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0004 回想

おばあさんは、お盆に湯気の出る湯飲みを二つのせて持って来ると、その一つを僕に差し出した。


「どうぞ」


「ありがとうございます。う、うまい。これはなんですか」


僕はそれを受け取ると御礼を言って一口飲んだ。

体に染みこんでいくような、とてもおいしい飲み物だった


「ふふふ、それは塩湯じゃ。塩をひとつまみ、そしてグルをひとつまみ入れただけのものじゃ。山の食べ物だけでは塩分が足りんじゃろう。うまく感じるはずじゃ。普通の人なら何も感じ無い程度の塩味じゃが、神様にはうまかろうて」


「はい。すごく、うまいです」


僕は、あっという間に飲み干してしまった。


「さて、何から話そうかのう」


おばあさんはユウキの顔を見つめて、ゆっくり目を閉じた。


「……」


僕は黙って、おばあさんの続きの言葉をまった。


「あの日、ユウキは母親と姉と共に車に乗って買い物に行く途中じゃった。お母さんが運転して姉は助手席、ユウキは後ろの座席じゃった。その同じ頃、一台の車が細い一方通行の道を百キロ以上のスピードで逆走しておったのじゃ。運転手は事もあろうに大酒を飲んで酔っ払い、一次停止を無視して交差点に飛び出した。それが丁度ユウキ達の乗る車の横に飛び込んだのじゃ」


おばあさんは湯飲みのお湯を一口飲んだ。


「ユウキ達の乗る車は、吹飛ばされて過積載のトラックに突っ込んだのじゃ。運の悪いことに違法操業のトラックで、荷物が安全に積まれておらなんだ。トラックの荷物が運転席と助手席を押しつぶしてしまったのじゃ。苦しかったじゃろうて」


「そうですか」


僕は静かにその情景を思い浮かべた。


「ユウキは神様の加護があったのか無傷じゃった」


そう言っておばあさんは僕の顔を見つめた。

それは、僕が護ったと言っているようだった。

僕は首をゆっくり一度だけ振った。

違うという意思表示のつもりなのだが、おばあさんはにっこり笑ってうなずいた。


「だからこそ、ユウキはそれを幼い両目でしっかりと見てしまったようじゃ。突っ込んだ車の運転手もトラックの運転手も外国人じゃった。運転手達はユウキの家族の救助もせずニヤニヤ笑いながらたばこを吸って、ユウキ達のつぶれた車をながめていたそうじゃ。反日の人じゃったのかのう。近くにいた人が救急車と警察を呼んでくれたそうじゃ。助け出された時のユウキはまばたきが出来なかったそうじゃ。泣くどころか声を出すことも出来なかったと言われた」


おばあさんは、また湯のみを口に運び僕の表情を見た。


「……」


僕は何も言えなかった。

そして、ぐっすりねむっているユウキの顔を見た。

異世界人の僕が見ても整った美しい顔をしている。


「ユウキの父親も同じ頃、仕事で車を走らせておったのじゃ。広い国道の交差点まで来て赤信号で停車し青信号になるのを待っておったそうじゃ。ユウキの父親の運転に落ち度はなかったと聞いておる。真面目な良い父親じゃった。反対車線を外国の高級車が二百キロを越えるスピードで走ってきてハンドル操作を誤り、中央分離帯に乗り上げジャンプして、ユウキの父親の運転する車の運転席に突き刺さったのじゃ。即死だったそうじゃ。それがわしの息子の最後じゃ」


おばあさんは、ポロリと涙を落とした。


「…………」


僕は、やはり何も言えなかった。


「そうじゃ、お替わりを持ってこようかのう。神様はわしの湯のみばかり見ておる。わしの湯飲みには白湯しか入っておらんからのう」


おばあさんは台所に行き、僕にお替わりの塩湯を持って来てくれた。

僕はおばあさんの話を聞きながら、おばあさんの湯飲みばかりを目で追っていたようだ。

恥ずかしくて、頬が熱くなるのがわかった。

でも、話は全部聞いていましたよ。

おばあさんは僕に塩湯の入った湯飲みを渡すと、また話し始める。


「わしは、年金暮らしじゃ。月に四万円弱をもらっておる。電気代、水道代、電話代を支払い、月に二回移動スーパーで煮干しと昆布、塩と砂糖を買うとなんぼも残らない。田んぼと畑があるから何とか生活できておるのじゃが、ユウキの将来のお金がちっとも貯まらない。この村はみんな同じような貧乏集落じゃ。隣の爺さんが生活保護を申請するため苦労をしておったのじゃが、結局許可が下りなかった。神社にほら、横にしっかり枝をはった木が一本あるじゃろう」


「あーあれですか。ありますねえ」


「その木は首を吊るのにちょうどいいから、この村では首吊りの木と呼ばれておる。その木で隣の爺さんは首を吊って死んでしまったよ。この村の死因は自殺が一番多い。わしも爺さんが亡くなってからは、体が動かなくなる前にそうしようと考えておった。体が動かなくなると皆に迷惑がかかるからのう。じゃが、いざ死のうと思うと、覚悟がなかなか出来ない。ずるずると生き延びてしまった、情けない事じゃて」


「お、おばあさん……」


僕はおばあさんが、悲しげで疲れた表情をしていた意味がわかった気がした。


「ふふふ、笑えることにユウキの家族を奪った外国人達には、生活保護や外国人だけ特別の年金が支払われ、贅沢な暮しをしておったようじゃ。日本人の貧乏な老人には支払われないのにのう。外国人達は、そのお金で高い車を乗り回し乱暴な運転をする。日本人は車を運転しているときは、保険というものに入っておる。じゃがのう、ユウキの家族は保険に入っていない外国人に命を奪われた。ふふふ、色々話したがユウキには何のお金も支払われないことになったのじゃ。それどころか相手の外国人達には何の罪にも問われない事になったのじゃ。国の方針で外国人は特別に優遇されているのじゃそうじゃ。わしもユウキも弱者じゃ。いつしかこの国は弱者に手を差し伸べることの無い国になったようじゃ。近いうちに日本人は迫害されて、この国にまともに住めなくなるのかもしれんのう。アメリカのインディアンのようにのう……」


おばあさんは、くやしそうにユウキの顔をのぞき込んだ。

おばあさんは般若の様な表情をしていたが、ユウキの顔を見ると少しやさしげな表情にもどった。


「ユウキの母親も、親類縁者がいなかったのでな、ユウキの肉親はわしだけじゃった。じゃからのう結局わしが引き取るしかなかった。最初にここに来た日は、ユウキの顔を見て途方に暮れたのじゃよ……」


おばあさんは黙り込んだ。

僕はおばあさんが、ユウキと二人で首吊りの木の所に行こうとしたことを直感的に感じ取った。

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