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第20話:師匠③

「何だってっ、マルティナが!?」


 山中に向かう道すがら、ベアトリスはカルロたち青年団に今ルホクの町で発生している疫病について説明した。その疫病をマルティナも罹患したことも含めて。


「それで、容態はどうなんだっ?」


「あんまり芳しくない。だから一刻も早くシトゲの葉が必要なんだ」


「そうか。よしもっと飛ばすぞ。振り落とされるなよっ」


 言うやいなや馬の速度がさらに上がる。ベアトリスは必死でカルロの腰にしがみつきながら、シトゲの葉が見つかりますようにと祈るのだった。


「ここらがシトゲの葉の自生地だ。よし、ここからは手分けして探すぞ。見つけたやつは指笛で知らせろ!」


 こうしてシトゲの葉の捜索が始まった。


 ベアトリスも馬から飛び降りると、「オレは向こうを見てくるから、カルロはそっちを頼むっ」と返事も待たずに走り去っていく。


「『オレ』って。すっかり口調が変わっちまったなアイツ……っと、こうしちゃいらんねぇ、俺も探さないと」


 カルロは他の青年団員がそうしたように馬を近くの木に繋ぐと、シトゲの葉を探し始めたのだった。


 それからどれくらいの時間が経っただろうか。未だに発見の指笛は聞こえない。


 ベアトリスも見つけることができずに焦っていた。


 このままでは間に合わないかもしれない。そう思うと血の気が引くようだった。


 しかしこの焦りが良くなかった。


 普段ならば気が付いたであろうあるものの接近に、この場の誰も気が付かなかったのだから。


 最初に犠牲になったのは青年団員の一人だった。


 不意にガサッと茂みが揺れたかと思った次の瞬間、


「ギャーッ!」


 異常に長く鋭い爪に左胸を貫かれていた。


 その叫び声に何ごとかとかと駆けつけようとした別の青年もまた、茂みから現れた鋭い爪に背中を切り裂かれ絶命した。


「何だっ、何が起きてるっ?」


 突然のことに狼狽するカルロ。それに気が付けたのは単なる偶然だった。


 茂みからスッと突き出された爪が空を切る。


「うぉっ?」と咄嗟に避けたカルロは、それの正体を知った。


 体長90cmほど。体毛は茶褐色の混じった灰色。顔面は白く、黒い縞が吻から目を通り耳に走っている。


 そこだけを見れば普通のアナグマとそう大差ないが、明らかに異常な部分があった。


 巨大な熊を想起させるほどに発達した前脚。その先端から伸びる爪はまるで一本一本が小剣ショートソードを連想させるほどに鋭く長い。


 獲物を仕留められなかったことへの怒りか、その口から甲高い咆哮が迸る。


 マナ汚染を受け変異したアナグマだった。


 カルロはそのことを確認すると、携帯していた長剣を引き抜いた。


 別の場所から剣戟の音が聞こえる。ベアトリスは――と油断なく構えたまま、彼女が捜索に向かった先を見やる。


 しかし彼女の姿は見えなかった。無事でいるのだろうか。


 そこへ再び鋭い爪が繰り出される。それを長剣で弾くと今度はこちらから斬りかかる。早くこいつを倒して彼女を追わないと。焦燥感を募らせながら、カルロは変異種と対峙した。


 その頃ベアトリスは、シトゲの葉を追っている内に一人森深くまで足を踏み込んでいた。


 シトゲの葉があったであろう痕跡はあるのに、肝心のその葉が見当たらない。


「どうなってんだっ」舌打ち混じりに愚痴をこぼす。


 彼女は知りようもないことだったが、これはすべてアナグマの変異種が原因だった。変異したことで食性が変わるのか、この辺一帯のシトゲの葉はその殆どが食い尽くされた後だったのだ。


 とそこで周囲をもう一度見回した時、不意に茂みがガサリと揺れた。


「カルロか……?」


 と声をかけるが返事はない。これは不味い。ベアトリスは直感でそう悟った。


 茂みの向こうに居るのがただの兎や、小動物なら問題ない。だがこの気配はどう考えても小動物のそれではなかった。


 周囲を警戒したままジリジリと後退る。その踵が石ころを蹴飛ばしたと思ったその瞬間だった。


 カルロたち青年団を襲ったものと同種の変異体が茂みから躍り出てきた。しかもその数三体。


 今のベアトリスにとっては一体ですら手に余るのにそれが三体。懐から咄嗟に取り出した短剣を持つ手が震える。掌に滲んだ汗が尋常じゃなかった。


 短剣を左右に振って牽制しつつ、更にジリジリ、ジリジリと後退る。足下の小石がカラカラと落ちていく、、、、、。気が付けばベアトリスは、切り立った崖に追い詰められていた。


 その一進一退に焦れたのか、一匹が甲高い声で吠える。その迫力にビクッとベアトリスの肩が跳ねたその時だった。


 その隙をついて三匹が同時に飛び掛かってきた。


 一匹目の爪を咄嗟に短剣で受け止める。だが他の二匹には対応しきれなかった。


 二匹目の爪が右太ももを貫き、三匹目の爪が左肩をえぐった。


「――がはっ」


 熱した火かき棒を直接突きこまれたような感覚が脳を突き抜ける。


 その瞬間理解した。こいつらだ。こいつらに父さんは殺されたんだ!


