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ベッキーたち姉妹と、それを見送るイーヴォとその孫ウルバーノだ。
「次はどの大陸に渡るつもりじゃ?」
「順当に行くならアフリマ大陸だろうな」
「遠いですね。寂しくなります」
「なぁに今生の分かれってわけじゃねぇんだし、お互い生きてりゃそのうちまたひょっこり会えるだろうさ」
「爺ちゃんも長生きしろよぉ」
「心配せんでもまだまだくたばる気なんぞないわ」
「アフリマ大陸には身の丈3mを優に超える巨人族が住んでいると聞いています。下手に手は出さないでくださいね」
「それは玉の在り処次第だな。ま、そん時はせいぜい気をつけるさ」
それじゃぁなと手を振りその場をあとにする。目指すはユーシア大陸最南端にある貿易都市チェラータだが、その前に王都シーリスの冒険者ギルドに寄る予定になっている。ギルドマスターのグラートに挨拶がてら、武具屋に寄って地下迷宮でのクラウディオ戦で傷ついたマルティナの防具を新調するつもりだからだ。
「何だかずいぶんと久しぶりに来た気がするねぇ」
ギルドの建物を見上げながらしみじみと口にする。
「いろいろ酷い目にあったからな」
亜人騒動から始まって、王都の謁見であったり、拝火教の地下迷宮攻略であったり、思い返してみれば何度死にそうな目にあったか分からない。実際にあと一歩、いや半歩でも間違っていればマルティナを失っていたかもしれないのだから、『大変』の一言で済ますには余りあるものがあった。
もちろんそれに見合うだけの収穫があったのも確かだが。
両開きの扉を潜り建物内に入る。マルティナが言った通り、何だか久しぶりに訪れたような錯覚を覚えつつ辺りを見渡す。時間は昼少し前、懐具合が寂しい新米冒険者向けのリーズナブルな食堂も兼ねた本部内は人でごった返しており、そこかしこで早くも出来上がっている冒険者が見受けられた。
「よう姉ちゃん、見ねぇ顔だな。ちょいと俺等に酌でもしてくれや」
そして冒険者になろうと考える男の半数以上は基本的に荒くれ者が多く女好きだ。現に入口にほど近い場所で飲んだくれていた六人組の男たちが、全く隠そうという素振りも見せず露骨でいやらしい視線をマルティナの胸に釘付けにしながら声を掛けてきた。
そんなあからさまな視線を向けられて嬉しい女は少ないだろう。勿論マルティナもその内の一人だ。不用意に近づいてきた男の足を払い、隙だらけの喉元に水平チョップをお見舞いする。酔っていたせいで余計に何をされたのか理解できないまま、哀れな男はそのまま後ろへとすっ飛び、下卑た笑みを浮かべていた仲間たちが囲むテーブルへと叩きつけられていた。
派手な音とともにテーブル上にあったジョッキや、料理が床へとぶちまけられる。
テーブルの上でピクピクと泡を吹いている男に、初めこそ何が起きたのか理解できずにポカンとしていた仲間たちだったが、そこは腐っても冒険者、好色を浮かべた
「ギルド内での喧嘩はご法度だって言ってるだろうが!」
喧騒の中、最後の一人が回し蹴りで顎を蹴りぬかれ派手にぶっ飛んだところで、二階からここ冒険者ギルド本部を治めるギルド長グラートが怒鳴り声とともに降りてきた。
そして騒ぎの中心を目ざとく見出すと、そこにマルティナの姿を見つけるなり深い溜め息を吐いた。
「何やってんだ……」
「何って見ての通りだよぉ。害虫駆除」
その一言で大体のことは察したのだろう、やれやれと頭を搔くと倒れている男たちに向かって「このボンクラども! 降格されたくなけりゃさっさと起きて床を掃除しろ!」と一括した。
その迫力たるや流石はギルド本部の長を務めるだけはあるというもので、床で呻いていた男たちは一斉に飛び起きると、慌てた様子で床の掃除を初めた。その様子を横目に見ながら、グラートは改めてベッキー達へ声を掛けた。
「今日はどうしたんだ? クエストを探しに来たって感じじゃなさそうだが」
「アフリマ大陸に渡ることになったから挨拶に寄ったんだ」
「アフリマってことはサラハ共和国へ行くのか。急な話だな」
とそこで言葉を切ると、周りの耳目を気にしたのだろう、上で話そうと親指で二階を指し示した。
「それで、何でサラハなんだ?」
冒険者ギルド二階にある執務室。その自分の椅子へどかっと座るなりグラートは口を開いた。
「まさか拠点をサラハに変えるつもりじゃないよなっ?」
拠点とはこの場合、活動拠点を指す。
そのため基本的に冒険者は生まれ育った場所や、初めて冒険者登録をしたギルドを拠点としていることが多い。誰しも住み慣れた土地や、見知った顔が多い場所のほうが安心できるというものだろう。
だが当然中には拠点を変える冒険者も少なくない。その理由は様々で、単に人間完関係の縺れであったり、長年連れ添った仲間を失った悲しみからその土地を離れる者もいれば、もっと強い魔物と戦いたいから、もしくはその逆で今の自分に見合った相手と戦いたいからという理由であったり、中にはその土地の料理が口に合わないからという理由で他の国へ移住した者もいたくらいだ。
