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056.明るい未来は

 自分の過去は自分が歩んできた道。鮮明に思い出せなかったとしても、密かに自分の記憶の根底に眠っているものだ。忘れていた過去を掘り起こされてもデジャヴのように感じるだけ。


 だけど彼女の過去は――他人である俺たちが知り得ないものだ。あいつがどんな人生を辿ってきたのか。それを全て知っているのは三笠だけであり、本来俺たちにはそこに踏み込む権利すらないはずだった。


 なのに、この呪鬼は。


 大呪四天王『玄武』は。


〈天乃三笠の過去の世界へ、ようこそ〉


 俺たちに、悪夢を見せやがったんだ。



 *



「あ、ミカサ、おはよー!」 


 テニスラケットを背負った少女――天乃三笠が駆けていく先には大きく手を振ってくる友人がいた。


「ユリカ! おはよう」


 三笠にユリカと呼ばれた少女は、同じようなテニスラケットケースを持ちながら曲がり角に立っていた。ユリカは、そのポニーテールにした髪の毛を弄りながら口を開く。


「今日、なんか暑いね」

「それな? まだ五月入ったばっかだっていうのに」

「え、今日五月?」

「そうだよ。さてはユリカ、気づいてなかったな?」


 そう、今日は五月一日。ミカサとユリカが中学二年生に進級してから、もうすぐ一ヶ月が経つ。


「どう? 新しいクラス慣れた?」

「んー、まあまあ。可もなく不可もなし」

「なるほど」

「そういうミカサはどうなの?」

「えー……まあ、楽しいけど、やっぱりユリカやスミレやアヤと一緒だった去年のほうが楽しかったかな」


「それはそうだよ」


 二人の背後から聞こえる第三者の声。ミカサとユリカが振り向くと、そこには件の友人二人が立っていた。


「スミレ! アヤ!」

「おはよ、ミカサにユリカ」


 低い位置でツインテールにして髪を結んでいる、明るい少女――スミレが微笑む。隣でショートカットのアヤも小さく手を振っていた。


「暑いね、こんな中部活やるの嫌だよぉ……」

「まあまあ、今日は土曜日! これが終われば明日は日曜日でオフだよ」

「じゃあ頑張るかぁ」

「でも嫌だよぅ」


 口では文句を言いながらも、学校へと向かって歩き出す四人。ユリカ、アヤ、スミレ――三人とも、三笠の大切な部活仲間である。愉快な友人たちに囲まれて、五月の日差しに照らされるアスファルトを歩く三笠は……とても楽しそうだった。


 明日は何する?

 サーブが上手くいかないんだよね。

 手首をこう動かすといいんだよ。

 へぇ、さすがユリカ。


 晴れ渡る空の下、かけがえのない仲間たちとお喋りしながら歩く。軽口をたたいて、愚痴って、たまに衝突して、それでもやっぱり一緒に居たくて。


 これを、幸せっていうんだ。


 ――でも。


 幸せって、すごく脆いんだよね。


 大切なものを失って初めてその大切さに気づく――そんな言葉を聞いたことがあるけれど、それは本当だった。私は、気づくのが遅かったんだ。


 こんな楽しい毎日が、明日も明後日も、その先もずっと続くと思っていて。私たちには明るい未来しかないと思っていて。


 こうやって笑い合える明日が来ないだなんて、私だけじゃなくて誰も予想してなくって。
















「ねぇ、なんか天気悪くなってきてない?」


 部活からの帰り道、ユリカがぽつりと呟いた。その声に顔を上げ、三笠たちは自分たちの家がある住宅街の方向を見る。彼女らの目に映ったのは、空に立ち込める暗雲。


「うわー、ほんとだ」

「雨降ってきそうだね」

「わっ、大変。うち、洗濯物干したままだったわ」


 アヤが走り出そうとする。


「え、アヤ。家に家族居ないの?」

「そう、居ないのよー。部活があるうちのことだけおいて、皆でお祖母ちゃん家行っちゃって」

「まじか! じゃあ早く帰って取り込まなきゃね」

「そーなんよ! ってことで、うち早く帰るね」


 じゃあねー、と手を振って駆け出すアヤ。三笠たちはその後ろ姿を笑顔で見送った。可愛らしいショートカットの少女が、背中のラケットケースを揺らしながら走っていく。その姿が曲がり角の向こうに消えた。


 ――その次の瞬間。


「キャァァァァァァァァァァ!」


 街路にこだまする高い悲鳴。それは紛うことなく、アヤが先程曲がっていった角の道から聞こえてくる。


「あ、アヤ!?」


 三笠とユリカとスミレは顔を見合わせて走り出した。

(なに、何が起きてるの……っ?)




 ――日常なんて、驚くほど脆くて。




 曲がり角を曲がったテニス部の女子中学生三人組が目にしたのは、無惨な光景だった。彼女ら以外に誰もいない路地に立っているのは、黒い和服を身にまとった背の高い男性らしき人影。黒い袴に黒い羽織。模様の一つも付いていない漆黒の衣、そこから覗く肌の色は対照的に真っ白だった。……青白いと言ったほうが正しいだろうか。


 そんな人影が、左手で掴んで持ち上げているもの――それは、アヤの身体。


「アヤっ!」


 その様子をようやく認識した三笠は叫んだ。スミレとユリカも、かろうじて声を絞り出す。


「それ、誰?」

「アヤ……?」


 あの男は誰だ。

 何故アヤを持ち上げてるんだ。


 男が掴んでいるのはアヤの、

 白くて細い首すじ――。





 ポタリ、ポタリ。


 滴の落ちる音がした。




「み、か……さ……、ゆり、ちゃん……、すみれ……


 来ちゃ、だめ…………」



 三笠の目が見開かれた。

(アヤがなにか言ってる……「来ちゃダメ」?)


 彼女の視線が持ち上げられているアヤの足の方へと向いた。アヤの影の下には――赤くて黒い血溜まり。


 血……?


 なに、なんなの。


 どういう、じょうきょうなの。


 なにもわからない、

 にんしきできない、

 しんじたくない。



 三笠たちが見ている中で、男はその左手をパッと離した。グチャ、とパシャ、という嫌な音がして、血溜まりへと崩れ落ちる友人の身体。その友人の首が、あらぬ方向へと曲げられているのを見て――。


「――――――――アヤっ」


 三笠たちのカラカラに乾いた口から、声にならない叫びが出る。それと同時に、男の光のない眼が彼女たちの姿を映した。







〈 やっと見つけた 〉


 男の、無表情な口元が小さく開いた。


〈 除の声主――未だ残っていたとはな 〉





 この男が――大呪四天王『朱雀』・哀楽。


 二〇二三年五月一日。

 天乃三笠と哀楽が新潟県糸魚川市で相まみえたこの日から、全ての運命の歯車は、より速く、より複雑に、より残酷に動き出す。

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