 怒りのあまり、痛みも忘れて右手の短剣を二匹目の眼球に突き刺す。その怒りの刃は脳にまで達し、生命を刈り取った。


 だがベアトリスの反撃もここまでだった。


 残る二匹の変異体が再びその凶悪なまでに鋭い爪を振るって追撃してくる。咄嗟に短剣を引き抜いて防御したが、そのまま押し込まれてしまった。衝撃で崖から飛び出してしまい体が宙に浮く。


「しまっ――」


 後悔したときにはもう遅い。ベアトリスは右ももに変異体をぶら下げた状態のまま崖を落下していったのだった。



※ ※



 ハッとなって目を開く。視線の先には見慣れた天井が広がっていた。ヤクー村の我が家だ。


 咄嗟に上半身を起こそうとして全身を走った激痛に悶絶する。その痛みに、ベアトリスは自分がまだ生きていることを実感した。


 でもどうやって? カルロ達が助けてくれたんだろうか。


 とそこで自分の右手を誰かが握っていることに気が付いた。顔をそちらに向けて、そこに居た人物に我が目を疑う。


「マルティナっ!?」


 そう、椅子に腰掛け手を握った状態で眠っているその人物は、孤児院で疫病に臥せっている筈の妹だった。


「ん……お姉ちゃん?」ベアトリスの声に目を覚ましたマルティナは、「お姉ちゃんっ!」姉の存在を確認するかのようにギュッと抱きしめた。


「え? ――は? えっ?」突然抱きしめられ、困惑するベアトリス。何が何やらさっぱりで、誰でもいいから説明して欲しかった。


「もうっ、お姉ちゃんのバカ! あたしなんかの為にこんな無茶して!」


「オレはお姉ちゃんだからな。妹のために無茶するのは当たり前なんだ」そう言ってマルティナの頭をそっと撫でる。「だから『あたしなんか』なんて言わないでくれ」


「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ!」


 顔をクシャッと歪ませ、ベアトリスに縋るように泣き続ける。「そんなに謝る必要はないだろ」


「違う、違うのっ。あたし、あたしはお姉ちゃんをっ――」


 そこからは言葉にならないのか、マルティナは再び泣き出してしまった。


 そんな彼女に増々困惑の度合いを深めたベアトリスだったが、しょうがないなぁと小さく息を吐き、そんな妹を慈しむように優しくその頭を撫で続けた。


「いやー、実に美しい姉妹愛だね」


 とそこに、まったく場の雰囲気にそぐわない茶化すような声が割り込んできた。


「誰だあんた?」


 いつからそこ居たのか。烏羽色の長い髪を一本にまとめた女が、食卓の椅子に腰掛けパチパチと拍手をしていた。


「誰だとは心外だね。あんた達の命の恩人だってのにさ」


「オレたちの?」


「そうさ。瀕死だったあんたを治療して、あんたに託されたシトゲの葉を持って町に向かったのも全部このあたしっ」


「オレはシトゲの葉を手に入れていないぞ」


「ん? ああ、覚えていないのか。落ちた場所にあったんだよシトゲの葉が。それをあたんが掴んであたしに向かってこう言ったのさ。『妹を助けてくれ』ってね」


「まったく思い出せない……。でもなんであんたはあそこにいたんだ?」


「ああ、それはね――」


 聞けばどうやらあのアナグマの変異体はこの一帯だけではなく、他の地域でも猛威を振るっていたらしい。その被害の範囲からおそらく群れの中心となる存在、親玉マザーがいると踏んだベルトナ――ここから山脈を超えた南にある町――のギルド長は、腕に覚えのある冒険者を募って討伐隊を動員したとのことだった。


「それじゃ、あの化け物共は――」


「あたしが親玉を倒したから、今頃他の奴らが残りの小物を全滅させてる頃じゃないかな」


 きっとその親玉が父さんの敵だ。その親玉を倒したということは、


「あんたは父さんの敵も討ってくれてたんだな。ありがとう」


「礼には及ばないさ。こっちは仕事でやっただけなんだからね」


「それでもだよ。それにオレたちの命も救ってくれた。本当にありがとう――ええと……そういえば名前をまだ聞いてなかったな」


「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね。あたしはタカナシ。銀等級冒険者のヨウコ・タカナシだ」



※ ※



「懐かしいな」再度トリカブトの葉を返す返す見やりながら独りごちる。


 あの一件の後、師匠の提案で弟子入りしたんだったか。


 それにしても、と自嘲気味に小さく笑う。


 あの時オレが手にしたのはシトゲの葉ではなく、よく似た葉の形をしているトリカブトだったに違いない。危うく妹に毒を盛るところだったのだ。


 師匠はそのことに気が付いていて、あの時嘘をついたのだろう。そう思うと感謝の念で心が一杯になった。


 ま、オレたちに黄金の偶像呪いのアイテムを取りに行かせた件に関してはきっちり落とし前をつけてもらうつもりだが。


 どうしてくれようか、そんなことを考えながらトリカブトの葉を本に挟む。


 その顔はどこか愉しげに笑みを浮かべていたのだった。


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