降りた先は、上階とは打って変わった様相を呈していた。
「これって〝ヒカリゴケ〟か?」
淡く光る緑色の苔が、そこかしこに群生していた。
「アタシ始めて見たよヒカリゴケ」
「オレもだ。師匠の資料でしか見たことなかったからな」
これならカンテラは要らないなとその場に置いていく。
二人は周囲に敵が居ないことを確認すると、一旦この場で休憩を入れることにした。
「そういえば今何時頃なんだろうねぇ」
「上の階で結構時間食ったからな……」う〜んと伸びをしながら、「そろそろ夕方くらいにはなってるんじゃないか?」
「どうりでお腹が空くわけだぁ……」
「時間って言えば、ギルドの方はどう動いてんのかな」
「ああ〜。そういえばあのおっちゃんが知らせに行ってたんだっけぇ」
「まぁ、どのみちあてには出来ないだろうしどうでもいいか」
「そだねぇ」
「んじゃそろそろ行くか」と立ち上がる。
「早く帰ってご飯を食べたいよぉ……」
リュックを背負い、マルティナは長剣を背負い直して歩き出す。探索再開だ。
それからどれくらい経っただろうか。迫りくる魔物を倒しては魔核や部位を回収し、一通りこの階のマッピングが終わったところで、一つの難題にぶつかっていた。
上階で遭遇したシフティング・ウォールのような面倒臭い――いや、ある意味これもかなり面倒なのだが、そんなしろものじゃない。
今二人は一つの扉の前で立ち往生していた。
その扉は他の部屋のものよりひときわ大きく、そして頑丈そうだった。ドアノブの下には、上階で戦ったオルコが人差し指を突っ込めるほどの、やけに大きな鍵穴があった。しかも手鏡を通して鍵穴を覗いた結果、そこに爆発系の魔導具が仕掛けてあることが分かったのだ。
「よりにもよって爆発系かよ……」小さく舌打ちする。
「難しいの?」
「ああ。オレは作るのは得意だけど、この手の解除はあんまり得意じゃないんだよな」
師匠の訓練を思い出す。実物の爆発物――もちろん威力は爆竹程度のものだったが――を使った訓練で、よく失敗して怒られていた。
「じゃぁ、いっそのこと爆破しちゃう?」
「それも一つの手ではあるけどな……爆発の規模が分からないから却下だな。下手すりゃこの階が崩れて生き埋めになりかねん」
とはいえ他に取れる方法は一つしか無い。ベッキーは覚悟を決めたように扉の前にしゃがみ込んだ。右手の小型のクロスボウと一体化した籠手を外し、腰のポーチからピッキング・ツール――ボックルに特注して作ってもらった一品――を取り出し一度深呼吸すると、ゆっくりと息を吐き出し鍵穴に挑む。
「…………」マルティナがハラハラしながら相棒の作業を眺めている。口を押さえているのは、「がんばれぇ」と声をかけて邪魔しないようにだろう。
鍵はなかなか開かない。
額に浮かんだ玉のような汗が、その難易度を物語っていた。
――カチャッ
と何かが外れる金属音が鳴る。
「解除できたんだねっ」マルティナが諸手を挙げて喜びを表す。
そんな妹にベッキーはニッコリと微笑むと、次の瞬間焦った表情を浮かべるなり、「逃げろ!」と叫んだ。
ほうほうの体で慌てて扉の前から逃げ出す二人。
その時、背後でキンッと澄んだ音が鳴り響いたかと思うと、次の瞬間もの凄い爆発音と共に頑丈そうだった扉がいとも容易く吹き飛んだ。
ヘッドスライディングの要領で頭から滑り込むように伏せた二人のギリギリ真上を扉が飛び越えていく。もう少し伏せるのが遅かったら背中に直撃していたに違いない。
「………………」
「………………」
手足をピンと伸ばした状態のまま無言で伏せ続ける二人。
しかしその沈黙に耐えきれなくなったのかベッキーは「すまん」と短く詫びた。
※ ※
「天井が崩落しないでよかったね。姉ちゃん」
