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5話 淀みを祓う(6)

 全館照明は落としている。今明かりがついているのはまだ居残っている人がいるか、非常口などの緊急時に必要な箇所だけ。その中を石川を先頭にして進んでいく。


「まずは三階の物品庫だったか。あの辺りも酷いからな」

「噂が?」


 九尾が問うと、石川は静かに頷く。


「時折物が散乱する。窃盗かって俺達が駆けつけて、ついでに片付けもするんだがありゃ窃盗じゃないな。なんていうか、子供が癇癪起こして暴れたみたいな感じだ」


 石川の主観なのだろうが、何かが違っているらしい。実際、取られた物はなく不思議な事という程度で終わっている。一ヶ月に一回程度あり、もう警備の人間は慣れっこらしい。


 ここには基本鍵がかかっていない。色んなオフィスが出入りしているという事情もあるそうだ。

 ドアを押し開けるとムワッとする空気と微かに感じる腐臭。それと同時に晴信の目には空間がダブったような感じに見えた。床は僅かに歪み、窓の無い一室の闇が揺れている。


「なんか、気持ち悪い」

「そうか? まぁ、窓が無いから換気が悪くて空気が悪いのは分かるが」

「臭いますね、確かに」


 石川だけではなく九尾も、この空間の歪みが分からない。それならこれは霊的な何かで、晴信にしか感じられないのだ。

 ゾクリと背を冷たいものが這う。思わずギュッと自分を抱くと、隣の九尾がトントンと肩を払うように叩いてくれた。


「だが、静かだな。普段はもっと空気が重くて居られないんだが」

「それはおそらく、私がいるからでしょうね。これでもそこそこ強い能力者なので、あちらさんも警戒して鳴りを潜めているのでしょう」

「へぇ、若いのに凄いんだな兄ちゃん」

「恐縮です」


 素直に感心した様子の石川に、しれっとした顔で返す九尾。おそらく、もの凄く年上だろうと予測する晴信は何も言わずにいるが、多少笑いが引きつったのは勘弁してもらいたい。


 一応中へと入り、辺りを見回す。シンと静まりかえる空間に三人分の足音が響いている。けれどずっと、見られている感じはしているのだ。後ろから、横から、上からも。

 それらを気にしながらも部屋の奥へと到達し、何も無い事を確認して扉へと引き返し始めた足音が……五人分に増えている?


「わぁ!」


 ゾワリと這うようだった冷たさが一気に背を駆け抜け鳥肌が立った。

 晴信の悲鳴に刺激されたのか、部屋の空気が一気に重みを増して暗い影を落とし、部屋全部からガンガンと壁を叩く音が始まる。

 耳を塞いでも体感で揺れを感じる怪異は晴信や九尾だけではなく石川にまで影響していて、逞しい体が竦んで顔色を悪くしているのが分かる。


「外へ!」


 九尾に促されて晴信と石川が転げるように部屋を出て、九尾がドアを閉めると音が消える。壁に手をついて暴れる心臓を落ち着けている晴信と、床にへたり込んだ石川は暫く動けないままだった。


