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第4話 新生活(中編)

◇◆◇


 源己が戻ってきた時には綺麗に掃除も終わり、管理人が確認等を済ませた後だった。

 借りたという車に乗り込み向かった雑居ビル。そのオフィスに通された晴信はそこで知らない少年と遭遇し目を丸くした。


 肩くらいで切りそろえられたおかっぱ頭に大きな猫目の少年は九尾を見るとパッと表情を輝かせて飛びついていく。でも晴信の目には少年の正体らしいものが見えてしまった。

 三毛猫らしい猫耳と二本の尻尾。それらが機嫌よさげに揺れている。


「累様、おかえりなさい!」

「ただいま、タマ」


 九尾に抱きついても頭が胸に届いていない。そんな彼の頭を撫でた九尾が不意に晴信を見て、意味深に笑ってみせる。


「晴信さん、紹介しますね。この事務所の事務員で同居人の玉之助です」


 体を離され向き合わされて彼は不満そうだが、晴信を見てニッと口の端を上げる。吊り気味の猫目はきつい印象だが、彼が浮かべる表情は得意げでもあり可愛いと思えてしまう。


「なーんだ、累様が雇う人間っていうからどんな有能かと思えば、ぼんやり顔のモブじゃん。そんなんで本当に大丈夫なのかよ」


 思わず「うっ」と短い呻きが漏れる。それ程に心のダメージが深刻だ。

 確かに何が出来るかなんて今の段階では分からない。自分を有能などと売り込む自信など何処にもない。が、一応は役に立ちたいと思ってきているのに。


「まぁ、俺が懇切丁寧に教えてやるから心配すんなよ」

「ふふっ、早速先輩風だなんてタマはいけない子ですね。あまり意地悪な事を言うと手痛いしっぺ返しを食らうものですよ」

「コイツにですか? ぜっんぜん! そんな感じしませんけど」

「おやおや」


 肩をすくめて困った子を見る様子の九尾が不意にこちらを見る。目が合った瞬間、突然頭の中に彼の声が流れ込んできた。


『彼の正体を突きつけてご覧なさい』


 笑いを含む甘い声。でもおそらく嗜める意図がある。見れば微笑んでシーと人差し指を口の前に立てている。


「玉之助さんは、猫又なんですね」


 そう口にした瞬間だった。驚いた顔の玉之助の毛が逆立ったかと思うとみるみる縮んでいき、ついには足元に視線が向かう。そこに居たのは一匹の三毛猫で、尻尾は二つに割れていた。


「なんで俺の正体が分かったんだよ!」

「あの、耳と尻尾が……」

「嘘だ! 綺麗に変化できてるし鏡も見てチェックしてるんだぞ! でてなかった!」

「あ、はは……」


 何だか凄く悪い事をした気分で申し訳ないが、猫が不機嫌に喚く姿は何処か可愛らしく思えて、晴信はちょっと楽しくなったのだった。


 そこに源己が入ってきて状況を見て大いに笑う。

 そういえば不意打ちで彼の正体を口にしたのに、彼には変化が無かった。疑問に思い顔を見ると、それに気づいた源己が首を傾げてきた。


「どうした?」

「いえ。引っ越しの時俺、貴方の正体も口にしたのに変化が無かったなと思いまして。どうしてなんだろうと」

「あぁ。そりゃ持っている霊力の問題だ。これで俺は長生きで力も蓄えているからな。お前さんよりも霊力がかなり高いから変化の術を看破されなかったのさ」

「そういう力比べもあるんですね」


 晴信が持つ黎明の瞳には邪を看破する力がある。邪気を見抜き、その正体を見抜く。見抜かれたものは力を維持できずに元の姿に戻るか、力を失うらしい。

 でもそんな単純なものでもないようで、むしろほっとした。


 そういえば九尾はどんな人外なのだろう。この目で見ても彼の正体らしいものは何も見えてこない。

 視線があって、微笑んで近付いてきた人がツンと晴信の額を突く。


「秘密は秘密のままが、最も魅力的なのですよ。覗こうなんて無粋はご遠慮下さい」


 どうやら考えまで筒抜けらしい。この人に黎明の瞳なんて必要なのだろうか? そんな疑問が浮いた晴信だった。


 事務所は以前にも見せてもらっていたが、奥側にドアがあるのは気づかなかった。丁度外階段を登り切り、事務所に入ってすぐ左側にある僅かなスペースに目隠しの衝立があり、その先にドアがある。ここから先は居住区なのだとか。

