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第50話:首都ミスルと大師匠①

「あ、港だぁ! あれがミスルかなぁ?」


「ああ、あれがミスルの港さね」


「ようやくか。二ヶ月以上掛かっちまったからな、硬い地面が恋しいぜ」


 あっちこっちガタがきている甲板の上。目的地の港が見えたことではしゃいでいる妹の姿に目を細めながら、海賊から分捕ぶんどった品物が売れそうかそうでないかの選別をしていた手を止め、う〜んっと背伸びをする。


 クラーケン襲来から這々の体で脱出したは良いものの、すっかり足が遅くなってしまったタイタン・ニック号での航海は順調なものとは到底言い難かった。なにせ衝撃で水や、ワインにビールと言った飲み物類が入った樽が半数近くやられ、浸水した海水によって食べ物もかなりの数が台無しとなってしまっていたのだ。当初乗船していた人数からずいぶんと減ってしまったとはいえ、これはかなりの大問題だった。


 しかも手負いなのを良いことに、普段ならばギルド船とみるや、手を出すどころか慌てて方向転換して逃げていくような海賊たちがここぞとばかりに襲いかかってくる始末。その対応ですっかり足止めを食らってしまったのだ。


 しかし物事そう悪いことばかりでもなかった。海賊とはいえ飲まず食わずで得物を狙っているわけではない。しっかりと積み込んでいるのだ。そう、食料や飲み物を。襲いかかってくる海賊を蹴散らしそれら積荷を、ついでに金品財宝を強奪してまわる。こうなってくるとどちらが本当の海賊なのか分からなくなる有り様だったが、なにはともあれ飢えや渇きに苦しまずに済んだのは幸いだった。


「アタシはタイタン・ニック号こいつを修理に出すためにこのままドックへ向かうから、あとでギルドで落ち合おう」


「ああ。それじゃぁまた後でな」


「あとでねぇ〜っ」


 桟橋でベッキーたち二人を降ろし、ドックへ向かうべく遠ざかっていくその船体を見送る。客観的に見るその姿は、よくもまあこれで沈まなかったものだと感嘆したくなるほどどこもかしこもボロボロで、あの戦いがいかに壮絶なものであったのかを如実に物語っていた。


「それにしても、ついに来たな」


「うん。ついに来たねぇ」


 桟橋から遠くカラッとした日差しがまばゆい海原を望む。あの地平線の向こうから自分たちはやって来たのだと思うと、なんとも感慨深いものがある。師匠が突然行方をくらませてから今日まで半年と経っていないというのに、家を出たのがもう何年も昔のように感じられるのが不思議だった。


「それじゃギルドへ行くとするか」


「その前に宿屋に行って水浴びしない? 体中ベタベタで気持ち悪いよぉ」


 確かに海水を頭から浴びたり、激しい戦闘を経たせいで体中ベタベタ。なんならあちこちで塩をふいていたりしていた。


「オレもそうしたいが、宿屋に持って入るわけにはいかんだろ」


 そういって指差したその先には、三つの革袋がマルティナの腰からぶら下がっていた。その中身が何なのか今更語るべくもないだろうが、その一つからは異臭が漂い、ハエがたかり始めていた。


「それもそうだねぇ……嗚呼、早くさっぱりしたい」


「それにしても凄い人数だな」


 さすが港湾都市であり、首都でもある街は規模が違った。


 まず人の多さに目を見張る。ユーシア王国の王都シーリスや、同じく港湾都市のチェラータも相当に大きな街で、特にシーリスは地揺れの被災地でもありながら人通りも多かったが、それらに比肩するくらい通りは人で溢れかえっていた。


 エイダに訊いていた冒険者ギルドがある場所へ、人の間を縫うようにして移動する。見えてきたギルドの建物は、やはりシーリスやチェラータで見たそれと同規模のものだった。さすがはギルド本部、その規模の大きさは万国共通なのかもしれない。


 しかし内部の様子はかなり違っていた。受付があり、壁際にはいくつもの依頼書が張り出された大きな掲示板。そこに群がる冒険者たち――ここまではこれまでに見てきた冒険者ギルドと大差ないものだったが、ここには見慣れた光景が一つだけ欠けていた。不思議に思い近くにいた褐色の肌が美しい受付嬢のお姉さんに話しかける。


