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第4話 新生活(後編)

 想像以上に早く終わった引っ越しの為、現在はリビングでまったり。そうして見ているとそれぞれが何処で普段を過ごしているかが分かる。

 タマは基本ソファーでテレビを見ているようだ。今もだれっとしているのが、どことなく猫らしい。

 九尾は静かに少し離れた本棚近くのテーブルセットに座り本を読みながら紅茶を飲んでいる。

 晴信は新参過ぎてどうしていいか分からずにいたら、茜子が誘ってくれてカウンターの一つに腰を下ろす。すかさずお茶が出され、彼女も側にチョンと乗った。


「あの、先程はすみませんでした。俺、臆病なので慣れるまで叫ぶかもしれませんが気にしないでください」


 先に謝っておく。絶対やらかすから。

 けれど茜は気にしないのか器用に頷く。空気はまったり、少し楽しそうにも感じる。よく見ると彼女の手はほっそりとして綺麗。手首の断面はツルンとしている。


「美人さんの手だなぁ」


 気が抜けているのか思った事がそのまま口に出てしまい、ハッとして見れば茜子は青白い手を赤くして身を捩っている。


「お前、茜子さん口説くとはやるな」

「ふふっ、慣れてくれると助かりますね。掃除も洗濯も彼女がしているので、怒らせたら大変ですよ」

「えぇ! あの、俺でよければ手伝います」


 二人にからかわれ、意外な事実を知って申し出れば茜子はぱぁぁ! と嬉しそうな空気を出し、改めて握手を求められたんだけれど……その感触はぐにょっとしたゴムのようでもあり、底冷えがするくらい冷たいものだった。


 少ししてインターホンが鳴り、出ると源己が手に色々持って立っていて慌てて少し持った。

 焼き鳥が塩とタレでそれなりに沢山。他にも鶏皮の湯引きや酒、唐揚げに寿司もある。


「あの、これって……」

「お前さんの引っ越し祝いに決まってるだろ?」


 言われて目を丸くする晴信の胸にじわりとまた痺れるような嬉しさが込み上げる。お祝いなんて、もうずっとしてもらっていない。誕生日すら小学生以降はなかった。


「おい! どうした!」

「え? あっ、あれ? あははっ、どうしたんだろう俺」


 気づけばポロポロ泣いていて、慌てた源己の声にタマや茜子も出てきて驚いて聞いてくる。けれど晴信自身が分からなくて答えようがない。そんな様子を少し離れて九尾が見守るようにしていた。


 何にしてもお祝いとなり、リビングのカウンターや増設された折りたたみテーブルに料理が並ぶ。更には一升瓶がドドーンと存在感たっぷりに置かれた。


「では、新たな仲間との良き関係を願って。かんぱーい!」

「源さんが音頭取るのおかしくない?」

「やりたい者にやらせればよいのですよ」


 と言いながら九尾はお猪口の酒に口を付けている。源己とは違う、何やら高そうなものだ。

 一方の晴信は祝われ経験がなさ過ぎてどうしたらいいか分からずオロオロするばかり。そのお猪口に、九尾が自分の飲んでいる酒を少量注いだ。


「一口どうぞ」

「ありがとうございます。あの、俺あまり酒は強くなくて」

「これは祝いですから、一口」


 そう言われると断りにくい。そろっと口を付けるとサラリと入り込み、軽やかな甘い香りが鼻に抜けていく。僅かに喉を熱くする酒精はあるが、過度に強いとも感じない。それどころか体の中から守られる不思議な感覚があった。


「神から下ろされた酒には神気が宿る。己の中に結界を張るのです」


 妖艶な流し目の後はお茶を出され、源己がやたらと肉をすすめてくる。食べた焼き鳥は甘辛いタレが少し焦げて香ばしく、それがまた後を引く味でついつい食べてしまった。

 唐揚げも柔らかくて美味しくて、寿司なんていつ食べたか覚えていないと言えばタマにまで勧められた。

 テーブルを囲って皆が笑っていて、声が大きかったりじゃれたりもして。こんな空間に自分がいるなんて今でも信じられなくて不思議な感覚だ。でも嬉しくて楽しいから、どうかいつまでも続いてくれと思ってしまうのだった。


◇◆◇


 少しして解散となり、源己は一階へ。店舗の奥が自室らしく、今度遊びに来いと言われてしまった。

 久しぶりに気持ちまで一杯になった晴信は風呂にと言われて一度自室へと一人上がった。夜ともなれば暗く思うが辺りは静かなまま。部屋も直ぐそこだから明かりはつけなかった。

