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第49話:いざアフリマ大陸へ③

「なーっ! 『有名』ってのはどういうことか訊いてもいいかっ?」


「どうもこうも、そういう意味に決まってんだろっ!」


「じゃぁも想定内ってことでいいんだなっ!」


「そう思うんだったら医者行きなっ!」


「医者に行く前にあの世に逝きそうだけどなっ!」


 ベッキーとエイダが大声を上げているのは別に喧嘩をしているからではない。むしろ二人仲良く帆の支柱にしがみついている。こうでもしないとお互いの声が聞こえないくらい周りがうるさいのだ。


「二人ともサボってないで手伝ってっ!」


 船体に取り付いている触手を黒剣で切り裂きながらマルティナが怒鳴る。


「すまん妹よ。無力な姉を許してくれ」


「すまん銛が効かないやつは苦手なんだ」


 船体が荒波に煽られメキメキと嫌な音を立てる。


「サハギンだーっ! サハギンが出たぞっ!」


 海からの新手に船員が悲鳴にも似た声を上げる。そちらに目をやれば、確かに魚顔の二足歩行生物、いわゆる半魚人が次々と甲板に上がってきているところだった。


「どうなってんだいったいっ?」


 エイダが盛大に悪態をつく。本当に一体どうなっているのだろう。数刻前までは海も凪ぎ、静かでのんびりとした航海だったというのに――


 事の始まりは自国の旗を掲げた商船が海賊に襲われているところを見かけたことだった。海賊は野盗と同じく見つけ次第皆殺しがシーリス王国の流儀である。そうとなれば当然やることは決まっていた。


「野郎ども害虫退治だ! 一匹たりとも逃がすんじゃないよっ」


「アイアイサー!」


 チェラータの冒険者ギルドの長にして、この旗艦『タイタン・ニック号』の船長でもあるエイダの号令一下、筋骨隆々の船員たちが戦闘態勢に入る。ちなみに2番艦の名は『マリー・セレスト号』、3番艦の名は『オーラン・メダン号』だ。どこかで聞いたことのある名前かもしれないが気にしてはいけない。


「2番艦、3番艦もぬかるんじゃないよっ」


 各船の伝令には無線機のような機能を持った魔道具が使用されている。装置自体が大きく、送受信範囲が50mと改良の余地が多分にある代物だがエイダは重宝していた。


 その魔道具を通して『アイアイサー!』と他の艦船からの威勢の良い返答が返ってくる。エイダはその返事に満足気にうなずくと、その視線をキッと海賊船へと向けた。


 海賊側もこちらの動きに気がついているようだが、まさかこのタイミングでギルド船が現れるとは思っても見なかったのだろう、慌てふためくさまがここからでも分かった。


「商船には当てるなよ! 撃てっ!」


 舷墻げんしょうに固定された石弓から、それに弩や弓矢から無数の矢が放たれる。文字通り雨あられと降り注ぐ矢弾に、一人また一人と海賊が射抜かれていく。勇敢なのか、それとも単に自棄を起こしただけなのか、弓矢を手に射ち返してくる海賊もいたがそれでどうにかなる戦力差ではなかった。


 次々と仲間を殺られ、浮き足立つ海賊たち。そこへ体当たりでもするように船体を横付けされ、梯子を掛ける暇もあればこそ次々とエイダを筆頭に船員が乗り移ってくる。海賊の船は三隻あったが、それぞれが同様に乗り込まれたちどころに白兵戦が勃発した。


 そして海賊船に突入した船員の中には当然のごとくマルティナの姿もあった。


「アハハハッ、逃げる海賊はただの海賊だ! 逃げない海賊はよく訓練された海賊だ!」


 おそらく師匠であるタカナシから吹き込まれたのだろう、そんなことを声高に叫びつつ、もはや人間業とは思えない速度と技量で次々と海賊の首を切り飛ばしていく。その壮絶さたるや、女傑と名高いエイダをして舌を巻くほどだった。


