「はーい、はいはい。着席しろー」
担任教師が手を叩きながら生徒たちに声をかける。その様子を、三笠は教室のドアについている小さい窓から伺っていた。
さっき母とともに挨拶をした担任――その名は
学校を変わるのは初めてではない。でも、やはり最初の自己紹介のときは緊張するものなのだ。
既にできている「人間関係」という輪の中に突然紛れ込む異分子。入り方を間違えればどうなるか、実際になったことはないけど感覚的には分かっている。
小さく息を吸って、吐き出す。
――明るく、賢く、元気に、ちょっと緊張した面持ちで、大きすぎず小さすぎない声で、無難に。第一印象を決めるのは今日、この場だ。失敗してはいけない。
教室の前で何回も深呼吸をする。しばらくすると、担任・春過が三笠を呼びに来た。
「天乃さん、自己紹介、できそう?」
「はい」
その声に誘われ、教室に足を踏み入れる。――途端に感じる数多の視線、押し寄せてくる好奇心の波。黒板の前までたどり着くと、体の向きを変えてそれと対峙する。
「新潟から来ました、天乃三笠です。な、仲良くしてくれると嬉しいです。よろしくおねがいします!」
ペコっと深すぎず浅すぎない程度にお辞儀をする。
少し噛んでしまったけれど、たぶん大丈夫だろう。あまり完璧だと逆に不自然。だから流暢すぎず、噛みすぎずだ。
短い自己紹介を終えた三笠に、クラスの人たちから拍手が送られる。春過も手を叩きながら口を開いた。
「はい、天乃さんでしたー。この二年二組の新しい仲間だ。みんなも仲良くするんだぞ。んじゃ、天乃さんは真ん中の列の一番後ろ、空いてるから座ってもらって」
「はい、ありがとうございます」
三笠が指示された席に向かっていると春過は思い出したように尋ねた。
「あ、視力とかって大丈夫かな? その席だと、だいぶ黒板から遠くなっちゃうけど」
「あ、はい。大丈夫です」
「そうか。それならよかった」
三笠は答えながら机の脇に荷物を置く。――その瞬間だった。
「君、声かわいいね」
「……は?」
突然のことにびっくりし、思わず聞き返す。
すると声の主はもう一度言った。
「だから、君の声、いいねって」
「――っ!?」
三笠は頬がほてるのを感じながら、恐る恐る右隣の席を見た。そこにいたのは――。
「やあ、俺は
よろしくね、ミカサ」
少し茶色がかった髪の、明るそうな雰囲気の男子だった。爽やかな笑顔を浮かべながら、三笠の方に向かって小さく手を振ってくる。
「よ、よろしくお願いします。賀茂……くん」
「名前で呼んでよ。ハルって」
賀茂晴――ハルが片手を差し出してくる。
「じゃあ、ハルくん、よ、よろしく」
突然の名前呼びしてくる男子の出現に驚きながらも三笠は握手に応えるための手を差し出した。
――転校は初めてじゃない。でもこんなにもすぐに……こんなにも明るく声をかけてくれた人は初めてだ。
三笠は心の奥底に灯った仄かな温かさを感じながら、ハルの手を握り返した。
◇◆◇
朝の会が終わると、賑やかなクラスメイトたちが集まってきた。
「カモハルってば、またナンパ開始したの?」
「また、ってなんだよ! 転校生への挨拶だよ! 悪いか!?」
「まぁ、別にいいけど。てかそれより、天乃さん、よろしくね」
一人の女の子がニッコリと笑いかけてくれる。三笠も頷き返しながら、小さく挨拶を返す。
「新潟から来たんだ! 遠かったでしょ?」
「部活は何やってたのー?」
「天乃さん、よろしくねー!」
「三笠ちゃんって可愛い名前だね!」
男子も女子も関係なく、皆明るく三笠に話しかけてくれる。
「あ、天乃さん、一時間目は数学で移動教室とかじゃないから、席座っとけば大丈夫だよ!」
「あ、うん、ありがとね」
とりあえず時間割を教えてくれた子には感謝を述べ、三笠は筆箱を取り出す。
「ミカサ、教科書持ってる?」
「ううん、今日は何も持ってきてなくて」
「そっか。じゃあ俺の見せるよ」
ハルが教科書のページを示して、授業進度まで教えてくれる。その優しさに申し訳なさを感じつつ、三笠はお礼を言う。
「ハルくん、ありがとう」
――と、三笠がハルに笑いかけたその瞬間。左隣の席から聞こえてきたのは冷たい笑い。
「全く、転校初日から災難だな」
「災難……?」
ハルの方からそちらへ目を向ける。三笠の左隣の席に座っていたのは、冷徹そうな顔をした眼鏡男子だった。彼は三笠の目を見ながら続ける。
「よりによって、
「それは……」
否定できず、目を伏せる。
「こいつをすぐに信じるな、天乃三笠。あんまり本気にしない方が良い」
するとハルが眼鏡男子に対して言った。
「俺はお世辞なんか言わないよ。ミカサの声は本当にきれいだもん」
三笠は今度こそ本当に赤面した。
ーーハルくんは私の声を褒めてくれてる? なんで……。そしてハルくんとは反対の隣の席の男子は……さっきから、なんなのかしら。
「えっと……あなたは、誰?」
ただ名前を聞こうと思っただけなのに、予想外にも低くつっけんどんな口調になってしまう。
それを聞いた眼鏡男子の顔が、案の定、曇ったような気がして三笠は焦りながら謝ろうと口を開く。
「あ、いやっ、そのっ……すみま」
「あぁ。それは失礼」
三笠の言葉を遮り、眼鏡男子の方が謝罪の言葉を述べた。
「申し訳ない、名乗り忘れていた。僕の名前は
彼は薄く笑みをたたえながら三笠に向けて名乗る。
――あれ、怒ってない?
てかそれより、賀茂って名字……。
「気づいたかも知れんが、そこのハルの双子の兄だ。よろしく頼む」
「え、双子……!?」
明るそうな見た目の右隣の席の賀茂晴と、生意気で冷徹そうな左隣の席の賀茂明が――兄弟、しかも双子だったなんて。
驚いたように二人を見る三笠。
「えっと、右隣がハルくんで、左隣がアキくん」
「そう。ね、似てないでしょ?」
賀茂晴――ハルがニコニコしながら言う。
「僕らは一卵性双生児ではないからな。二卵性だったそうだ」
賀茂明――アキは冷静な眼差しで三笠を見る。
「双子に挟まれて窮屈かも知れんが、わからないことがあったら聞いてくれ」
「改めてよろしくね!ミカサ!」
「う、うん……! よろしくね」
賑やかなクラスメイトに迎えられ、席は左右を正反対な双子に挟まれ。
波乱に満ちた三笠の転校一日目は、騒がしく過ぎていった。