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第18話:師匠①

 わたしはもともと姉が嫌いだった。


 わたしよりもずっと賢く。


 わたしよりもずっと健康的で。


 それに引き換えわたしの頭は平凡で。


 健康面に至っては隣に住むおばあちゃんの方がずっと元気だった。


 双子だというのにこの違いはいったい何だというのだろう。


 これではまるで、わたしが姉の出涸らしみたいじゃないか。


 それにお父さんを独占しているのも気に食わない。


 代わりにわたしはお母さんを独占していたが、それはわたしが病弱で傍に付いてくれているだけにすぎない。


 それはわたしが望むものとはかけ離れていた。


 姉のあの幸せに満ちたあの笑顔を見る度に、わたしの中でドス黒い何かが大きくなっていくのを感じる。


 それが、殺意にも似た感情に変わった。


 あの日、あの女が風邪をこじらせたりしなければ、あんなことにはならなかった。


 お母さんがクエストに参加してさえいれば。


 そうすればお母さんだって……!


 姉が――あの女が憎い。


 あの女さえ居なければ、わたしは幸せでいられたのに!


 死ね。死んでしまえベアトリス!


 わたしの前から消えてなくなれ!



※ ※



「勝手に入ったら怒られるよぉ」


「知ったことか。そもそもその本人が居ねぇだろ」


 それは師匠の書き置きを見つけたその翌朝のこと。ベッキーはその内容にあった〝и〟の謎を追うために二階の部屋で探しものをしていた。


 そこは普段から勝手に入るなと言われていた師匠の私室だったが、〝и〟という何と読むのかさえ分からないこの文字のことを調べるには、まずはここしかないと踏んでのことだった。


 というのも、ベッキーはどこかでこの文字を見たことがあった気がしてならなかったからだ。この家でこんな謎だらけの文字を目にする機会といったら、この部屋の書物以外に考えられない。


 昨晩はさすがに疲労からくる眠気には勝てず寝てしまったが、今朝は朝食もそこそこに、今の今までこの部屋に籠もっていた。


 足の踏み場もないほど乱雑に積み上げられた本やら、地図に資料の山。


 マルティナはその内から手近にあった一冊の本を手に取ると、見るともなしに見る。それはかつて女神と魔王が死闘を繰り広げたとされ、今もなお多くの魔族が住む呪われた地『魔族領』を挟んだ、こことは反対側の大陸『アメリア』の言語で書かれた書物だった。


「うへぇ〜……」


 何と書いてあるのか分からない上に、文字がびっしりと並んだページを見るなり渋面になるマルティナ。


 彼女は大の文字嫌いであった。もちろんクエストの内容や、生活で必要なだけの識字力は持ち合わせているが、姉のベッキーと違い読書を苦手としていた。


「アタシは鹿狩りにでも行ってくるねぇ」


「おう」


 本と向き合ったまま気のない返事を返すベッキーに、マルティナは呆れたように肩を竦めてみせると部屋を後にしたのだった。


「これも違う……」


 そう言って次の本に手を伸ばし、ふと部屋をぐるりと見渡す。


 それにしても、よくぞここまで大量の本を集めたものだと感心する。


 実際この世界には『活版印刷』の技術はない。すべてが手書きなのだ。しかも〝紙〟そのものが決して安いものじゃない。そのため本一冊で金貨が数枚飛ぶことも珍しくないにも関わらず、それをこれだけ集めてきたのだ、その情熱や努力には並々ならぬものがる。


 改めて師匠の凄さを感じながら、手に取った本を開く。


「――ん?」


 開いた拍子に何かが紙と紙の間からひらりと落ちた。拾い上げたそれは何とも奇妙な――いや、それそのものが奇妙というわけではなく、本の所有者の性格を考えると奇妙に思えてくる、そんな代物だった。


 それは、押し葉だった。


 押し花ではないところが師匠らしいといえばらしいが、それはともかく。


「この葉っぱって確か――」手に持ったそれを返す返す見やる。「トリカブトの葉の部分だよな。何でまた」


 不思議に思いながら、葉が挟んであったであろう頁を開く。


「――あっ」


 そこに書かれていた短い文章に昔の記憶が蘇る。それは寒い冬の最中――師匠と初めて出会った日の記憶。


 そこには師匠の手書きで、『小さな勇者の戦利品』と書かれていた。



※ ※



 ベッキーたち双子は、ここ『ユーシア大陸』の北。東西に長く連なる山脈をを越えた先にあるヤクー村で生を受けた。


 両親は共に冒険者で、ランクは二人とも鉄等級だった。日々の稼ぎは、家族四人で暮らすには少々心もとないものではあったものの、慎ましくも笑いの絶えない家庭環境で二人は育った。