 そんなマルティナの前に一人の大男が立ち塞がった。今までどこに潜んでいたのだろという巨躯の持ち主で、エイダと比べても頭一つ分は高そうだった。


「よくもまぁ好き勝手に俺の部下を切り刻んでくれたもんだなぁおいっ!」


「なんだ隠れるのに飽きちゃったの? ま、あのまま隠れててもどのみち見つけて殺してたけど」


「餓鬼がほざくなっ!」


 マルティナの挑発に乗った大男が怒号とともに手にした戦斧バトル・アックスを振り下ろしてくる。その見た目からは予想に反した素早い一撃だったが、マルティナにとっては退屈な一撃だったらしい。くるりと舞うように戦斧の凶刃を交わし、そのまま流れるように大男の右太腿を切り裂く。


「ほらほら。わざと浅く切ったんだから次はもっと本気で掛かってきてよね」


「糞がっ」


 口汚い言葉とともに今度は戦斧を横薙ぎに振るう。しかし次の瞬間血飛沫を上げたのは大男の左太腿だった。今度も浅く切ったのだろう、血の量に対して傷の深さは大した事なさそうだった。


「なぁ〜んだ。海賊って言ってもそこらの野盗と変わらないじゃん」


 そこから何度戦斧で切りつけただろうか。その度に華麗に躱され、逆に切り裂かれる。今や大男の体は全身切り傷だらけで、自身の血で真っ赤に染まっていた。方やマルティナは掠り傷一つ無い。


「このイカれた餓鬼がっ」


「姉さんっ、褒められちゃった!」


「そうかそりゃ良かったな。でも後がつかえてるからさっさと決めてしまえ」


「は〜い」そこでスッと目を細め、底冷えするような声音で。「という訳だから次こそは決死の覚悟で向かってきてね」


 大男は戦慄した。


 何なんだこの小娘は? 何なんだこの尋常じゃない殺気は?


 目の前の小娘にとって、先程までが文字通りお遊びだったのだとようやく理解した。そして確実に次の一撃で殺されるであろうことも。


 血の流れすぎで朦朧としつつある思考で考える。俺が殺される? こんな自分の半分も生きていなさそうな小娘に? そんな馬鹿なことがあってたまるか!


 戦斧を握る腕に渾身の力を込める。一撃だ。一撃入ればあの細い体だ、掠っただけでも大怪我は必至。そうなれば俺の勝ちだ!


「舐ぁめるなっ!」


 自身の内に湧いた恐怖心を払拭するように大きく吠え、あらん限りの力で戦斧を振るおうとしたその刹那にそれは起こった。


「…………」


 世界がぐるんと上下反転する。かと思った瞬間もとに戻り、また反転する。それを何度か繰り返し、視界がポンッと弾む。何が起きたのかさっぱり理解できない。が意識が完全に失われるその時、大男は確かに見た。


