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序章

「遥か昔、我らの神、ソルディアスは、人々を苦しめ続けた邪神、ゼドを封印し、このソルディアス王国を創設された。その功績は、大変偉大なものである。聖書によれば、今日はソルディアス様が誕生された日。我々はソルディアス様に感謝と祝福の心を持って、今日という一日を過ごさねばならない」


 カロイが、まだ幼さの残る顔を緊張で強張らせながら声を上げた。城のバルコニーからだと、広場にぎっしりと人が集まっている様子がよく見える。王子とは言っても、カロイはまだ十二歳。こんな景色を見てしまったら、緊張しないわけがないだろう。カロイが、静かに胸を上下させるのを見て、リベロは心の中でカロイを応援する。リベロの思いが通じたのか、カロイはしっかりとした声を広場に届けた。


「今ここに、祝福祭の開催を宣言する!」


 わぁっと広場から歓声が上がる。途端にカロイの身体から力が抜けるのがわかった。初夏の爽やかな風が、カロイの艶やかな金髪をさらさらと撫でる。やり切った。そう、あどけない横顔が言っている気がした。

これでもかという程に晴れ渡った空に、広場に上がる歓声と、楽団が奏でている華やかな音楽が合わさりながら弾けていく。

 ――良い開会式だった。

 リベロはカロイを見つめ、笑顔を咲かせた。


「ご立派な宣言でしたよ」


部屋に戻ると、リベロはカロイにそっと声をかけた。余程緊張していたのだろう。頬を赤らめつつも満面の笑みを浮かべるカロイは、得意げな顔をして「当たり前じゃないか」と言った。


「僕は、次の国王だからね」

「それなら、もう少し勉学にも励んでもらいたいものだ」


 カロイの父――つまり、現在の国王、テオが笑いながら言う。カロイは不満げに口をとがらせ、何か言って欲しそうにリベロを見たが、リベロが「わからないところがあったら、私が教えて差し上げますよ」と言うと、頬を膨らませてむくれてしまった。しかし、リベロにとってはこんな子供らしい一面が愛おしくて仕方ない。立場の差を考えると、愛おしいなどとは言っては失礼なのかもしれないが。


「僕、勉強嫌いなんだけどなぁ」

「そんなことを言われては困る……と言いたいところだが、まぁ、今日は祝福祭だ。これ以上、私が何か言うのは避けよう」


 テオがそう言うと、カロイの顔がぱっと輝いた。


 祝福祭。


 それは、この国の人間にとって、一番の楽しみと言って良いだろう。ソルディアス王国を創設した神、ソルディアスの誕生を祝うとされるこの祭りは、国を挙げて行われる。祭りの間、人々は労働を止め、家族や友人とご馳走を食べたり踊ったり、自由に楽しむ。一日中、どこかから音楽が聞こえてきて、人々の装いも華やかになるこの日は、誰もが笑顔になるものだ。


 王城内も例外ではなく、普段は堅苦しい雰囲気の大臣までもが、陽気に歌いだしたりする。きっと今頃、コックたちは腕によりをかけた料理を準備しているだろう。そう考えると、自然とリベロの頬も緩んだ。


「今年は、どんなご馳走が出るのかなぁ。あ、そうだ! 今年は夜のパレードを見に行ってもいい? いいよね?」


 開催の宣言という重大な仕事をやり遂げたからか、カロイは急にはしゃぎ始めている。ソルディアス王国では、成人として扱われるのは十五歳以上の人間だ。ただ、子供として扱われるのは十一歳までだ。十二歳から十四歳の間は、〝準成人〟とされている。我が子が準成人の年齢に達した時、親は子供に仕事を教え始めなければならない。これは、成人した時にすぐ立派に働けるようにするための決まりで、王城も同様だ。そこで、王家では十二歳になった王子または王女は、その年の祝福祭の開催宣言をしなければならない、という決まりがある。カロイが今日、開催宣言をしたのは、そんな理由があるからだった。


「パレードは、窓から覗くだけにしておきなさい」


 父親からそう窘められ、不貞腐れたような表情をしているカロイは、意外なことに黙って頷いた。昨年までだったら、もっと駄々をこねていたに違いない。その様子を見て、少し大人になったなぁとリベロは思った。