「父さん、父さん。また冒険のお話聴かせてっ」


「ベアトリスはほんとうに冒険の話が好きだな」


 ベッキー――ベアトリスは好奇心旺盛で、よく父親にその日にあった冒険談をせがんでは、喜びや興奮を全身で表す溌剌はつらつとした子供だった。


「具合はどう? ご飯食べられそう」


「大丈夫だよ母さん。今日は調子いいから……」


 かたや妹のマルティナは病弱な子で、両親がクエストで不在の際はよくベアトリスや、近所のおばちゃんに面倒を見てもらっていた。




「ジュリアっ、ジュリアはいるか!」


 それはベアトリスが珍しく風邪をこじらせ高熱で臥せっていた日のことだった。


 その看病をしていた母親の下に、青年団の男が血相を変えてやって来た。その声にこれは只事ではないと感じたジュリアは、急いで扉を開けた。


「どうしたのカルロっ、あなた血だらけじゃないっ」


 ジュリアの目が驚愕に見開かれる。男の服は所々に真新しい血が付着していた。


「これは俺の血じゃない。それより早く来てくれっ。アドルフォさんが――」


「っ!?」


 ジュリアはその名を聞くやいなや、カルロが言い終わる前に家を飛び出していた。慌ててその後を追いかけるカルロ。


 村の入口には人集ひとだりができており、遠目にも皆が混乱しているのが分かった。


 全身の血が一気に引くような感覚を覚えながら叫ぶ。「アドルフォっ」


 その声にいち早く反応した村長が「おお、ジュリア。むごいことじゃ――」と声を詰まらせる。


 その声が聞こえているのかいないのか、反応すること無く人垣の中心へと駆け込む。


 そこには全身血まみれの男が一人倒れていた。


 ジュリアは今度こそ貧血を起こしたようにふらついた。そこをカルロに支えられながら男の傍に膝をつく。


「アドルフォっ」もう一度男の名を呼ぶ。


 何に襲われればこうなるのだろうか。アドルフォは鎖帷子の上に鋼鉄製の胸鎧ブレストプレートを身に着けていたが、左肩口から抉るように付けられた爪痕に切り裂かれ、まったく防具としてのていを成していなかった。その傷は肺にまで達しているようで、傷口からは肋骨が覗いている。


 これはもう助からない――誰の目にもそう映った。


「ポーションはっ、ポーションは無いのっ?」


 それはジュリアの目にも同じであったが、それでも愛する夫を助けたい一心で村人に訴えかけた。


 しかし誰も彼もが申し訳無さそうに目を逸らすばかりで、誰も動こうとはしない。いや、動けなかった。実際にこの村にはポーションが残っていいないのだ。持っていた分は既に使用してしまった後で、それでもなおこの酷い有り様なのだ。仮にこれから傷薬ポーションを手に入れられたとしても、到底間に合うとは思えない。


 夫の手を取ってなおも名を呼びかけ続けるジュリア。その双眸からは滂沱の涙が流れ出している。それを見守るしかない村人の中からも嗚咽が上がっていた。


 その呼びかけに反応したのか、ジュリアが握るアドルフォの左指がピクリと動いた。


「アドルフォっ」もう一度呼びかける。


 するとどうだろう。うっすらとではあるがアドルフォが目を開けた。


「じ、ジュリア……」微かにではあるが、絞り出すように妻の名を呼ぶ。目の焦点があっていない。見えていないのだ。


「ここよ! ここに居るわ!」


「す……ま、ない」スッとアドルフォの手から力が抜け落ちる。


「アドルフォ? アドルフォォォォッ! 嫌ァァァ!」


 ジュリアはアドルフォの亡骸に取り縋って泣いた。未だ溢れ出る血に服が汚れるのも構わずに、その体をギュッと抱きしめ涙の限り泣いた。


「お父さん……?」


 その声に誰もがハッとなる。声のする方を向けば、そこには一人の幼い少女が素足のまま呆然と立っていた。


 カルロは慌てて少女の目からアドルフォを隠すように立つ。「見ちゃ駄目だっ、マルティナ」


 しかしその幼い瞳は見てしまった。血の海に沈む父の姿を。聞いてしまった。母の心からの慟哭を。


 それは幼い心に深い傷を残すには十分な体験だった。


「――――っ!」声にならない叫び声を上げると、まるで糸の切れた人形のようにその場で崩折れた。


「マルティナっ」カルロがその体を咄嗟に受け止める。少女の閉じられた瞼からは、一筋の涙が零れ落ちていた。


 アドルフォの弔いは、その日の内にしめやかに営まれた。


『送り火の儀』遺体を火葬にし、その魂が迷わず天に召されるよう〝聖なる火〟の守護者たる女神アーシャに願い奉る――この村に伝わる古い風習だ。


 これはマナ汚染によるゾンビ化を防ぐ意味も含まれていた。ゾンビ化を防ぐ手段は大まかに二通りあり、それが火葬である。もう一つの方法は首を撥ねることだが、アドルフォの遺体にそんな真似ができる者など、この村に一人としていはしなかった。


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