「なんだ、今の……こんな事は今までなかったぞ」


 未だ床に尻餅状態の石川が恐れた様子で九尾を見上げている。一方の九尾は顎に手をやり思案顔をしている。相変わらず廊下はさっきの騒々しさが嘘みたいに静かだ。


「おそらく、集まる場所は反発のように反応があるのでしょう」

「大丈夫なのかい?」

「今のところは。ただ……放置はまずいですね」


 そう言った彼の顔が思いのほか真剣なものだったから、晴信は余計にゾクリとしたのだった。


 石川が立てるようになってそのまま今度は六階へ。歩いて行くと明かりの消えているはずの一角が賑やかに光っている。パカパカピカピカ、まるでお祭り騒ぎだ。


「自販機がネオンサインみたいになってますね」


 先程の肝が冷えるような怪異に比べれば、なんとも心和む状態にやや拍子抜けする。九尾も苦笑し、石川は「いつものことだ」と溜息をつく。

 それでも九尾がいるのにこれだけ明確に動いているのだから、やはり強い怪異であるのは確かなんだろう。

 確認はしたという事で背を向けて数歩歩き出した、その時だ。背後の自販機が全て一斉に真っ赤な明かりだけを強烈に放ったのは。


「何! なんで」

「嫌われてしまいましたね」


 流石に異常なものを強く感じて怯む晴信と石川に、九尾はそのまま無視して進むように促していく。

 結局あの赤い光は晴信達が廊下の角を曲がるまでそのままだったが、強く見られている感じはエレベーターに乗るまで感じたのだった。


 九階の空きオフィスへと続く道を今は歩いている。終業時間を大幅に過ぎているとはいえ、やはりこの一角は寂しくて空気も重い、例の場所へ向かう足も徐々に鈍りだしている。でもこれは晴信だけではなく石川も同じに思えた。


「なんか、いつもより空気が重いな」

「警戒されてしまったのでしょうね。ただ、こちらを害する事はできません。そこまで明確な悪意を持ち得ないのです」

「少し前に起こった事故死は異様だったが、アレもおばけの仕業かい?」

「あれは、あの男個人についていたモノのせいですよ。悪因悪果です」

「確かにあの人はビルでもちょっと噂になってたからな。部下いびり倒してて何人も辞めてるらしいって」


 他のオフィスにまでそんな噂が流れていたとは知らなかった。

 改めてあそこは異常だったんだろう。おそらく、このビルと関わらなくても。


「悪業は悲劇的な結末を、善意は幸福を寄せます。昔話がよい例です。多少のタイムラグはあるかもしれませんし、もしかしたら生きている間にそれらの運気は巡ってこないかもしれませんが、必ず何処かで帳尻が合うようになっているものですよ」

「はぁ、そういうもんかね?」

「えぇ。勤労な石川さんはきっと、この後運気も巡ってきますよ」


 そんな話をしているうちに、例の空きオフィスへと到着した。


 空きオフィスなのだから当然中はガランとしている。机の一つもありはしない。

 だがここには窓があり、ブラインドすらないので夜の明かりを床に落としている。それで薄らと中の様子が見えている。


「静かだな」


 流石に警戒して扉を開けたものの誰も室内に入ろうとはしない。覗き込むようにしていると不意に何かが光った。それは強い光が瞬いたような一瞬のものだった。だが、次には違うものに豹変した。

 一斉に白色の光が天井一杯に灯り、暗い中を進んでいた晴信達は目が眩んだようになる。その次には明かりは一斉に消え、また灯る。ピカピカとフラッシュのようになる室内の異常を認識しながらもあまり警戒はしなかった。

 何故なら六階とあまり変わらなかったから。


 けれど晴信の目だけは更なる異常を感知していた。

 暗がりの中を点滅する度に少しずつ近付いてくる、真っ黒い人の形を。


「何かが近付いてくる!」


 悲鳴のように叫ぶと同時にフラッシュの間隔が突如短くなる。それに合わせ高速で近付いてくる人影には目も鼻も見当たらないのに、真っ赤な口だけは見えている。


「くる!」


 自分達のいる出入口まであと数十センチにまで迫った人影が手を伸ばしているのを見て、晴信は自分の頭を腕で庇いながらも目は離せなかった。閉じれば余計に怖い気がしたのだ。手が伸びて、まるで掴みかかるようにも見えるその瞬間、九尾が勢いよくドアを閉めて鍵をかけた。

 オフィスの中が僅かに見えるガラス部分にドンと手が触れ、ズルズルと落ちていく。その跡が赤く引きずったようで、晴信は軽い目眩がした。


 静まりかえる空間と冷たい緊張感。ドアを閉めた途端に鳴りを潜めた点滅。それでもこの場に居られなくて晴信と石川は足早にエレベーターホールへと駆け足で向かい、上階行きボタンを連打し、到着したエレベーターへと駆け込んでいた。


「お手柄でしたね、晴信さん」

「もっ、心臓止まる」

「大丈夫ですよ、守って差し上げますので。まぁ、驚かすのが怪異の本分ですのでそこは諦めて頂くしかないのですが」


 そう言って苦笑されては何とも言えない晴信だった。


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