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第4話 新生活(前編)

 会社自体が無くなり、強制的に失業した晴信だが幸いな事に再就職は早かった。しかも住み込みで二食付き、社会保障完備で手取り二十五万という破格な職場だ。

 難を言えば仕事が不定期な為決まった休みがなく、どちらかと言えば夜勤に近くなる事。それでも仕事の状況を見てちゃんと休みをくれるそうだ。


 三月の終わり、住んでいたワンルームは綺麗に片付いている。

 家具家電は元々備え付けだったので持ち出す必要はなく、私物と言えば衣類やパソコン、雑貨だ。仕事もない五日間で十分荷造りが出来てしまった。

 そこへインターホンが鳴り玄関に出ると、知っている麗人の他にもう一人、岩のように大きな人が立っていた。


 肌が浅黒く、角張った輪郭に短く硬そうな黒髪。目は鋭く少し怖い。まだ春先だというのに白いノースリーブから岩のような上腕が覗いている。

 が、その人は晴信を見るとニッと笑みを作ってくれる。それを見ると悪い人ではないと感じて、晴信はほっと息をついた。


「手伝いに伺いましたよ、晴信さん」

「わざわざ有り難うございます、九尾さん。あの、そちらは……」


 相変わらずの美人顔で微笑む上司だが、今日は引っ越しの手伝いということで服装が見慣れない。カーキのつなぎを着ている丸眼鏡の美人とはミスマッチだ。

 その九尾を見越して晴信の目は背後の人物に向かう。それに気づいた後ろの彼が前に出て、大きくゴツい手を差し伸べてきた。


「一階で焼き鳥屋やってる、鬼熊源己だ。よろしくな」

「堂上晴信です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 握手を交わすと加減してくれる。それにしても大きな手だ。何だか爪も鋭く尖っていて、犬歯も発達して……角、が……。


「お、に?」


 改めて近くで見た源己の頭には二本の鋭い角がある。それをマジマジと見た晴信は冷や汗を流し尻餅をつきそうになるが、指摘された方はあっけらかんとしていた。


「本当に黎明の瞳かよ。こりゃ参った」

「えぇ、隠すだけ無駄というものですよ」


 後頭部を掻き苦笑いの男に九尾が可笑しそうに笑う。その様子から、おそらく害のある相手ではないと考え直して晴信は頭を下げた。


「すみません、その……驚いてしまって。失礼な態度を」

「あぁ、気にすんな。見えるお前さんにとっちゃ怖いだろうよ。寧ろ鬼なんだ、怖がられてなんぼってな」


 カラッとした態度で笑い飛ばした人はとても気持ちがいい。人ではないけれど、ちゃんと向き合っていけそうだ。

 見上げて、晴信も笑みを返せば源己は目を丸くして今度は視線を外してしまう。照れたように耳がほんのりと赤くなっていることに晴信と九尾は小さく笑った。


 とにかく入ってもらって荷物を見せると、二人は目を丸くする。あるのは段ボールが四つだけだ。


「あの、多いですか?」

「いや少ないだろ! おま、これでどう生活してたんだ!」

「Tシャツと、スエットが数枚にスーツが二着。ワイシャツが数着で、後は下着とか、マグカップとか、ノートパソコンとかが少しです」

「調理器具や食器はどうした!」

「寝に帰っているだけですし、食事の時間も取れなくて平日はカロリーバーとか、エナジーゼリーとか。休日はほぼありませんでしたが、ある時は一日寝てコンビニで」


 そこまで言うと二人が呆れた顔をしていることに気がついた。九尾は苦笑、源己にいたっては溜息をつきながら首を横に振っている。


「お前さん、よく無事に生きてたよ」

「本当に。まずは三食きっちりと食べて、目の下の隈も取っていただかなければ」

「そんな、大丈夫ですよ。気力で生きてきましたから」

「健全な生活しろってことだ!」


 何故か源己に怒られ、九尾は何処かへと連絡をしている。その様子を見ながら少し嬉しくなる晴信だった。


 何にしてもまずは引っ越し。源己が一人で段ボールを運び出して先にビルまで届けるという。お言葉に甘えて晴信は九尾と共に掃除となった。


「あの、掃除機使わないんですか?」


 晴信が渡されたのは何故か箒だった。おそらく小学校以来の再会となる。

 だが九尾は何故かこれを使えと言うのだ。


「箒で掃き清める事は大事ですよ。悪いモノを外に出すにはそれが一番なのです」

「そういうものですか?」


 だが、人外の彼が言うのだから信憑性がある。従うのが無難だろう。

 手を動かして物のほとんど無くなった部屋を掃いていくと、案外ゴミがフローリングの溝に溜まっていたのを見てしまう。掃除をする余裕が無かったのも事実だが、これに気づく事も出来なかった精神状態がまずかったのだと改めて感じる。

 九尾はバケツに水を汲んで何やら入れて丁寧に拭いている。何故かそこから空気が綺麗になっているように感じた。


「ここは、よくありませんね」

「え?」

「貴方の精神状態に引っ張られたのと、その瞳の力もあって寄ってくるのです。そしてこの場の淀んだ空気を好んで居座る」


 そう言うと彼は窓を全て開け放ち風を通した。途端、中の空気が一気に外へと押しやられた感じがする。残された部屋は静かで明るく、息が楽にできた。


「さて、掃除をしてしまいましょう」

「あぁ、はい」


 本当に不思議な人だ。怪しい人外でもあるし、幽霊をけしかけもした。三上の死体を見ても平然としている冷淡な一面が確かにある。

 けれど同時に晴信を救ってくれて、今も嫌な顔もせず手伝ってくれる慈悲深い一面もある。これらがあまりに両極端だから、どちらが本当の九尾なのか晴信は計りかねている。

 でも、清められていく空間と軽くなる気持ちは確かだ。

 爽やかな春の空気と心地よい柔らかな陽を浴びながら、晴信の手はよりしっかりと動くのだった。


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