「ねえ、リベロ。お願いがあるんだけど」


 カロイの成長にしみじみとしていたリベロだったが、夕食の後に話しかけてきた彼の表情を見て、噴き出しそうになってしまった。カロイは微かに右眉を上げ、不自然なほどに周りを気にしている。これは、カロイが良からぬことを考えている時の癖だ。そして、リベロに協力を求めてくることもいつものことだった。


「……パレードですか」


 カロイが考えていることは、大体わかる。案の定、カロイはリベロの言葉を聞くと、にんまりと笑った。本当は、見に行くことを諦めていなかったのだ。父親の言いつけを随分と素直に聞いている様子だったから、カロイも王子という自分の立場を理解できるようになったのかと思ったが、そうではなかったようだ。


「ちょっとだけでいいからさ。ちょーっと覗いたら、すぐに戻るから。協力して! お願い!」


 手を合わせ、真剣に頼み込むカロイを前に、リベロは難しい表情をして唸る。しかし、何だかんだリベロの心は決まっていた。


「仕方ないですね。少しだけですよ」


 リベロが言った途端、カロイが「やった!」と声を上げる。


(また甘やかしてしまった)


 うずうずした様子のカロイを見ながら、リベロは一人苦笑いする。リベロは城の中で若い方だとはいえ、十六歳だ。つまり、立派な大人である。それを考えれば、こんな時、王子を諭し、正しい判断を促さなければならない。


 だけど、リベロにはそれができなかった。それは、リベロとカロイが特別な関係だということが少なからず影響していると思う。


 自分は特別な存在だ。リベロが、そう自覚したのは、四歳の時――カロイが生まれた瞬間のことだった。


その時、リベロは兄二人と森でかくれんぼをしていた。あの頃、子供たちの間では、森でかくれんぼをすることが流行っていたのだ。「子供は、森で行動する時は一人で行動してはいけない」と大人たちに言い聞かされていたからだと思う。兄たちはちょうど、ダメと言われたことをやりたくなってしまう年頃だった。


鬼は上の兄がやることになり、リベロと下の兄は隠れるところを探した。下の兄は、さっさと目ぼしい木を見つけて、登っていってしまったから、リベロは一人取り残された。絶対に見つかりたくない。そう思ったけれど、まだ幼いリベロには木に登るということはできなかった。とりあえず茂みでも探そう。そう思ってきょろきょろしていると、突然視界がぐらりと揺れ、白くぼやけていった。


「兄ちゃ――」


 何だか怖くなって、リベロは近くにいるはずの兄を呼ぼうとした。だけど、その声が兄に届くことはなく、世界は完全に真っ白になってしまった。


「さぁ、目を開けて」


 落ち着いた男の声が聞こえて、リベロは自分が目を閉じてしまっていることに気が付いた。恐る恐る、目を開けてみる。すると、そこには不思議な景色が広がっていた。さらさらと風になびく、柔らかな草原。その上には、薄桃色の空が広がり、きらきらと青白い星が瞬いている。そっと空気を吸い込むと、なぜか、ほのかに甘い香りがした。


 ここはどこだろう?


 リベロは、ぼんやりとした頭で思った。でも、不思議と不安は感じなかった。それほどに、目の前に広がる景色が綺麗だったからだ。


「君に話したいことがあるんだ」


 さっきの声だ。リベロがそう認識した時には、目の前に若い男が立っていた。ほんの数秒前まで、リベロの視界に入るところには誰もいなかったというのに。一体、いつの間に移動してきたのだろう。


「お兄さん、どこから来たの?」


 リベロが問いかけると、男は柔らかく微笑んだ。


(この人、お日さまみたい)


 リベロは男の姿を見てそう思った。意志の強そうな青い瞳と、輝く金色の髪にそう思わされたのかもしれない。男はまだ若そうだった。でも、見た目とは裏腹に、雰囲気は堂々としている。リベロは子供ながらに、この男がただ者ではないことを感じ取った。


「僕はずっと、ここにいたよ。君の魂がこの場所を受け入れたから、僕の姿が見えるようになったんだ」

「ふーん。それって、魔法みたいなもの?」

「魔法とは、ちょっと違うかな」


 リベロは男の言っていることが、さっぱりわからなかった。この前、お父さんに街に連れて行ってもらった時、姿を消したり、現れたりを繰り返す踊り子を見たけれど、それとは何が違うのだろうか。お父さんは、「きちんと学校に行って、魔法の勉強をすれば、ああいうこともできるようになるよ」と言っていた。だから、男も魔法を使ったのだと思ったのだ。でも、魔法ではないらしい。


