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第19話:師匠②

 あの日から一年が過ぎた。


 双子が七歳を迎えたその年。今度は母ジュリアが亡くなった。


 死因は過労だった。死んでしまった夫の分も稼ごうと頑張りすぎたのだ。


 もしかすると、夫を殺した魔物に復讐しようという心を押し殺すためだったのかもしれない。


 とにかく遮二無二に働き過ぎた結果体調を崩し、いともあっさりと帰らぬ人となってしまった。


 しかも不幸はここで終わらない。


 二人は、近隣の町ルホクにある孤児院に預けられることになったからだ。


 ヤクーはもともと貧しい村だ。


 初めはカルロが二人を育てると志願したが、誰の目から見てもそれが無理なことは明らかだった。


 馬車の荷台に乗り込む二人に涙する人も居た。


 不甲斐ない俺を許してくれとカルロは詫びた。


 しかし今の二人の心には、何も響くことは無かった。


 馬車で揺られること約一日。ルホクの町に到着した。その間二人は終始無言のままだった。


 連れてこられた孤児院の外見は老朽化が進んでおり、お世辞にもきれいとは言い難い。建物内も同様で、掃除は行き届いていたが、そこかしこに応急処置を施した跡が散見された。


 どこともしれないこの場所でこれから生活していく。そこには愛する父も母もいないのだ。そう思うと自然と涙が頬を伝うのだった。


 それから五年の月日が流れた。


 ベアトリスとマルティナは12歳となり、これまでは髪の長さでしか判別できないほどにそっくりだった二人も、身体的に顕著な違いが出るようになった。


 ベアトリスの成長速度は芳しく無く、同じ年頃の女の子たちと比べてだんとつに背が低かった。


 そこを男子にからかわられ、喧嘩になったことも一度や二度では済まない。いつしか一人称が『あたし』から『オレ』に変わったことも手伝ってか、小さなガキ大将的なイメージがついて回るようになっていた。


 逆にマルティナの成長は著しく、同年代の女の子と比べて女性的な丸みに富み、その胸元は早くも胸当てが必要なほどだった。


 病的に白かった肌も健康的な色艶を取り戻し、父親譲りの赤髪は長く艷やかで、羨望の的となっていた。


 二人の交流が殆ど無かったことを除けば、当初心配されていた孤児院生活も概ね良好と言えるだろう。


 しかしここでもまた不幸に見舞われることになる。


 例年に比べ気温が高かったその年の夏。疫病が発生した。


 それは当初ただの風邪だと思われていた。発熱や咳、頭痛に倦怠感と症状だけを上げればそう思うのも無理のない話だった。


 しかし処方された薬を飲んでも、熱は下がるどころか上がる一方で、ついには意識障害を起こし死に至る者さえ現れだしたのだ。ことここに至って初めて人々はただの風邪ではないと理解した。


 感染源が分からず、町中が混乱。病を患ったものは一箇所に集めて隔離するという事態にまで発展した。


 そしてその混乱は孤児院にも波及していた。


 院内でも罹患者が発生したのだ。しかもその中にはマルティナの姿もあった……。


「どうすれば……どうすればいい……」


 その事実を知ったベアトリスは愕然とした。


 この五年間という決して短くない年月で殆ど交流が無かったのは、何も彼女が妹をないがしろにしていたからではない。むしろマルティナのことが心配で何度となく話しかけていたが、その度に素気すげなくあしらわれるか、無視され続けたため一度距離を置こうとした結果だった。


 マルティナが自分を避けていた理由はハッキリとは分からないが、父さんの死が関係していることは間違いないだろうとは考えていた。ベアトリスはそこに一抹の寂しさを覚えつつも、病弱だったマルティナが元気になったことを我が事のように喜んだ。