 押し開けると玄関スペースがあり、小上がりの廊下が奥まで続いている。途中に階段があるが、これは三階の個人部屋に上がる為だそうだ。

 廊下は今入ってきた玄関を角にL字になっていて、左側へ行くと洗面脱衣所兼洗濯スペースと風呂、直進した突き当たりがトイレとの事だ。


 上がって廊下を進み最初のドアはリビングキッチンになっていて、温かみのある寛げる場所になっている。

 柔らかく明るい色合いのフローリングに三人掛けのソファーとローテーブル。リビングとキッチンの境にはちゃんとしたカウンターがあって椅子もある。ここで食事を食べているそうで、まるで店みたいだ。

 テレビや木の本棚もあり、棚の側には一人掛けのテーブルセットと少し背の高いフロアランプもあり、静かに読書を楽しむ事もできるとか。

 ここは共有なので誰でも使っていいけれど、綺麗に使って欲しいとの事だった。


 廊下を更に進みトイレに近い所にある部屋は九尾の私室で基本出入り禁止。理由は危ない物もあるから。詳しい中身は聞かないでおいた。


 タマと晴信の私室は三階ということで上がって行くとやはり明るい木目の廊下で、天井付近の採光窓のお陰で暗くは感じない。

 階段を登り切って直ぐの所に一室、その並びの奥にも一室。壁際をぐるりと更に数部屋があるらしいが今は未使用で一部が物置になっているそう。因みに中央は軽い仕切りはあるがドアのない開放部分で多目的ルーム状態らしい。


「凄く贅沢な間取りです」

「人いないわりに広いんだぜ、このビル」

「狭苦しいのは好きではありませんので」


 人の姿に戻ったタマが呆れ顔で頭の後ろに手をやり、九尾が苦笑している。

 晴信の部屋は階段に一番近く表通りに面した一室で、開けると風も通り清潔で、既にベッドと布団とカーテンは用意されていた。


「わぁ、気持ちいい」


 そこに立つと気分も晴れるようで軽く感じる。何よりも空気に重さがまったくないのが嬉しい。思わず頬に赤味が戻り、目はキラキラと輝いてしまう。


「ってかよぉ、マジで何にも家具ないのか? 荷物も段ボール四箱って源さんに聞いて流石に嘘だと思ったぜ。生活どうしてたんだ?」

「ほぼ、寝るだけの場所だったので」

「人間は忙しすぎるだろう。それで何が楽しいんだ? せせこましく働いてばっかで、暗い顔してさ」


 理解出来ないと暗に言われているのは分かるが、その代表格みたいな生活を送っていた人間なので何とも言いがたい。苦笑していると九尾が苦笑して辺りを見回し、次に晴信を見た。


「週末は買い物がよろしいのではありませんか? ラグやテーブル、棚など買っても良いでしょう。クローゼットはありますが、そこに入れる衣装ケースなどは御座いませんし。何より私服をもう少し増やしても良いかと」

「え! いや、でも……勿体ない気もして。結局使わないようにも思いますし」


 薄給だったこれまでは自分で使うよりも取られるものが多くて、日々の生活だけで精一杯。医療費すらも泣く泣くだったから、私服なんて着られればいいという感じだった。

 今日はジーンズに適当なTシャツとパーカーだが、これも大学時代から着ているものでけっこうよれてきている。

 浮かない顔の晴信に九尾は笑っている。


「会社から色々とせしめたではありませんか」

「あぁ……」


 それもあった。

 前職に労務が入り、事件もあって警察も入って調べられた結果、特に晴信に対する扱いの悪さが露見した。深夜残業、休日出勤にも関わらずそれらの給与がまったく支払われておらず全て社長と専務の懐に入っていたのだ。