「そ、そうですね……」どこか棘のある相棒の声音に、思わず目を明後日の方向に逸らしながら敬語で返す。
しばらくはこのネタでイジられそうだな、と心のなかで嘆きつつ天井を見る。未だに小粒な石が落ちてきてはいるが、崩壊には至りそうになかった。
そして肝心の扉の奥には、
「また何も無ぇっ」
広さは八畳くらいだろうか。そこかしこに群生しているヒカリゴケと、反対側の壁に、これもまた爆風でやられたのであろう壊れかけた扉が一つだけの部屋があるだけで、
苦労に未合わないにも程がある。
思わず泣きそうになるが、そこはグッと堪えて反対側の扉を開ける――というか
その通路を慎重に進んでいく。先程の爆発音が、魔物をおびき寄せている可能性が高いからだったのだが、待てど暮らせど何も現れず、そしてマルティナの索敵にも何も引っ掛からなかった。
「今度は上かよ」
それもその筈で、その通路の先にあった扉のそのまた先は、上階に向かう階段になっていた。
階段の先にあった扉を開くと、そこは最初に踏み込んだエリア同様に真っ暗だった。
「こんなことならカンテラ置いてくるんじゃなかったな」
とはいえ後の祭りである。諦めてリュックから取り出した二本の松明にそれぞれ火を付ける。その内の一本をマルティナに渡し先へ進む。
「姉さん。オルコ一体、ゴブリン六――」マルティナが敵の接近を告げる。だが完全に言い終わる前に何かを長剣で弾いた。「弓持ちが居るっ」
二人はすぐさま松明を前方へ投げつけた。相手は夜目が効く。そのままではいい的になるだけだからだ。
それに松明の火はこれくらいでは消えない。二つの松明の明かりが敵の姿を浮かび上がらせる。そこに一体の弓持ちの姿を捉えたベッキーは、相手が次弾の矢を
そしてその頃には、マルティナは魔物を長剣の範囲内に捉えていた。長剣が松明の明かりに閃くたびにゴブリンの首が飛ぶ。
結局それ以上の援護射撃を必要としないまま、最後に残ったオルコも断末魔の叫びとともに地に伏していた。
「おつかれさん」パンッとお互いの掌を叩きあう。
魔物から回収するものを回収すると、松明を拾いなおも先に進む。
いくつかの部屋を見つけたが、やはり目ぼしいものは何も発見できなかった。
「まったくどうなってんだこの迷宮は」お宝が一つもありゃしねと憤慨するベッキー。「やっぱりあの話は本当なのか?」
「どんな内容なの?」
「いつだっか酒場で聞いた話なんだけどな。『
「ふ〜ん……じゃぁ、ここにお宝が無いのはぁ、」と続きをベッキーに振る。
「おびき寄せる必要がない。もしくは、」そこで渋面を浮かべ、「そのためのお宝が無い。ってことになるな」
「それは嫌だねぇ……」
「まったくだ」
そして更に部屋を虱潰しに調べていった結果、見つけたのは階下に続く階段だけだった。
降りた先は最初に降りたエリア同様に、ヒカリゴケが生えていた。しかし群生とまではいかないためか、松明が必要なほどではないが、かなり薄暗い。
ひとまずここでも休憩を挟み、先を目指す。
出会う魔物は相変わらずオルコや、ゴブリンだけだった。ひょっとしてここは奴らの住居なのではないかと疑いたくなるくらいだった。
「やっぱ何も無ぇな」
いっそ清々しいくらいに殺風景な部屋ばかり。もはや自分たちが何をしにこの
そんな薄暗い迷宮を進む二人の前に、いかにも頑丈そうな鉄の扉が現れた。ドアノブの下には普通サイズの鍵穴が付いている。
「また鍵穴かよ」別エリアでの失敗が頭を過った。
うんざりしつつも、取り出した鏡で鍵穴を確認する。どうやら罠の類はなさそうだった。
しかし施錠はされているようで、ベッキーは扉の前にしゃがみ込むとさっそく解除に取り掛かる。カチリという音ともに鍵が開く。