 それなのにどうして、とベアトリスは運命を呪わずにはいられなかった。


 しかしそれで事態が解決するわけじゃない。彼女は必死に考えた。何か、何か手はないのかと。


「そうだ!」


 それは天啓にも似た閃きだった。それは家族四人が笑って過ごしていた頃の話。いつものようにその日の冒険談をせがったベアトリスに、父アドルフォが話してくれた事がある。


 ――これは『シトゲの葉』と言ってな。この村の人間しか知らない特別な薬草なんだ。なんとこれを煎じて飲めばどんな病気もたちどころに治ると云われているんだぞ。


 そう言って見せてくれた葉の形をベアトリスはまだ克明に覚えていた。


 そして、その自生地も――。ベアトリスは同室の子の防寒着を拝借し重ね着すると、故郷を出る際にこっそり持ち出していた父の形見の短剣ダガーを懐に入れ、孤児院を抜け出した。


「ベアトリスっ。どこ行くの、待ちなさい!」


 その際に院長に見咎めれたが、一切気にすることなく目的地へ向かって駆け出した。


 だがここで一つ問題が生じた。移動手段が無い。村からこの町までですら馬車で一日近くかかったのに、目指す目的地はその村から更に数時間南に下った先にある東西に伸びる山脈の中腹辺りなのだ。今から徒歩で、しかも子供の足で向かうとなれば片道だけでもいったい何日掛かることか。


「クソっ。いったいどうすりゃ……」


 ともかくここで足踏みしているわけにもいかない。少しでも距離を稼ごうと走り出したその時、背後から車輪が回る音と、馬の蹄の音が聞こえてきた。


 まさかと思い、咄嗟に振り向いた先には、そのまさかの荷馬車が走ってくるところだった。


 これぞ渡りに船。ベアトリスは、後先も考えずに荷馬車の前で手足を大の字に広げていた。


「何しやがるっ、死にてぇのか!」


 御者台の男が声を荒げる。


「お願いだ! ヤクー村まで乗せてってくれっ」


 しかしここは一歩も引けない。乗せると言うまでここは通さないと云わんばかりの意思を込めて御者の男を睨み返す。


「ちょっとあんた。乗せてってあげなよ」


 おそらくこの男の妻だろう。ベアトリスの意思を汲んでくれたのか、男の隣りに座っていた女が口添えしてくれた。


「しかしよう……」


「こんな小さな子が体を張ったんだ。よほどの事情があるんさね」


「チッ、しゃーねーなぁ。おい、さっさと乗んなっ」


「ありがとうおっさん!」


「おっさん言うなっ。俺はまだそんな年じゃねぇ!」


 ヤクー村までの道程は、幸いなことに野盗や魔物も現れず順調に進んだ。


 しかもこちらが急いでいることを察したのか、馬が潰れない限界の速度で走らせてくれたお陰で当初の予定よりも早い、夜明け前には到着していた。


 夫婦にしっかりと礼を言い見送ったベアトリスは、すぐさま村長の家を訪ねた。


「ベアトリスか? どうしてここに――」と驚きを隠せない村長。


 説明している時間も惜しい彼女は、さっそく本題に入った。「シトゲの葉はあるかっ?」


「今はあいにくと切らしておる。それよりもいった――」ここには無いと知った途端踵を返して家を飛び出そうとしたベアトリスの腕を捕まえ、「待て待て。そんなに急いでどこへ行く気じゃ?」


「決まってる。山にシトゲの葉を取りに行くんだ!」


「一人では危険すぎる。今カルロ達を呼んでくるからここで待っていなさい」


 今すぐにでも山へ向かいたいところだが、村長の有無を言わせなぬ迫力に圧されたベアトリスは、村長の妻が淹れてくれたハーブティを飲みながら一旦落ち着くために待つことにした。


 程なくして、村長に招集された青年団の数名がやって来た。一番に駆け込んできたカルロは「ベアトリスっ」と彼女を見るなりギュッと抱きしめた。


「よかった元気にしてたんだな。ところでマルティナはどうしたんだ?」


「説明は後だ。シトゲの葉を取りに行くから手伝ってくれ!」


「分かった。今馬の準備をさせているから、話は道中で聞こう」


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