 会社には記録がなかったもののビルの入館と退勤は記録があり、パソコンの使用履歴なども相まって不当であるのは明確。いち早く過去の給与が晴信に支払われた。それでも全額ではないというのが恐ろしい。

 そんな事もあり、現在懐は潤っている。


「でも、俺は趣味もありませんし引きこもりで、服も拘りがありませんし」

「つまんねーの。ってかさ、それってそういう心の余裕が無かっただけだろ? ここはそんなに仕事詰めたりもないから、私服着る機会なんてザラにあるぜ」

「そうですね。忙しい時は大変ですが、基本はゆったりとしております。好きな事を探すにはよいと思いますし、着る物で気分も変わります」


 そう、だろうか? 驚くように瞬きをして、改めてここの人達を見て、それを信じられる優しさを肌で感じる。込み上げる温かさは少し痺れるような気がした。思わず目が潤みそうになるくらいに。


「そう、してみます」


 笑ったら同じように笑みが返ってくる。そういう場所に居られる幸せを今、噛みしめている。


 そんな事で荷ほどきは秒だった。

 私服を見たタマがしきりに「ダセぇ!」と叫び、ヨレヨレのスーツを見た九尾が「仕事用のスーツと作業着が必要ですね」なんてブツブツ言っている。パソコンなどは置く場所もなく急いで使う事もないのでまだ段ボールの中。愛用のマグはリビングへと持っていくように言われた。


 そんな事で下のリビングへと戻って来ると何やら動いている事に気がついた晴信はマジマジと見て悲鳴を上げた。

 ローテーブルの上を踊るようにクルクル回り拭いていたのは手首から先。ほっそりとした青白い手首が動き回っている映像に怖がりな晴信は腰を抜かしそうになってしまう。

 一方叫ばれた手首はビクッと驚き動きを止めた後で、何やら慌ててオロオロしている。手首だけなのに。そうして中指と人差し指を足のように動かして歩き、ぴょんとテーブルから飛び降りると晴信の側まで来て腰を折るように深々とお辞儀してきた。


「茜子さんはここの家政婦してくれてっから、失礼のないようにしろよ晴信」

「家……政婦?」


 タマに呆れられて改めて見てみると、見た目はグロテスクに思えるが邪気はない。むしろ手首だけなのに動きはコミカルではつらつとして、周囲に見えない花を撒き散らしている感じもある。


「あ、えっと……本日からお世話になります、堂上晴信です。よろしくお願いします」


 伝えると茜子の周囲はほんわかと明るく和やかな空気になり、頭を下げるが如く手首のスナップが頷く。声はないが「よろしく」と言われているのは伝わってきた。


「茜子さんは歓迎会の準備をしてくれているのですよ」

「いい人……幽霊? なんですね」

「明るく陽気でやや楽観的なのですよね、彼女は」

「はぁ……。あの、どうしてここにいるのですか? ここは九尾さんの結界で妙なものは入ってこないんですよね?」


 最初にそう説明を受けているし、今も晴信の周囲は静かだ。声も気配も感じられない。

 この問いに九尾は苦笑している。


「彼女はこのビルが建つ前にいた住民なのですが、どうやら惨殺事件に遭ったらしく両手首以外の体が未だに行方不明なんです。その為、今もまだ成仏出来ていないんですよ」

「地縛霊って奴じゃないですか!」


 思わず叫ぶと茜子もびっくり。そして照れている。何も褒めてはいないのだが。


「色んなものがいます。幽霊も性格次第ですね」

「そう、かもしれません、ね?」


 そうなんだろうか……という疑問とモヤモヤが残る晴信だった。


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