「ここは、君が住んでいる世界とは別の世界なんだ。だから、魔法とは別の力がはたらいてるんだよ」


 男はまたわけのわからないことを言う。リベロはそんなに好奇心が強い方ではない。これ以上質問しようという気は一切起きなかった。リベロは「へぇ」と気の抜けた返事をする。


「それで、本題……君に伝えたいことなんだけど」


 リベロが飽き始めたのを感じ取ったのか、男は話題をもとに戻した。その改まった雰囲気に、リベロは少し戸惑った。普段、大人がこういう顔をするのを見たことがなかったのだ。


「今日、僕の魂を引き継いだ子供が生まれたんだ。そして君は、その子の〝影〟なんだ」

「影?」

「そう。影。君は今日誕生した子供――ソルディアス王国の王子の魂の守護者なんだ。今から君は、王子の魂を守り抜くという使命を背負わなければならない」


その時、リベロの頭の中に映像が流れ込んできた。そこには、生まれたばかりの赤子の姿が映っていた。赤子は、柔らかな布に包まれながら、すやすやと眠っている。布のからわずかに覗く手はびっくりするほど小さくて、触れたら壊れてしまいそうだった。そんな赤子の姿を見て、リベロの胸に熱い何かが沸き上がってくる。


「この子の名はカロイと言う。君はカロイに、その身体を捧げることを誓えるかい?」


 リベロは力強く頷いた。この子を――カロイを守らなければならない。そんな想いが心の中を駆け巡っていた。それどころか、自分はカロイのために生まれてきたのだとすら思うようになった。


「ありがとう」


 男はリベロの手を握り、深々と頭を下げた。リベロは誇らしいような、照れくさいような何とも言えない気分で、男を見つめた。


「いいかい。元の世界に帰ったら、じきに迎えが来る。そしたら、その人たちに付いて行くんだよ」


 男がリベロの目を覗き込むように言った。リベロは力強く頷いた。その瞬間、世界がぐにゃりと歪み始める。さっきと同じだ――。そう思った時にはもう、リベロの視界は真っ白に染まっていた。


 気が付けば、リベロはかくれんぼをしていた森に、一人で立っていた。帰ってきたという安心感がリベロを包んだ。でも、びっくりすることに、森は深い闇に包まれていた。もうすっかり、夜になっていたのだ。リベロたちが森に入ったのは、まだ昼を少し過ぎた頃だった。あのお日様みたいな男と話していた時間は、そんなに長くはない。


(こっちとあっちでは、時間の進み方が違うんだ)


 リベロは、空に浮かぶ円い月を見ながらそう思った。


「あ! いたぞ!」


 その声と共に、リベロの方に向かってくる足音が聞こえてきた。そちらを見てみると、兄二人と父が息を切らして立っていた。よく見ると、兄たちの目にはわずかに涙が浮かんでいた。


「……一体、どこに行っていたんだ」


 父の声は、いつになく低かった。表情も固く、いつもののんびりした父とはまるで別人みたいだ。


「ごめんなさい……」


リベロは肩をすくめた。言いつけを破って、一人で森にいたのだ。しかも、夜になるまで。こっ酷く叱られると思った。


「……お父さん?」


 しかし、実際はそうならなかった。父はリベロを固く抱きしめながら嗚咽を漏らし始めた。


「無事で本当に良かった。森で迷って帰って来られなくなったんじゃないか、危険な魔物に襲われたんじゃないかと考えると……」


 父の肩は小さく震えていた。


「ごめんなさい」


 リベロはもう一度言った。ずっと自分のことを探し続けてくれたのだ。そう思ったら、なぜだか涙が出てきた。


「帰ろう。母さんが待ってる」

「うん」


 リベロが応えると、父は大きな手を差し出した。リベロはその掌に自分の手を滑り込ませる。そうすると、リベロの手はすっかり包まれてしまった。


 父と兄二人と並んで歩く帰り道、リベロはさっきまで見ていたものは、全て夢だったのではないかと思った。さっきまで感じていた、あの赤子を守らなければならないという想いも、どんどん薄れていく。


(早く家に帰りたいなぁ)