犯罪を犯していたりと何某か後ろ暗いところが無ければ渡航は各国自由で、冒険者を縛るような法律や、取り決めは存在しない。それ故に各冒険者ギルド、とりわけその本部に在籍する者たちを悩ませている事があった。
「別にその気は無いけど、変えたら何か問題があるのか?」
「さっきのボンクラどもなら何の問題もないんだがな、優秀な人材――取り分けお前たちのようなやつに抜けられると困ったことになるんだ」
「どういうことぉ?」
「簡単な話さ。後続を育てる優秀な人材が不足しているんだ。それに今回の亜人騒動もお前たちがいなければ解決できなかっただろう」
「それはオレ達を買い被り過ぎてやしないか? 銀等級のやつらならオレ等よりももっと簡単に解決してただろうし、ひょっとしたら助けられた騎士もいたかもしれねぇ」
「それはそうかもしれんが、あいつらは自分可愛さに王の依頼を蹴った。それが事実だ。しかもあいつら、格下のお前らに手柄を上げられてバツが悪かったんだろうな。さっさと荷物まとめて国を出ていきやがった」
「駄目じゃねぇかっ」
「そうなんだよ駄目なんだよ」項垂れるように机に突っ伏すグラート。「今信頼の置けるお前たちにまで出ていかれると非常に困るんだよ……」
「そう言われてもな……」
この国の冒険者ギルドが抱えている問題は分かったが、とはいえ「はいそうですか。では残って後続の育成に努めます」とは言えない事情がこちらにもある。
「そもそも何だって急にサラハ行きを決めたんだ?」
「別に急に決めたわけじゃないぞ? もともとアフリマ大陸には渡る予定だったんだ」
「そうなのか」
「ああ。世界を見て回り――」
「呪いを解かなくちゃ、オボフッ」
自分の台詞を遮るように口を滑らせた妹に、ベッキーはすかさず必殺の肘鉄を喰らわせる。いきなりの展開に困惑の表情を浮かべるグラートに、ベッキーは何事もなかったかのように言葉を続けた。
「世界を見て回り――」
「いやいや。まったく誤魔化せてないからな?」
「チッ」
「で、『呪い』って何の話だ?」
「…………」
「…………」
「…………」
「ベアトリス」
「あ〜もう! 分かったよ。話せばいいんだろっ」
ベッキーは床に突っ伏してピクピクしているマルティナを苦虫を噛み潰したような表情で見下ろすと、「ったく」と再び小さく舌打ちしてから、観念したように自分たちに降り掛かった『呪い』の顛末を話して聞かせた。
「呪いね……」
重々しく口を開き、ベッキーに見せられた羊皮紙のメモ帳を人差し指でトントンと叩く。
「そういう
「事情は分かったが、それって本当に呪いなのか?」
「うちの師匠が嘘ついてるって言いたいのっ?」
ベッキー必殺の肘鉄から復帰したマルティナが飛び跳ねるように起き上がるなりグラートに詰め寄る。
「そういうつもりは……いや、そう言っているようなものか。気分を害したんなら謝るが、」
「害したも害したね! これはもうあの店でたらふく肉串をごちそうにならないと収まりがつかないね!」
『あの店』というのは以前グラートに連れて行ってもらったティーノの店のことだろうが、グラートとベッキーは奇しくも同じことを思った。
「「そんなことで良いのかよっ」」
口にしていた。しかもハモっていた。マルティナの師匠への信頼が肉串に負けた瞬間だった。
「店には後で連れて行って――「絶対だからね!」――やるとして、実際お前はどう考えているんだ? 俺には話を聞く限りじゃそうは思えんのだが」
「師匠のことは信頼してる。……でも呪いの件に関しては正直オレも半信半疑だ」
「姉ちゃん?」
「考えてもみろよ。確かに呪われてるんじゃないかってくらい散々な目に遭ってきたけど、なんだかんだでその全てをオレたちは乗り越えてきた。本当に呪われてるんならとっくにくたばっててもおかしくないと思わないか?」
「それはそうだけど……じゃぁ姉ちゃんは師匠が嘘をついてるって思ってるの?」
「確証が無いからな。だがそれは師匠がデタラメを言ってることじゃない。呪いと言ってもその効果は千差万別だからな。本当は呪われているのかもしれない。だから半信半疑なんだ。でもあの師匠が集めろって言うんだから何か重要な意味があるんだろう」
グラートはさも残念そうに深い溜め息を吐いた。「それじゃぁ……」
「ああ。だからオレたちはアフリマ大陸へ行く」
「分かった。まぁそもそもギルドの問題をお前たちにどうこうしてもらおうってのが虫が良すぎる話だしな。こっちの問題はこっちでかたをつけるさ。で、いつ発つんだ?」
「明日の早朝には」
「そうか。なら行く前にもう一度ここに寄ってくれ。渡したい物がある」
「分かった。行く前に寄らせてもらうよ」
「じゃぁこの話はこれでお終いだよねっ。肉! 肉食いに行こう!」
このあと三人はティーノの店に行き、たらふく食べて飲んだ。マルティナが調子に乗って文字通り動けなくなるほど腹を膨らませたのは語るまでもないだろう。