次の日の朝、仕事の合間に私は畳んだ上掛けを抱え、桔梗の部屋に向かった。自分でも足取りが軽くなるのがわかる。さっきからかなり強い雨が降っていて、空が曇っているけれど、世界がほんのり明るく見えた。
私はそっと、上掛けの中に忍ばせた紙を布地の上から撫でる。これは私なりに感謝の気持ちを綴った手紙だ。手紙といっても、私は読み書きができないから、押し花を貼り付けただけのもの。それも、庭に咲いていた小さな野花である。とても美しく咲いていたから、桔梗に送りたかったのだ。でもきっと、もらった桔梗からすると意味がわからないだろう。
(こんなことをしたら、迷惑よね)
手紙を渡すのをやめようか。歩きながら何度も逡巡する。桔梗は次期当主で、私は単なる奉公人。しかも、災いの子だ。互いの立場の差を考えると、自分がやろうとしていることがいかに非常識なのか痛感する。
「やっぱりやめよう」
桔梗の部屋の前にたどり着いた時、私はそう結論を出す。上掛けから、手紙を抜き取ろうとした瞬間――部屋の扉が音を立てて開いた。
「……どうしてあんたがここにいるのよ!!」
私の姿を見た途端、部屋から出てきた文子が甲高い声を上げる。私は上掛けを見せ「これを桔梗さまにお返ししたくて」と告げた。途端、文子が刺すような視線を私に向ける。
「まさか、あんたそれ、盗んだの……!?」
「違います……! 桔梗さまが私に貸して――」
潔白を訴えようとした刹那、頬に重い衝撃を感じる。一瞬何が起きたのかわからなかったけれど、肩で息をしている文子を見て、彼女に平手打ちされたのだと遅れて理解した。
「今回は黙っておいてあげる。でも……もう桔梗さまには近づかないで」
文子は私の手から上掛けを引っ手繰ると、部屋の中へ入っていった。私は呆然と立ちすくむことしかできない。
(また、誤解されてしまった)
すっと心が冷えていく。やはり、自分は人と関わってはいけないのだと、突きつけられた気がした。
(桔梗さまに気持ちを伝えたいなんて、わきまえないことをしようとしたから罰が当たったんだわ)
私は思わず顔を覆う。こんな惨めな自分を誰にも見られたくなかった。地面を叩きつけるように降る雨まで、私を嘲笑うように音を立てている。自分は幸せになってはいけないのだろうか――。そんな疑問が過った。
それから三日間、桔梗と会うことはなかった。きっと、避けられているのだろう。私は彼へのほのかな想いに蓋をした。
桔梗と会えなかった三日間、強い雨だけが降り続いていた。