「ここって冒険者向けの食堂は兼任してないのか?」


 するとその局員は初めキョトンとした表情を浮かべ、次いで「ああ」といった納得の表情を浮かべるとこう答えた。


「ひょっとしてユーシア王国からいらした冒険者さんですか?」


「ああ、そうだが?」


「やっぱり。あちらでは食堂と兼任しているようですが、それって他の国では珍しいことなんですよ?」


「そうだったのか」


「そうだったんだぁ」


「はい。そうじゃないとそれを専業にしている人たちの迷惑になりますからね」


「そうれもそうか。ってことはユーシア王国の冒険者ギルドはその辺上手くやってたんだな」


「あまり真似したいとは思いませんけどね。接客大変そうですし」


「実際大変そうだったからな」


「そうそう、酔っ払いどもが鬱陶しいしねぇ。あっ、それよりもここってお風呂とか、せめてシャワーとかない?」


 これだけ大きな施設だ。風呂の一つや二つはあるだろうと高をくくっていたのだが、帰ってきた反応は芳しいものではなかった。


「ここにそういった設備は無いですね。というか内壁の中に貴族の方々専用の公衆浴場があるくらいで、わたしたちのような平民は水浴びが基本ですね」


「おのれお貴族様めぇっ」


「それだと寒い季節は厳しいだろ」


「そうでもないですよ? この地方は真冬でもそこまで寒くなりませんからね、慣れてしまえば案外いけるものです」


『所変われば品変わる』というが、早速その洗礼を受けた気分だった。結局二人は、ここで落ち合うはずのエイダがまだ来ないということもあり、マルティナが腰に下げていた革袋のを換金した後、その内の一つが大物賞金首だったこともあり特別に中庭にあるという井戸へと案内してもらった。


 中庭は十二畳ほどの吹き抜けの空間になっていた。その片側に花壇があり、色々なハーブが植えられていた。訊いたところによると職員のなかに栽培を趣味にしている人がいるらしく、物が良いので客に振る舞うハーブティーに使われているんだとか。


 その反対側に井戸があり、昔の釣瓶つるべ式ではなく魔道具を使ったポンプ式になっていた。


「かなり深いところまで掘ってますからね。魔道具の力でも借りないと水も汲めませんから」


 ではごゆっくりと受付嬢のお姉さんが室内に戻っていくのを見届けてから、早速とばかりに防具を外し、チュニックを初め下着まで全部脱いで素っ裸になる。ポンプの近くに立てかけてあった木製のたらいに水を汲み頭から水を被る。


「ああぁ〜生き返るぅ」


「これはこれで気持ちいいな」


 水は冷たすぎず温すぎずという絶妙の塩梅で、塩まみれの体に気持ちいい。ひとしきり体を洗ったら、今度は防具を初め衣類の洗濯を行った。とはいえ洗剤や石鹸といった気の利いたものは無いので水で塩を洗い流すだけだが。


「せっかく王都で新調したのにな……」


 すっかり塩まみれになっていた防具類にがっくりと肩を落とし、錆びないようにと鋲の部分をしっかり洗い流しておく。そうやって一式洗い終わったら限界まで絞った衣類を身につけていく。湿った衣類を身につけるのは正直気持ちの良いものではないが、着替えなんて持ち合わせていないし贅沢は言っていられない。それにこの気候なら身につけている内にすぐ乾くだろう。


「ようっ、サッパリしたか?」


 受付がある部屋へ戻ると、エイダが先程の受付嬢のお姉さんとハーブティーを飲みながら談笑しているところだった。


「ああ。お陰でサッパリしたよ――ええと、」


 そうえいばまだお互いに自己紹介をしていなかったことに気が付き言い淀む。それを察したのだろう、そういえば自己紹介がまだでしたねと椅子から立ち上がると、受付嬢のお姉さんは自らの名前を口にした。


