リュカエルから詳しい話を聞いたカラスは、それからしばらくの間、黙り込んでいた。
だが、やがて顔を上げるとカラスはリュカエルに向かって「わかった」と一つうなずいた。
カラスには欲というものがほとんどない。
食欲も睡眠欲も性欲も物欲も同年代の男と比べると無に等しい。
おそらくは幼い頃から殺し屋として生きてきたことによる影響なのだろう。
だが、そんなカラスにも叶えたい願いがあった。
それは実の両親との再会だった。
しかしながら、あらゆるツテをあたって調べた結果、カラスの両親はすでにこの世を去っていることが判明している。
なのでカラスの唯一無二の願いは絶対に叶わないものだとカラス自身諦めていたのだが、リュカエルとの出会いによって、そこに一筋の希望の光が灯ったのだった。
『では契約じゃ』
「……?」
『ほれ、わらわの手の上にお主の手を重ねるのじゃ』
うながすリュカエル。
とりあえず応じるカラス。
手を伸ばし、リュカエルの手に触れようとしたその瞬間、まばゆいばかりの白光が二人の体を包んだ。
――そして光がおさまり、
『今ので契約成立じゃ』
リュカエルが満足げに微笑むと次の瞬間、その姿が一瞬にして消えた。
カラスは驚き、あたりを見回す。
するといつの間にか、カラスの背後に一人の女が立っていた。
その女はにこやかにカラスをみつめている。
年齢は20歳くらいだろうか。
身長はカラスよりやや低い程度で、女にしては筋肉質な体つきをしていた。
髪の色は赤みを帯びた茶で、肩にかかる程度の長さだ。
瞳の色も同じく茶で、目鼻立ちはくっきりとしている。
そして服装もまた、赤色と茶色を基調にしたものだった。
「あ、あの……?」
『何を呆けておる。わらわじゃ、わらわ』
「お、お前……リュカエルなのか? 翼は? 天使の輪はどうした?」
『一時的にお主にわらわの力を授けたせいでのうなってしまったわい』
言いながらリュカエルはカラスに抱きつく。
そして頬と頬を寄せた。
カラスは戸惑うばかりだった。
これまで裏の世界で殺し屋稼業をしてきたカラスにとって、女性に優しく抱きしめられた経験など皆無だったからだ。
しかし、それでもカラスは冷静さを保つ。
「……これはなんのつもりだ?」
『さっきまではお主以外の人間にはわらわの姿は見ることが出来なかった。それにわらわはお主に触れることも出来んかったが、今の姿ならばそれらもすべて可能なのじゃ』
けらけらと笑みを浮かべるリュカエル。
天使の時の姿とは打って変わって表情が豊かである。
まるで幼い子どものようだ。
「それより、お前の力を俺に授けたってのはどういうことなんだ?」
やんわりとリュカエルを引きはがしてから、カラスは気になったことを訊ねた。
『天使は人間より高度な生き物じゃ。その気になれば人間など念じただけで殺せてしまう。しかしそれではせっかくの代理戦争に横槍を入れる天使が現れんとも限らんじゃろ。だからわらわたちは代理戦争に参加させる人間と契約をして、天使の力を一時的にじゃが放棄する決まりにしたのじゃ』
「なるほどな。ってことは代わりに俺が天使の力を使えるわけか?」
『いや、それは無理じゃな』
予想とは違う答えにカラスは虚を突かれる。
『天使の力は人間には高度過ぎて、まず使いこなせんじゃろうからな』
「ふーん、そうなのか」
がっかりしている自分に気付き、カラスは自分にも子どもじみた感情がまだあったのだと自覚した。
とそこへ、
ウォォォー……ン!
どこからかお昼を告げるサイレンが聞こえてきた。
それと時を同じくして公園に人があふれてくる。
「ところで、代理戦争に加担している人間はどうやって探せばいいんだ?」
神に仕えていた天使が七人。すなわち、代理戦争に参加する人間の数も七人。
カラスを除くと人間はあと六人。
公園のベンチに腰掛けながら、カラスは周りの人間には聞こえないようにリュカエルに問いかける。
それを受け隣に座ったリュカエルは、
『探す方法などないのじゃ』
あっけらかんと言い放った。
「は? じゃあどうやって相手をみつけるんだ? 探せないんじゃ戦いようがないだろ」
カラスは怪しむように眉根を寄せる。
だがリュカエルは涼しい顔だ。
『参加者同士は磁石の磁力のような力でお互いを引きつけ合うのじゃ。だから近いうちにおのずと出会うことになるじゃろうて』
「なんだそりゃ。じゃあこの代理戦争はいつ終わるかわからないじゃないか」
『そうじゃな。しかし探せはせぬが、見分ける方法はあるぞい』
とリュカエル。
『天使と契約した人間は頭上に光輪があるのじゃ。お主はそれを見て代理戦争に参加している人間だと判断すればよい』
「光輪?」
『天使の輪のことじゃ。ほれ、お主の頭の上にも浮いておるじゃろ』
言われてカラスは目を上に向けた。
するとたしかにカラスの頭の上には天使の輪が光り輝いていた。
『というわけじゃ。時間はかかるじゃろうが、まあ気長にやればええじゃろ』
「気長にってなあ、この世界には人間が60億人もいるんだぞ」
『ふふふ、そうじゃったな』
他人事のように微笑むリュカエルを目の当たりにして、カラスは途端に緊張の糸が切れた気がした。
もしかしたら自分が生きている間に決着などつかないのではないのか。
そのような考えも頭に浮かんでいた。
『それより腹が減ったのう。カラスよ、とりあえず昼食にするとしようかのう』
「……一応訊くが、お前金は持っているのか?」
『逆に訊くが、わらわが日本円を持っていると思うておるのか?』
「ちっ……まったく」
神選びをかけた代理戦争が終わるまで、こいつは俺に寄生し続けるつもりじゃないだろうな……。
カラスはそう思うと腹が痛くなった。