 首から噴水のように血飛沫を上げる己の体を――。


 海賊の頭目の生首を掲げ持ち「獲ったどぉ〜!」と勝ち名乗りを上げる。その瞬間、エイダや仲間の船員は大いに湧き、逆に海賊の残党は完全に戦意を喪失しお縄についた。


 ここまでは良かったのだ。そうここまでは。


 商船の船員は全員とまではいかなくとも、半数以上は生き残っていたし、こちらの被害も微々たるものだった。


 しかし奴は現れた。今にして思えば、海賊側に血を流させすぎたのだ。甲板には勿論のこと、海面にも無数の死体が浮かんでいた。


 アジトを吐かせるために捉えた数名の海賊を収容し終え、残った海賊船を沈めようと火矢を放ったその時、船員の一人が恐怖に引き痙った声を上げた。


「船長! 海中に何か巨大な影がっ!」


 海中に魔物の影が見えるのはさほど珍しくない。しかしそれが『巨大』ともなると話は別だ。エイダはすぐさま海中を覗き込むと、盛大に舌打ちしたあと船員たちに叫んでいた。


「商船をすぐに出させろ! が来るぞっ!」


 大慌てで伝令が飛び、それを受けて商船が全速力でこの海域を脱出しようと試みる。


「どうしたってんだ? 『奴』って何だっ?」


 エイダを初め、船員たちの尋常じゃない慌てぶりに矢継ぎ早に質問を重ねる。すると捕鯨用のものよりも更に大きな銛を準備していたエイダが振り向きざまにこう答えた。


「クラーケンだ!」


「クラーケンだとぉ!?」


 思わぬ答えに素っ頓狂な声が出てしまう。実際に目の当たりにしたことはないが、その魔物の名は知っていた。まだ師匠と出会って間もない頃に語ってくれた体験談に出てきた『二度と会いたくない海の魔物ランキング』で堂々の一位を飾った魔物だった。


――海の魔物は総じて厄介だけど、あいつは格別に厄介だったね。こっちが海に落ちたら一巻の終わりだってことを知ってるみたいでさ、執拗にまず船から攻撃してくるんだよ。


 そう話をしてくれた時の顰めっ面は今でもよく覚えている。最速で金等級にまで上り詰めた師匠にして『二度と会いたくない』と言わしめた海の魔物が、今すぐそこまで迫っているのだ。


「上がってくるぞ!」


「――なっ」


 あまりの光景に絶句してしまうベッキー。師匠から「馬鹿みたいにでかい」とは聞いていたが、まさかこれほどとは思ってもみなかった。それはまるで一つの島が突如として現れたようですらあり、その威容から発せられる威圧感は、思わず二歩三歩と後退ってしまうほどだった。これは人間が敵う相手なのか?


「姉さん危ないっ!」


 と思ったのも束の間。マルティナが目にも止まらぬ速さでベッキーの背後に迫っていた何かを切り飛ばしていた。


「すまねぇ――ってなんだこりゃ?」


「クラーケンの触手あしさ。全部で八本ある。あとその吸盤に吸い付かれたら肉まで持っていかれるから用心しな!」


 切られた部位はその先端部分だろう。それでも優にベッキーの身長より長く、その吸盤には牙のようなものまで生えていた。こんなものが全部で八本もあるのというのだから想像するだけで全身の毛が総毛立つ思いだった。


「こんな化け物どうやって倒すんだっ?」


「倒せるわきゃねぇだろうがっ」


「じゃぁどうするんだよっ?」


「奴が諦めるまで攻撃し続けるだよっ」


「嘘だろぉっ」


 そうこうしてる間にも触手による船への攻撃は続いており、そこらじゅうで水飛沫が上がっては木片が宙を舞っている。ついでに触手に薙ぎ払われた船員が数名悲鳴とともに海中に落ちていった。


「まったくっ、しつこい!」


 悪態をつきながら縦横無尽に走り回りながら船体に絡みつく触手を切り飛ばしていくマルティナ。しかし切られた先から再生でもしているのか、触手の猛攻は治まることを知らない。ベッキーは激しく揺れる船体に翻弄されて立っているのがやっとの状態。エイダは巨大な銛をその剛腕で投げ、本体を攻め続けているが大した効果は出ていないようだった。


 だがクラーケンの意識をこちらに集中させ、商船を逃がすことには成功していた。あとはこの化け物を倒せないまでも撃退してこの海域から脱出するのみなのだが、ここで思わぬ横槍が入ることになる。


『船長、ラヴィットです! 反対方向から巨大な魚影が急速接近中! こいつぁデカい!』


 それは3番艦からの通信だった。そして同時にこれが最後の通信となる。


「巨大な魚影? まさかっ――今すぐ逃げろっ!」


 影の正体に思い至り、通信機に向かって叫ぶ。幸いにしてクラーケンの攻撃は旗艦に集中している。今なら逃げることも可能だろう。そう思っての命令だったのだが、時すでに遅かった。