「アーティファです。僭越ながらここミスルの本部長代理を努めさせていただいております」


「オレはベアトリス、ベッキーと呼んでくれ。そしてこいつが妹のマルティナだ。それにしてもその若さでギルドマスターとは……驚いたな」


「あくまでですけどね。本来のギルドマスターである私の父が、一月ほど前から病に臥せってしまったものですから……」


「な〜に心配しなさんなってっ。あいつは病気でおっ死ぬような玉じゃないし、最悪そうなったとしても今のお前なら十分ギルド長としてやっていけるさ」


 湿っぽくなった空気を払うようにアーティファの背中をバシバシ叩きながらガハハと笑う。その力が強かったのだろう、彼女はどこか迷惑そうな顔をしていた。


「それはそうとさぁ、エイダも浴びてきたほうがいいんじゃないのぉ、結構臭うよ?」


 おそらくサハギンの返り血を浴びたせいだろう、エイダは慣れから嗅覚が麻痺してしまっているようだが、その体からは確かに魚特有の生臭さが漂っていた。


「アタシはいいんだよ。船乗りにとっちゃこんなの汚れた内にも入りゃしないからね」


「いいからあなたも浴びてきなさいな。ほんとに臭うから」


 その頭をパシッと叩く。言葉遣いも変わっていることから、これがアーティファの素なのだろう。せっつくようにエイダを中庭に追いやった彼女は、「今ハーブティーをお持ちしますね」と言って奥の部屋へと消えていった。



* * *



「まあっ、お二人はタカナシさんのお弟子さんなんですねっ」


 胸の前で拝むように量の手のひらを合わせ、一段と弾んだ声を上げる。


 それはエイダと同じく冒険譚を聞くのが大好きだというアーティファに、バース族の遺跡で巨石に磨り潰されそうになった話や、坑道で偶然開いた迷宮ダンジョンに閉じ込められ、挙げ句オルコの団体と死闘を演じる羽目になった話など、その後も色々な迷宮や遺跡で散々な目に遭った話を語っていた時のこと。


「そういえばお二人はどなたに師事されていたんですか?」


 という質問に師匠の名を出したら、そんな反応が返ってきたというわけだ。


「師匠のこと知ってるのか?」


「ええ、よく存じておりますよ。史上最速で金等級にまで昇りつめた『生きる伝説』とまで言われるお方ですからね。むしろ知らないほうがおかしいくらいの有名人ですよ」


 とそこで一旦言葉を切り、ハーブティーを一口飲むと話を続ける。


「それにタカナシさんが初めて冒険者登録を行ったのが、ここミスルなんですよ。しかもその時の担当がまだ新人だった私なんです」


「そうなのか」


 これには純粋に驚いた。冒険者登録を初めて行った街を活動の拠点とすることが普通であり、ユーシア王国の片田舎に拠点を構えていた師匠のことだ、てっきり『始まりの町』と呼ばれているリベルタか、さもなくば王都シーリスで登録を行ったとばかり思っていたからだ。


「なんだ、知らなかったのかい?」


 途中、水浴びから戻ってきていたエイダが、茶菓子をボリボリいわせながら訊いてくる。


「ああ。あの人は自分のことは殆ど話さなかったからな」


 その割に妙なことをマルティナに吹き込む変なところはあったが。


「それじゃぁ、タカナシさんが何故冒険者になろうとしたのかも?」


「知らない。何度か訊いていたことはあるんだが、その度にはぐらかされていたからな。まぁあの人のことだ、どうせたいした理由でもなかったんだろうが」


「そうですね。って言ったらタカナシさんに怒られそうですけど」当時を思い出しているのだろう、クスクスと笑いながら。「渡航費が足りなくて冒険者になったんですよ」


「そんなこったろうと思ったよ」


「さすが師匠ぉ……」


「まぁもっと他にも事情はあったんでしょうけど……そうか。あれからもう十年近くも経つんですね……。そういえばタカナシさんはその後どうされているんですか?」


「失踪した」


「突然でビクリしちゃったよぉ」


「何だそりゃっ」


 エイダたちが驚くのも無理はない。他でもないベッキーたちが一番驚いているのだから。


「エルさんはなんと仰ってましたか?」


「エル? 誰だそりゃ」


「本当に何も話していないんですね」しょうがない人だなと、今度は苦笑しながら。「エル・ヴィエントさん。優秀な薬師でもありながら、〝疾風〟の二つ名で呼ばれる金等級冒険者で、タカナシさんの師匠でもある方ですよ」


「師匠の師匠か……」


 自分たちからすれば大師匠にあたる人物。言われるまで考えてもみなかった。師匠も冒険者ならそのまた上に師匠となる人がいた筈で、これは何か有用な情報が手に入るチャンスかも知れない。


「どうですか、幸いエルさんはこの街に住んでいますし、この際会いに行かれては?」


「面白そうだな。アタシもついて行っていいか」


 こうしてベッキーとマルティナの二人は、エイダを含めた三人で師匠の師匠、大師匠エル・ヴィエントなる人物に会いに行くことにしたのだった。


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