「……巻き戻し? 回復みたいなものですか?」
ライラが首を左に傾けながら言った。。「違う」とリリカが返す。
「回復じゃない。進んだはずの時間が戻っているんだよ。記憶だけ維持されて」
「なんで……リリカは時間が巻き戻ってると……思ったんですか?」
「この街の建物は全く傷んでいない」
リリカがそう言うと、ライラも街の中の家が荒んでいないことを思い出した。
「2年も放置された街の建物は傷んでない。植物も伸び放題になっていない」
「ミオさんが一件ずつ手入れしている……そんなわけはないですよね」
自分で言い出しておきながらライラは意見を否定して苦笑した。ライラにもこの街のすべてを一人の少女が手入れをしているなんて思えなかった。
「それに……」
「それに? 何が気になるんです?」
リリカはミオを上から下までなぞるように見た。ミオは何か怖さみたいなものを感じたのか一歩、後ずさりした。
「ミオさんの身長は120センチ台から130センチ台ぐらいだ」
「それが何か?」
「ねぇ、ミオさん? この街がこうなっちゃう前、そう……学校がまだあった頃、身長順で並ぶとクラスでどれぐらいの位置だった?」
「え……そうだな……クラスの真ん中ぐらいでした」
ミオの言葉にリリカは二、三度頷いた。
「ライラ、貴方は11歳のとき何センチぐらいの身長だった?」
「え、私ですか? うーん、はっきりとは覚えてないですが150センチぐらいでしたっけね」
「うん。私は146センチだった。そう考えると、11歳で120センチ台から130センチ台は決して高いとは言えない、むしろ小柄なほうだと思うんだ」
「はい、そうですね……ん?」
ライラの頭の中に疑問が生じ、ミオを見た。
クラスの真ん中ぐらいの身長だとミオは言ったと気づいたからだった。
「この地方の平均身長は低い……?」
「その可能性もなくはない。でも、この国の平均身長が大幅に低いところがあるなんて考えにくい」
「じゃあ何ですか?」
「9歳ならば、同じ120センチ台でもクラスの真ん中っていうのも頷けなくはないんだ」
「あの、リリカ……ごめんなさい、私、ついてけてないです。何の話ですか?」
「つまりね。ミオさんはこの2年間、身体的に年を重ねてないんじゃないかって思ったんだ」
「え……?」
ライラは横目でミオを見た。先ほどのリリカと同じくミオを上から下までを見た。
「時空の歪みに触れることで何度でも時間が巻き戻っている。そうすればお腹が空く前に戻れる、家も傷む前に、雑草は伸びる前にね。だから身体は全く成長しない。進んでは巻き戻ってるだけだから」
「なるほど!」
「ただ、記憶は維持されてるっていう不可思議な状態なんだよ。この街の歪みは」
リリカが噴水台の上に目を移すと、ライラも目を移した。
水を出さない噴水の上だけ景色が歪んでいる。二人の会話の意味がわからないミオは困惑した表情を浮かべている。
「これは『バグ』だよ。直さなきゃ」
「チェックアウトするんですか?」
その問いにすぐには応えず、リリカは左手の青いリングに触れた。
「さっきからチェックアウトの準備していたからもう完了してるいまから『バグ』を直す。ソースツリー……オープン」
青いリングが光り、縦2メートル横2メートルほどの平面の画面がリリカの前に現れた。
「え!?」と声をあげて驚くミオの左肩をライラがそっと触れた。
「大丈夫ですよ。あれは
「じ、時間織機……? 時空修正……?」
「気流を降り合わせての歪みを補正するんです。時の流れというのは、本来はキレイに折り合わされた状態であるべきなのですが、
あの事故、という言葉を出したとき、ミオの顔色が少し変わった。ミオは両手で自分の両肩を抱きしめた。
「リリカはその乱れを直すことができるってことです……って難しいですよね」
ここまで話してみて、ミオが理解できていないことにライラは気づいた。
「簡単に言えば、リリカは歪みを直せる能力者なんです」
右人差し指を立ててライラはミオに微笑みかけた。
「コンパイルが通らない部分は見つけた……。この乱れが動くと時間が巻き戻るわけか……。ここを直す」
リリカがライラをちらりと見た。ライラは頷く。
「デプロイ終わったら教えてください。歪曲率を見ますので」
「OK」
リリカは目の前の空間で両手の指を右へ左へと動かす。すると目の前の画面も何やら組み代わっていくようにミオには見えた。
「あれは時の気流を編みなおしてるんです」
「……そうすると、どうなるんですか?」
「正常な時の流れに戻ります」
それはどんな意味なのかわからず、ミオが何かを質問しようとすしたときだった。
「直ったよ」
リリカの声が聞こえた。
ミオとライラがリリカのほうを見ると、リリカが出現させた画面が青く光っている様子が見えた。
「よし。コンパイルは問題なし」
リリカが手をかざすと画面が一瞬にして消えてしまった。そしてリリカの手首のリングがより青く輝きだした。
「deploy……Launch!」
風が巻き起こり三人の髪を舞い上がらせた。リングの光にミオは目を閉じる。何が起こっているかは全くわからなかった。
どれぐらい経ったのだろうか。目を閉じていたミオは前髪が額に下りた感覚に気づいた。巻き起こっていた風は止んだようだった。
「もう、大丈夫ですよ」
ライラの声で、ミオは薄っすらと目を開けた。
そこには噴水台があった。ミオの知るものだった。
ただし、変化があった。
噴水台の白いコンクリートが色褪せており、苔が付着しているように見えた。噴水台だけではない。なんだか周囲の家々の壁面にも黒ずんでいたり汚れが生じている。
足元を見ると、ひび割れたアスファルトの隙間から雑草が長く伸びている。
「一体、何が……」
呆然としながらミオは呟いた。ゆっくりと、ぎこちない動きでミオはライラへと目線を移した。
ここでもう一つの驚きがあった。ライラがついさっきよりも縮んでしまっていた。なぜそんなことが起きているのかミオは全く理解できず、両手で頭を抱えた。
その様子に気づいたライラがミオを見た。ライラは優しく微笑む。
「2年分の月日が流れたんですね……成長されましたね」
そう言われてミオはハッとした。
ミオは肩や胸、腹部を両手で触る。急に身体中に違和感を覚えたからだった。
衣服が苦しく、靴もきつい。
そしてミオはわかった。ライラが縮んだのではなく、ミオ自身の身長が伸びて目線が上がったのだということを。
「時空歪曲率、0%……です」
ライラは噴水台のほうを見つめながら言った。そして、大きく息を吐き出す。ろうそくの炎が消えるかのようにライラの目は光を失っていく。急な立ち眩みのようにふらつきそうになるが耐えた。
時空歪曲率を見るためには、相応の集中力と精神力が必要な作業なのだ。その証拠にライラの額からは薄っすらと汗が滲んでいた。
ライラの言葉を聞き、光が消えたことを確かめるように、リリカはリングをそっと撫でた。
「今日もお疲れ様」
リリカはリングを見ながらそう言った。