扉を押し開けると、そこはこれまでと同様に殺風景な部屋だった。反対側にこれまでと同じような木製の扉が一つあるだけで、やはり他には何一つ見当たらない。
「やっぱりな〜んにも無いねぇ。あの扉の向こうが通路なのかな」
マルティはそう感想を述べると、反対側の扉を開けようとした。
「待てっ、そいつは
マップを見ていたベッキーが何かに気が付いたのか、慌ててそれを止めようと声を上げる。が時既に遅く、
――カチッと扉の向こうで何かが外れるような音が聞こえたかと思うと、それとほぼ同時に、部屋中が不気味な振動で満たされた。
マルティナはその声に振り向きかけて仰天した。なんと、左側の壁が見て分かるほどの速度で、こちらへ向かって押し寄せてくるではないか。マルティナは慌ててベッキーの下へ逃げ戻った。
しかし入口の扉を前にして、詰んだという思いに駆られた。さっきまで確かに開いていたはずの扉は、いつの間にか閉ざされ、どうやっても開こうとしないのだ。二人で体当たりをし、押し破ろうと試みたが肩を痛めただけで徒労に終わった。
「姉ちゃん、なんとかして〜!」
マルティナは絶望的な思いで、両手両足を突っ張って壁の前進を阻もうとしてみたが、それも無駄なあがきに過ぎなかった。その間にも刻一刻と壁は迫ってくる。このままでは、二人共あとわずかな時間で薄切りのベーコンのように潰されてしまうだろう。
「もう無理ぃっ」
マルティナがついに支えるのを諦め死を覚悟した時、ベッキーが声を上げた。
「マルティナっ、こっちだ!」
彼女が振り返ると、ベッキーが右側の壁に見つけた抜け穴を指さしながら、手招きしていた。
地獄に仏とはこういう事を言うのだろう。マルティナは大慌てで床下に口を開けたトンネルへと潜り込んだ。それに続いてベッキーも潜り込む。
しかしここで問題が起こった。
「おいっ、早く前に行け! オレが入りきれないだろう!」確かにベッキーの腰から下がトンネルの外に出てしまっている。
「胸がつっかえて動けないぃぃっ」
「だから
「言われてないし、捥げないよ!」
「んなこたぁどうでいいんだよっ。早くしないと壁が尻に触れそうなんだよ!」
「姉ちゃんの尻に触っていいのはアタシだけぇぇぇぇっ」体をよじりながら少しずつ前に進む。
「馬鹿なこと言ってないで急げ! 足が、足が潰れる!」ベッキーは悲痛な叫びを上げながらアルティナの尻をグイグイ押した。
「あンっ、そんなにされたらイッちゃうぅっ」
「その前にオレが逝っちまうだろうが!」
とその時。マルティナが伸ばした腕が何か突起物に触れたと感じたその瞬間。カチッというまた何かが外れる音がした。
「おい、今の音はなん――」何だと言いかけたところで、不意にトンネルの床が抜けた。慌てて何かに掴まろうとしたが、トンネル内にそんなものはなく、二人は叫び声を上げながら穴の中へと吸い込まれていった。
穴はぐねぐねと折り曲がりながら下降してゆき、二人は猛烈な勢いで滑り落ちていく。
やがて二人は硬い石畳の上に放り出された。幸いなことに二人共たいした怪我は負わなかったが、ベッキーは尻を強かに打ち付けて悶絶していた。
「クソっ、今日は碌でもない日だな。ここどこだよ?」
悪態をつきながら立ち上がる。
「そんなことより、囲まれてるよ姉さん!」
素早く長剣を抜き放ち、マルティナが言葉を返す。
「ほんと碌でもねえなっ」
二人が運ばれてきた場所は、ずらりと並んだオルコの群れの真っ只中だったのだ。初めこそ突然現れた二人に戸惑っていたものの、今にも襲いかからんと身構えている。
「姉さん。援護よろしく」そう言うや、手近のオルコに斬りかかる。
「今のオレは機嫌が悪いんだ。目にもの見せてやるから覚悟しやがれ!」
ベッキーは不敵な笑みを浮かべると、閃光手榴弾のピンを引き抜いた。