 この時リベロの頭にあったのは、ただそれだけだった。当時、リベロは四歳。使命を背負うには、あまりに幼過ぎたのだ。


 しかし、運命はあまりに残酷だった。


「何だ……?」


 家の前まで来た時、父は目を丸くした。無理もない。家の周りには、あまりに異様な光景が広がっていたのだ。白馬に乗り、きちんとした身なりをした人間が、ずらりと家を囲んでいたのだ。玄関先で、母がおろおろとリベロたちを見ていた。


「あなた……この方々、国で働いていらっしゃるんだって……」

「国? そんな方々がどうして家に?」


 父も戸惑っていた。リベロは父の手を握りながら、その場に佇んでいることしかできなかった。

 するとその時、国の人間たちが一斉に馬から降りた。そして、リベロの目の前まで来ると、全員が跪いた。


「お迎えに上がりました」


 リベロの一番近くにいた男が言った時、リベロははっとした。

 ――いいかい。元の世界に帰ったら、じきに迎えが来る。そしたら、その人たちに付いて行くんだよ。


 あの不思議な男の言葉が頭の中に廻った。


(夢じゃなかったんだ)


 リベロは家族の顔と、目の前で跪いている人間たちとを交互に見た。リベロの心に迷いが芽生え始める。


「お迎え?」


 家族は全員、混乱した様子でリベロを見た。しかし、国の人間たちはそれを無視した。


「さぁ、行きましょう」


 そう言う彼らの目には、リベロしか映っていないようだった。リベロは、少しずつ後退った。彼らに付いて行けば、もう二度と元の生活に戻れないような気がしたのだ。


 嫌だ!


 リベロは叫びだしたい気分だった。でも、そうしなかったのは、父がリベロの肩に大きな手を置いたからだ。父は、真っ直ぐ国の人間たちを見据えていた。


「お迎えとは、一体どういうことでしょう」


 父は静かに問いかけた。


「国家機密です」


 しかし、国の人間たちはそれしか言わなかった。肩に置かれた父の手に力が入った。


「理由もわからず、我が子をどこかに行かせられるはずがないでしょう……!」

「ご子息はご理解されているはずです」


 父の言葉に被せるように、リベロの目の前にいる男が言った。父の手に込められた力が、少しだけ緩む。


「そう……なのか?」


 リベロは困ってしまって、何も言えなかった。どうして“お迎え”が来たのかはわかっている。あの男に赤子を守ると約束したからだ。でも、リベロには肝心なことが何もわからなかった。あの赤子――王子の魂を守るという〝影〟は一体、何をすれば良いのか。あの男の正体は何なのか。そして――どうしてリベロじゃなければいけなかったのか。


 リベロは唇を固く結んだ。両親にはいつも、約束を破るのは良くないことだと教えられている。でも、何が何だかわからない場所に飛び込んでいくことは怖かったし、家族と別れるのも嫌だった。


 吹いてきた冷たい風が、俯くリベロの頬を撫でた。その風は、微かに甘い香りがした。


『さあ、付いて行くんだ』


 突然、リベロの頭の中にあのお日様みたいな男の声が響いた。きっと、あの綺麗な世界から話しかけてきているんだ。リベロはそう考えた。


『君はもう、王子の〝影〟なんだ』

『付いて行った方が君のためになる』


 リベロは思わず耳を塞いだ。それでも声は、少しも小さくなることなく聞こえてくる。


『受け入れなさい。自らの運命を』


 その言葉を聞いた瞬間、リベロの心の揺れがぴたりと止まった。その様子は、まるで凪の海の様だった。リベロは、肩に乗せられた父の手をそっと払った。父が驚いたようにリベロを見る。そんな父を見ても、この時のリベロは何も思わなかった。


「ご理解いただき、感謝いたします」


 国の人間たちが一斉に言った。それから、リベロは促されるままに馬車に乗せられ、家を後にした。どんどん家が遠ざかっていく中、父が「リベロ!」と叫ぶ声が風に運ばれて聞こえてきた。


 あれ以来、リベロは家族と会っていない。


 あの日のことを、リベロは今でもよく思い出す。特に、馬車の中で聞いた父の声は、忘れたくても忘れられなかった。今にして思えば、あの時のリベロは何かの力に操られていたと思う。それはきっと、あの不思議な男が関係しているに違いない。あの男の声が聞こえてきた途端、リベロの意思は脆く崩れ去っていったように思う。


(あれから十二年。僕もすっかり国の人間になったけど、大切なことは何もわからない)