「――っ?」


 初めそれは3番艦が内部から爆発したかのように見えた。爆発物などは積んでいなかったため実際には爆発ではないのだが、そう見えてしまうくらい一瞬で船体が木っ端微塵に弾け飛んでいた。


 そしてあまりのことに二の句が継げないでいるエイダたちの前にそれは姿を現した。くすんだ白色をしたマッコウクジラ――そう形容するのが一番妥当な姿をしたその魔物の名は、


「モビィ・ディック……」


 エイダの口からポツリとその名がこぼれ落ちる。


「それって――」とベッキーが息を呑む。


 その名は『二度と会いたくない海の魔物ランキング』でクラーケンに次いで二位だった魔物の名であった。これであの師匠すら嫌がった魔物が二体揃い踏みである。状況は最悪だと言えた。


 しかしここでモビィ・ディックが思いも寄らない行動を取る。なんと自分たちに向けられるとばかり思っていたその牙を、クラーケンに向けたのだ。


 この船など一飲みにできそうな口を大きく開け、クラーケンの胴体に齧り付く。エイダの攻撃のほとんどを弾いてきた胴体も、海の悪魔と呼ばれるモビィ・ディックの牙には耐えられなかったのだろう、苦悶の叫びを上げるように触手をバタバタと振り回す。その度に激しい水飛沫が上がり木片が飛び散る。更には巻き込まれた不運な船員が宙を舞う。


 二大巨頭の生存競争はもはや天災の域に達していた。


 二匹が暴れる度に高波が生じ船が転覆しそうになる。そうでなくてもクラーケンの触手が船体のいたるところに絡んでおり、モビィ・ディックがクラーケンを海中深くに引きずり込もうとする度に船が大きく傾くのだ。生きた心地がしないとはまさにこの事を言うのだろう。


――そして現在。


 サハギンの出現を前に、ベッキーとエイダは顔を見合わせると、思いつく限りの悪態を天に向かって吐き出した。


 そこから先はまさに地獄の様相を呈していた。マルティナは触手を切断しつつサハギンを一刀両断しての獅子奮迅の活躍を見せ、エイダは海に生きる女の意地でもってサハギンを蹴散らして回った。その間ベッキーは船から振り落とされまいと必至なって帆柱にしがみついていた。


「今だ、船を出してっ!」


 船体に絡みついていた最後の触手を切り飛ばしたマルティナが船員に向かって叫ぶ。船員たちはこれ幸いにと、残った櫓を必至に漕いでその場の離脱を試みた。二匹の争いは苛烈さを増し、その度に船体が翻弄される。脱出する前に船体がバラバラになるんじゃないかと冷や汗が吹き出すくらいにそこかしこで不穏な音を鳴り響かせながら、ゆっくりとだが確実に進んでいった。


「嗚呼っ、2番艦が……」


 しかし2番艦は不運にもモビィ・ディックが身を翻した際に振り上げた尾ビレに打ち上げられ空中分解してしまった。木っ端微塵に吹き飛んだ船体の破片に混じって船員の人影が多数見えたが、残念ながら助けに行ける状況ではなかった。


「おのれモビィ・ディックめぇっ」


 その光景を見ていることしかできない不甲斐なさに、舷墻に拳を叩きつけ唸るように怨敵の名を口にする。


 だが二匹からは十分に距離を取ることができた。突然矛先をこちらに向けてこない限り、危機は去ったと見ていいだろう。


 だが勝利とは程遠い、這々の体でようやく逃げ出せたという現実を前に、表立って喜びを表す者はいなかった。


「疲れたぁ〜……」


 黒剣を鞘に納めるのも面倒だと云わんばかりにその場で大の字に寝転ぶ。激しい戦闘で火照った体に海風が気持ちいい。


 先程までの耳をつんざくような喧騒が嘘のように静まり返っていた。しかし遥か後方を望めばあれが現実であったことを如実に表す二大巨頭の激戦が伺える。ベッキーはその光景を静かに眺めながら、残りの道程はこのまま静かに過ぎることを切に願うのだった。


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