「ぐはっ、許してください」
「ん~? 早く誰がこの指示したか吐いてくれない? こっちは時間ないんだよね」
「っ……知らない!」
「はぁぁぁ、お迎えに遅れるじゃん! もういいや、後やっといて」
「は、はい!」
「っ……ゆるして」
多部は目の前で死にたくない! 助けてくれ! と懇願する男性を一瞥すると部下に押し付け、急いで身支度をする。
「らしくないな、こんな気持ちになるなんて」
自身の気持ちの変化に失笑しながらも、ここにいる部下が見たら卒倒しそうなほどの優しい顔で笑いながら屋敷の玄関を後にした。
――――――
連夜からの命令で佐倉の監視役として、共に自宅で共に生活するようになり毎日意識しないように過ごす多部だったが、その目は自然と金色のヒヨコを追いかけていた。
正直初めは多部も戸惑いを隠せなかったが、共に生活をしていると嫌でも佐倉の事を知ることになる。
天真爛漫な性格、取り繕わない屈託のない笑顔、その中に相手を気遣う心、可愛い顔に真ん丸おめめ……それに金髪のふわふわヒヨコ頭。
リンゴジュースの一件以来、知らず知らずのうちに多部は佐倉という存在にどんどん惹かれていた。
想の店で初めて出会った時は鬱陶しいくらいにグイグイくる佐倉だったが、一緒に住むようになってからは多部が嫌々この生活をしているのではないかと勘違いしているようで、毎日「おはよう」と「おやすみ」の挨拶をすると、それ以外はほとんどリビングへは出てこない。
多部は佐倉が引け目を感じているのだと早い段階で気付いていたが、急に多部の方から距離を詰めようとグイグイいって引かれるのも
しかし、本心はもっと色々な話をしたいと思い始めていた。
これは、想と出会った時とはまた違う感情。
佐倉に関しては守って、甘やかして、ずぶずぶに依存させて……誰にも渡したくないという独占欲がふつふつと多部の心の奥で燃え始めていた。
「まずは逃げられないようにしなきゃね。さて、どうしよっかな~」
多部は佐倉の資料を何度も読み返し、どのようにして自分の手中に収めるかを知らず知らずのうちに毎日のように考えていた。
こうして虎視眈々と獲物を捕まえるべく、多部は全ての準備を始めたのである。
――――――
「あ、佐倉~遅かったから迎えに来たよ?」
「っ……た、たべちゃん? な、なんで」
「ん~迎えにきたかったからかな」
「っ」
佐倉を迎えに来た多部は、焦っているふわふわヒヨコをみて口角が自然と上がり、心底自分のモノにしたいと思っていた。
「何か……多部ちゃん悪い事考えてる?」
「なんで?」
「なんとなく」
「ふふふ」
この企みが悪いことではないはずだと多部は思っていたし、表情に出さないようにしているのにも関わらず何故か佐倉には鋭く気付かれる。
でも、そんな佐倉でも今の多部の気持ちは分かるはずも無かった。
「佐倉の事考えてただけだよ?」
多部がニコリと微笑むと、その瞬間、顔がどんどん赤くなる佐倉を見て多部は内心ニヤニヤが止まらなかった。
「ふふふ、顔真っ赤だけどどうしたの?」
「……っ、な、なんでもないよ! 暑いからかなぁ~」
「ほんとに?」
しばらくじっと多部は恥ずかしがる佐倉を眺めていたが、その目の奥には独占欲の炎が立ち上がっていることに佐倉はまだ気付いていなかった。
そして、今夜それが分かった時にはもういろいろと手遅れだったことも。
◇◇◇◇
多部は先ほど佐倉が書いた契約書のサインをうっとりと眺めている。
タイミングが一歩でも間違っていたらこの契約書は無効になっていたかもしれないと多部の脳裏に一瞬浮かんだが、結局どうにかして手に入れていただろう。
「もうこれで逃がしてあげないよ?」
誰もが見惚れる程美しく微笑むと、契約書を書斎の金庫へとしまい込んだ。