 王城での生活に染まり、平民のままだったら知ることができなかったようなこともたくさん知った。学校こそ行かなかったものの、優秀な教師から勉強も教えてもらえた。幼い頃憧れていた魔法も、今ではいくつも使えるようになっている。それでも、あの日抱いた疑問は一つも答えを見つけられていない。


(いつかきっと、見つけてみせる)


 ぐいっと服の裾を引っ張られて、リベロは我に返った。いつの間にか、一人で考え事をしてしまっていたようだ。


「ねえ、聞いてる?」


 カロイは頬をわずかに赤くしながら、リベロを見上げていた。


「……ごめんなさい。何かおっしゃりました?」

「パレードの前に、屋台も見て回りたいねって言ったの! もう。大事な話なんだから、ちゃんと聞いててくれないと困るよ」


 リベロはむくれているカロイを適当に宥めつつ、窓に目を向けた。この国に王城より高さのある建物はそうそう無い。だから、ここからでも街の様子がよく見渡せる。街には、様々な屋台が所狭しと並んでいて、その間を縫うように、大勢の人が歩いていた。今は丁度正午だ。今の時間でこんなに混んでいるのだから、パレードが行われる夜には、もっと人が増えるだろう。


(十分気を付けないとな)


 リベロは、カロイに乱された服の裾を直した。


「うわぁ……!」


 ぎっしりと、何の秩序も無く立ち並んでいる屋台を前に、カロイは目を輝かせていた。その様子を見て、リベロは思わず微笑んでしまう。外に連れ出す時は少々大変だったけれど、こんなに嬉しそうにしてくれるなら苦労した甲斐もある。


夜の帳が降りて、祭りの盛り上がりも、いよいよ本格的になった頃。リベロとカロイは、こっそり城を抜け出して街に出ていた。城の人間の目を盗みカロイに目立ちにくそうな地味な服を着せ、魔法で外に瞬間移動してきたのだ。カロイはまだ、瞬間移動魔法を使えない。だからリベロが手を繋ぎ、カロイも一緒に移動させた。お陰で、リベロは多くの魔力を消耗する羽目になってしまった。


「僕、あの葡萄に飴が塗ってあるやつが食べたいなぁ」


 カロイは疲れているリベロを気にすることもなく、屋台に夢中だ。


「ちょっと落ち着きましょうか」


 リベロが言うと、「はぁい」という心のこもっていない返事が返ってきた。


(まあ、落ち着けと言われても無理だろうな)


 はしゃぐカロイの背中を見ながら、リベロは思う。本来なら、カロイはこんな風に自由に出歩いたりはできない。祭りとは言っても、窓から国民たちが楽しんでいる様子を眺めることくらいしか許されない。それは、カロイの身の安全を考えてのことだけれど、遊びたい盛りの彼にとっては辛いことだろう。


 だけどそれは、リベロも同じだった。幼い頃にいきなり家族と引き離され、生活が一変してしまった。こうやって街の中を歩くのは、いつぶりだろう。リベロにとっての街の記憶は、随分と昔、父に連れられて見た踊り子だけだ。


 リベロとカロイは、しばらく屋台を見て回った。スパイスとフルーツの香りを孕んだ空気の中を歩くのは、心が躍る。今頃、城の中ではカロイがいないと騒ぎになり始めているかもしれない。それでも、リベロはどうしてもカロイにパレードを見せてあげたかった。相当に叱られるだろうけれど、それは全て自分が受け止めるつもりだ。一度だけで良い。大人になり切る前に、自らの立場を忘れられる時間を作ってあげたい。リベロがそんなことを考えている間にも時は流れ、雑多な人込みの一部になった二人はパレードの開始を迎えた。


 地面に響くような太鼓の音が鳴った途端、楽し気に騒いでいた人々が静かになった。そして、皆自然に中央の通路に目を向ける。集まっている人々の期待が高まるのが、肌で感じられた。それから間もなく、もの悲しい笛の音と共に、真っ黒な衣装を着た踊り子たちが現れた。見ていると胸が張り裂けそうになるような悲壮感溢れる表情で踊っている。彼女らを蹴散らすように、一人の黒いローブを着たダンサーが激しく回転し始めた。これは邪神ゼドの支配により苦しむ国民の様子を表現したものらしい。ローブのダンサーがゼド役だ。


