんですかね」
「この街は電気や水道は通ってる……のかな?」
戸惑うライラよりも先にリリカが尋ねた。できるだけ警戒させないようゆっくりと冷たい印象にならないように注意しながら。
「電気は点かない。お水はあって、ペットボトルのを飲んで――」
「……なんか変だね」
リリカがミオの言葉を遮った。
「何がですか? ミオちゃんは健気に過ごしてきたんですよ? 少しぐらい労いの言葉があったって」
「あのね、ライラ。どうやって2年も電気もない街で過ごすの? 電気がなければ冷蔵庫も動かないよ? 食料はどこから調達するの? 水は誰が与えてくれるって言うの?」
「それは……」
どれだけ精神的に強いとしても、大人の助けをなくして子供が2年も一人で生きていけるはずがないとリリカは考えた。
「じゃあ何だっていうんですか?」
「この子が嘘をついている、それか嘘じゃないなら……」
「嘘じゃないです」
今度はミオがリリカの言葉を遮った。
「おなかが空いたり、水がなくて喉が乾いたらこうするんです」
そう言うと、ミオは噴水に向かって歩き始めた。
「待って。そこは時空の歪みが」
リリカが止めようとしたが、ミオは水の出ていない噴水台の上にその小さな手を置いた。
「ミオちゃん!」
さすがのライラも慌てて叫んだ。
『時空歪曲率:37%』
ライラの左目だけに数値が書かれたダッシュボード画面のようなものが空間に浮かんで見える。この画面は発生源の真上に出現する、いまダッシュボード画面が表示されているのは噴水の上だった。その噴水をミオが触れようとしている。
「ダメ! 戻ってミオちゃん!」
「大丈夫です……」
ミオが噴水の上段に触れた瞬間だった。
世界が一瞬、歪んだ。
少なくともリリカとライラはそう感じた。その歪みは続くことはなく、次の瞬間には歪みは消えていた。
真夏の午後の眩暈のような感覚で足元にふらつきを感じたが、リリカはなんとか堪えて辺りをゆっくりと見渡した。
特に何も変わっていないようだった。噴水は枯れたままで、ミオもライラも特に変わった様子はなかった。
「ここに触れると、おなかが満たされて、喉の渇きも消えるんです」
ミオは噴水を指さしながら言った。
たしかにミオの表情が生き生きとするようになったとリリカは感じた。
「エネルギー回復みたいな効果があるってことですかね……」
ライラが苦笑しながら言うと「うーん……」とリリカは言った。納得できない部分が何かあるようだった。
「これで家に帰れば、水も元に戻るんです」
「元に戻る? どういうこと?」
「ペットボトルの水が空だったんですけどまた入ってるんです」
「え!?」
ライラが驚きの声をあげた。
空だった水がまた入っているようになる? そんなバカな――、リリカは自分に問いかけると同時に答えを導き出した。
「これは『巻き戻し』だよ。時空の歪みが存在するせいで、何時間か……もしくは何日かなのかわからないけど、噴水台の上にある歪みに触れることで時間の巻き戻しが起きている」