 ドアを開けてジャージとTシャツを取ると不意に表通りが明るく感じた。カーテンを通した向こうの世界が赤く明るい。信号機の明かりにしては強い気がする。

 気が抜けていた。安心しきっていた。だからこそ疑問そのままにカーテンを開けてしまった晴信はその場で息を詰めて目を見開き、動けなくなってしまった。


 表に面した窓一杯に映る真っ赤な目玉が中を覗いている。濁った白目にはグロテスクな血管が浮き上がり、赤い目と縦に長い瞳孔がギョロギョロと蠢いている。肌の色は灰色がかって質感はブツブツしているのが分かる。


 震えて尻餅をついた晴信は怖さから声が出なかった。目を逸らすこともできない。逃げたいのに体が言う事をきかない。歯の根が合わずカチカチという音が室内に響くばかりだ。

 逃げなければ。思うのに後退る足は空転する。手でどうにか体を支えている。

 窓の外の目玉は不意に笑った気がした。獲物を見つけたように。


「っ!」


 声が出ないまま喉が絞られる。驚きと恐怖と苦しさでヒュッという音が漏れるばかりで声が出ない。心臓まで痛い。

 あまりの事に蹲りそうになった時、背後から甘い匂いが立ちこめて目を見開いた。


「無粋な輩。私の領域に手を出そうなんて、おいたがすきますよ」


 甘く妖艶に毒を吐くような声と共に甘い香りが紫煙となって室内を巡る。散るは極彩の花弁。それらが一斉に窓へと突風のように流れていくのに一瞬目を瞑った。

 そうしてもう一度目を開けると、そこは何でもない町の夜景だった。


 背後の人は何故か加熱式タバコから紫煙を出している。それ、煙が出ない物のはずなのだがというツッコミは一瞬あった。けれどそれ以上に安心したら本格的に震えてきて、喉を引き絞るような嗚咽が漏れて泣いてしまう。

 そんな晴信を気遣うように九尾が床に膝を付いて、頭を抱き込むようにしてあやしてくれた。


「大丈夫ですよ、晴信さん。もうきません」

「九尾さん」

「怖い思いをしましたね。でも大丈夫。大丈夫ですよ」


 優しい声にあやされて、背中を優しく叩かれる。鼻先を擽る甘い匂いはあの紫煙の匂いだった。

 過ぎ去った恐怖を押し出すように泣いたら落ち着いてきて、不審そうに様子を見に来たタマが驚いて今日は一緒に風呂に入ってくれる事になった。

 怖いけれど一人ではない今を感じられた晴信はその後、ゆっくりと眠る事ができたのだった。


◇◆◇


 寝静まった頃、一階では九尾と源己が静かに酒を酌み交わしている。

 それはとても静かなもので、話す声すら雑音に聞こえるものだった。


「それにしてもお前さん、悪趣味が過ぎるな」

「ん?」


 辛い酒を一口煽る源己がしみじみと呟く。それに僅かに反応した九尾は落ち着いた様子だ。


「あの子だよ。お前の事も目のことも、何も知らないんだろ?」

「そうですね」

「そうですねって……話してやらないのか?」


 眉根を寄せる様は僅かに咎めてもいる様子。それに苦笑した九尾だが、これといって反応もしない。聞き流した感じだ。

 この様子に更に溜息をついた源己に、九尾はコロコロ笑って酒を注ぐ。


「別に、明かさずともよいでしょう」

「……黎明の瞳の元の持ち主はお前さんだって、知らせてやんないのか?」


 一段低くした声にチラリと源己を見る九尾の視線は僅かに冷たい。余計な事を言うなと言わんばかりだ。

 これに肩をすくめる源己に、九尾は静かな声で答える。


「人の一生など儚いもの。焦らずとも回収はいたしますよ」

「そうか?」

「……あの目が呪いとなるのなら、それがよろしいでしょう。もう役目も終えたでしょうしね」


 そう呟く九尾はどこか寂しげで、源己は無言で酒を注ぐ。


 その時不意にスマホが鳴って、九尾は確認して僅かに苦笑した。


「どうした?」

「いえ。どうやらまだ終わっていなかったようで」


 届いたメールの件名には『オフィスビルの除霊依頼』とあった。


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