「すごい……」


 カロイは食い入るようにパレードを見つめている。そうしているうちにガラリと音楽の印象が変わり、勇ましく勢いのあるラッパの音が鳴り始めた。そこに、「おぉ」という人々の歓声が混ざる。パレードの主役――ソルディアス役のダンサーが登場したのだ。煌びやかな衣装を着たダンサーは、ゼド役のダンサーの前に入り込むと、両手の先を空へ向けた。瞬間、その指先からたくさんの光の球が放出される。それはまるで、夜空を舞う蛍のようだった。


 カロイは空を見上げながら目を輝かせている。


「あれは、国民たちの希望を表現しているそうですよ」


 リベロは、何かの本で読んだ知識を話してみた。カロイは何も言わずに光球を目で追っている。その表情は軽やかな音楽とは対照的に、神妙だった。


「ねえ、リベロ」

「はい?」

「僕は……国民の希望を守れるような王になれるのかな」


 カロイの声は細かった。リベロは「なれますよ」と答えようとしたけれど止めた。違う。自分がかけるべきなのはこんな言葉じゃない。リベロはそっと息を吐き、カロイの方を見る。青く透き通った瞳が、不安そうに揺れていた。


「正直、『なれる』とは言えませんね。べつに王子が不甲斐ないと思っているわけではありません。ただ……簡単に私が『なれる』と口にできるほど、王という立場は軽くないと思うのです」


 カロイが小さく頷く。伝わっている。リベロはそう感じた。


「僕はどうしたらいいのかな」

「……決して逃げないようにする。それしかないと思います」


 この言葉は酷だ。リベロは言いながら思う。でも、「逃げないようにするしかない」というのは本心だった。王になる人間に代りなんていない。王子以外の人間が王になれば、この国の事情は大きく変わってしまうだろう。


「逃げないように……か」


 カロイが呟いた。その横顔は、灯火のように揺らめく光球に照らされている。


 その時、周囲から大きな歓声が上がった。ソルディアス役のダンサーが、観客に向けて手を振ったようだ。観客たちも精いっぱい背伸びしながら、大きく手を振り返している。


「僕、逃げない。ああやって、王の姿を見て笑顔になる人がいるんだもん」


 カロイは、真っ直ぐ国民たちを見ていた。そして、リベロの方に向き直ると、透き通った声で言った。


「だからリベロ。僕が王になっていくのを、しっかり見ていてほしい」

「……はい。もちろんです……!」


 リベロは、胸の奥から熱いものが湧き上がってくるのを感じていた。十二年間、ずっとカロイと共に過ごしてきた。王の息子としてこの世に生まれ落ちた彼には、王になる以外の選択肢は残されていない。リベロは王城で暮らすようになってすぐの頃、そんなカロイのことを哀れみ、心のどこかで憎んでいた。理由もわからず〝影〟となり、カロイを守護しなければいけなくなったリベロにとって、カロイは自分の平穏を壊した存在だった。彼さえいなければ。何度そう思ったことだろう。


 しかし、いつしかカロイはリベロにとって、かけがえのない存在になっていた。純粋で、明るくて、だけど意外と繊細なところがある彼を、心から支えていきたいと思うようになったのだ。きっと、彼と出会ったのは運命だったのだ。リベロは今なら心の底からこう言える。


「自分はカロイのために生まれてきた」と。


「約束だからね」


 カロイが片手を差し出す。


「はい。約束です」


 リベロはその手を握った。カロイの手はこんなに大きかっただろうか。ふと、そう思う。


 約束の握手を交わし、二人は見つめあいながら笑った。パレードも、もう終わりに差し掛かっている。少しずつ人混みが散り始めていた。


「そろそろ、帰りましょうか」

「うん」


 リベロは、ほんの少し名残惜しそうにしているカロイに手を差し出す。


(帰ったら怒られるだろうなぁ。魔力を消費した状態で怒鳴られたくないよ)


 リベロは一人苦笑いを浮かべた。


 その時だった。


 夜空に浮かんでいた光の球が、一瞬で消えた。


 突如空に現れた大きな渦巻が、吸い込んでしまったのだ。


「何?」


 誰かが、空を見上げて言った。瞬間、渦巻から漆黒の龍が現れた。


 その龍は大きかった。


 空を、全てを覆いつくしてしまうほどに、大きかった。


 リベロは、ぼんやりと空を見つめることしかできなかった。そこにあったのは、圧倒的な力の差だけ。自分が全力を尽くしたとしても、到底倒せる相手ではないということだけがわかった。


