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5話 淀みを祓う(9)

◇◆◇


 翌日は寝坊して飛び起き、転がるようにリビングに降りて土下座すると全員に驚かれ起こされた。責められもせず温かい言葉を掛けられて泣いてしまう晴信を見て九尾は今日休むように言ってくれて、タマも同意する。

 けれど前職の影響で「クビですか!」と更に泣くと全員から「普通に休息日」と言われてしまった。


 九尾はこれから儀式に必要な道具を揃えに事務所を出るらしく、タマはお留守番。かなり遅めだというのに茜子が雑炊を作ってくれる。出汁とお米とふわふわの卵が美味しい。優しい味の手料理にまたホロホロ泣きそうな晴信を、茜子がよしよしと頭を撫でてくれた。


 思ったよりも昨夜は疲れたんだろう。ぼーっとして何も考えない時間が過ぎている。これが許される贅沢を噛みしめてしまう。部屋着でも怒られないし、だらしない格好でソファーにいても許される。


 そして不意に、足首に妙なものを感じて見てみた。痛みなんかは何もない。ただほんの少し色が違うような……!


「うわぁぁぁぁ!」


 思わず大きく叫ぶとバタバタとタマが駆け込んできて「どうした!」と叫び、茜子がオロオロする。

 一方の晴信は青い顔でソファーに座り震えながら自分の足首を示した。

 左の足首に浮かぶ五つの痣のようなものは手の形に見える。昨夜、あの不思議な感覚の中で確かに足を掴まれそうになった。

 でも掴まれてはいなかったはずなんだ。そんな感じはなく、直後に九尾に起こされた。なのに、どうして。


「うわぁ、バッチリ貰ってきたな」

「これ、どうしたら」

「累様が戻ったら払ってもらえ。どうせここの中じゃ悪さなんて出来ないし、この程度なら問題ないよ」

「うぅ」


 そう励まされても何だか気持ち悪い。せっかくのお休みが台無しになってしまったみたいで、晴信はガックリと肩を落とした。


 夕刻、戻ってきた九尾に晴信は転げるように縋って泣いて足首を見せ、彼は苦笑してソファーに座らせ、部屋から青々とした木の枝を持ってきてそれで足首を撫でた。

 たったそれだけなのに痣は消えていく。目の前で起こっているのに凄く不思議で、晴信はキラキラの目で九尾を見た。


 その日の夕食後、リビングで晴信と九尾、そしてタマも囲ってビルの地下の見取り図を見ている。


「本当に何もない」


 石川が言っていた事は本当で、だだっ広い空間は何も存在していなかった。


「十年くらい前にここで前のビルオーナーが焼身自殺してんだよ」

「焼身自殺!」


 想像するだけで怖くて苦しいそんな死に方を選ぶなんて、晴信には考えもできない。それだけ訴えたい何かがあったのだろうか。


「因みに原因は妻の浮気と借金だ」

「うわ……」


 想像よりもどうしようもない内容に引いてしまう。

 だが九尾の考えは違うようだ。


「呼ばれた可能性もありますね。ここ、元は火葬場の敷地です」

「え!」


 思わぬ事に大きな声が出てしまう。タマはピョンと出た猫耳を押さえて「うっせ!」と怒鳴った。でもそのくらいショッキングだったんだ。


「とは言え江戸の初期です。土葬文化ではありましたが、何らかの理由で火葬しなければならない者達をここで焼いていたのです」

「その理由って」

「多いのが流行病で亡くなった者。他は犯罪者などもですが……宗派や地域でも火葬が推奨された場合もあります。ここの場合は流行病に罹った者を焼いていましたね」


 まるで見てきたようだが……正直九尾の年齢が分からない。妖怪では『千年を生きた』なんて事もありそうなので、なんと言えばいいか言葉に困る。


 だが元々土地に因縁があるのだ。そう考えると今回の事、妙に納得も行く。


「当時は祠を建てていたはずですが、流石にね。ですので、晴信さんが集まっていると見抜いた南西の一角に道を作る事にしました」


 そう言って九尾が置いたのは綺麗な鏡だった。神社の祭壇に置いてあるような丸い鏡が台座の真ん中で鎮座している。


「明日の明るいうちにこれを地下の部屋に祭壇を作って設置し、場を清めると同時に道を開きます」

「そんな事が出来るんですね」


 九尾は力の強い妖だとは思っていたが、そんな凄い事もできるなんて。

 そう思って彼を見ると、少々苦い笑みだった。


「出来ますが、とても疲れるのですよ。本来道は長い年月をかけて作られていくもの。それを一瞬でぶち抜くのです、霊力をごっそりと持っていかれるでしょうね」

「あの、大丈夫ですか?」


 心労の滲む様子に慌てて問うと、それでも彼は頷いた。


「まぁ、ビルまるごとの霊を消滅させるよりは人道的ですし歪みも少ないですしね。それに消滅では一時的な効果しかありません」

「人に優しくいきましょう」


 既に亡くなっているとはいえ、そんな殺生な。

 真剣な晴信の様子に九尾は声を出して笑い、ぽんぽんと頭を撫でた。


 翌日、守衛室へ行くと石川がいて地下へ案内された。

 まだ社員は出勤していない早朝なのに地下の空気はどんよりと重たい。

 これでも夜よりはマシだと石川がぼやき、九尾も頷いて真っ直ぐ例の部屋へと入った。


 元はゴミ集積場だったという部屋は空気が淀み床もあまり綺麗とはいえない。埃っぽくもある。

 まずは掃除からと、三人で綺麗に部屋を掃き清め、更には床も拭いた。

 気のせいだろうか。こうして部屋を綺麗にするだけで空気が軽くなっていくようだ。


「軽くなった」


 石川も気づいたのか顔を上げ、辺りを見回して驚いた顔をする。


「これからは出来れば毎日、朝にここの掃除をしてください。週に一度は御神酒を新しくして」

「それで危ないもんが居なくなるなら喜んで」


 そう、石川は確かに頷いた。


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