 龍は大きく口を開けた。まるで、欠伸でもするかのように。ものすごい熱風に、リベロは思わず目を閉じた。


 目を開けると、目の前には火の海が広がっていた。


 さっきまで、色んなものを売っていた屋台も。


 パレードで使われていた楽器も。


 皆、青い火に包まれていた。


 リベロは、はっとして周りを見回す。カロイはどこにいる? 嫌な汗が背中を伝う。周囲からは、子供が泣き叫ぶ声が聞こえていたけれど、その声がどんどん遠ざかっていく気がした。その時、ぐいっと裾が引っ張られるのを感じた。


「リベロ……」

「王子……! お怪我はありませんか?!」


 頷くカロイを見て、リベロは全身の力が抜けそうになる。リベロはカロイの手を掴むと、自分の近くに引き寄せた。


「すぐに城に戻りましょう。王にこのことを報告しなければ」

「でも……」


 カロイはリベロの手を掴もうとしなかった。リベロは焦る。


「ここは危険です。一刻も早く離れ……」

「リベロにも聞こえるでしょう? 見えてるよね?」


 カロイはリベロの言葉をさえぎって言う。カロイの視線の先には、小さな女の子がいた。まだ五、六歳だろう。でも親はいなかった。


「お父さん、お母さん……」

 力なく泣く女の子を見て、リベロは胸が痛む。できることなら助けたい。でも、それができないこともわかっていた。


「可哀そうですが、私たちにはどうしようもありません。一旦、帰りましょう」

「あの子は一人で不安なんだよ? 一緒に城に連れて行ってあげたって……!」

「それは今、私たちがすることではありません!」


 珍しく声を荒げるリベロを、カロイは驚いたように見る。


「……今助けなければいけないのは、あの子だけではありません。私たちには、今その全員を救うことはできない。なら、あの子だけを助けてはいけないんです」


 カロイが首を振る。


「わからない。全然わからないよ」

「わかって下さい。助けるために帰るんです。たくさんの医師と兵士を集めるためにも、帰らないといけないのです」


 カロイは、下を向いたまま黙っている。悔しいのはわかる。でもリベロは、そっとカロイの手を握った。それしか、自分にできることはなかったから。


「……リベロだけ帰ればいいんだ」


 しかし、カロイはリベロの手を振りほどいた。そして、女の子の方へと走っていく。


「王子!」


 リベロは慌てて追いかけたけれど、思うように走れなかった。右足を見て、自分が火傷を負っていることに気付く。あまりに異常な状態に、今まで痛みを感じていなかったのだ。


「止まれ!」


 咄嗟に、リベロはカロイに魔法をかける。突然、カロイは石像のように動きを止めた。


(このまま連れて帰るしかない)


 リベロは足を引きずりながらカロイの元へ向かう。痛みを自覚してしまったせいで、カロイが随分と遠くにいるように感じられた。


 その時、空の龍がまた口を開けた。


 青い炎が、真っ直ぐに街に降ってくる。


 そしてそれは、固まっているカロイの全身を包んだ。


 リベロの身体は、気が付くと地面に座り込んでいた。目の前の光景が信じられなかった。カロイが火に包まれている。きっと、もう命は無いだろう。どうして、自分が生きていて、カロイが燃えているのか。その意味がわかると、彼は思った。死ぬべきだったのは、自分だったのだと。


「ごめんなさい」


 リベロの口は、勝手にそう動いていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 リベロの足は、痛みなど忘れてしまったように動いた。どこに向かえばいいのかもわからない。だけど、彼はひたすら走った。


(ごめんなさい。約束破って、ごめんなさい)


 彼は繰り返し、心の中で思う。気が付けば涙が頬を伝っていた。


 どれくらい走っただろう。


 気が付けば、何もない丘の上まで来ていた。遠くに小さく街と城が見える。


 ――だけど、城は炎に包まれていた。


「ああ」


 彼の口から声が漏れる。全部無くなってしまった。自分の居場所も、大切な人も。そして、守らなければいけない約束も。彼は空を見上げた。そこには、相変わらず漆黒の龍が月に照らされて飛んでいた。もうどうしようもないのか。彼が思った時、龍の身体が青く光った。鈍くくすんだ、悲しい色の光だった。


光が消えると、龍は人間の姿になっていた。あのパレードのダンサーが着ていたような、黒いローブを着た男が、空に浮かんで、街を……いや、国を見下ろしていた。


 邪神だ。


 彼はその姿を見て、そう思った。


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