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父の帰還

(最悪)


 ステマは目の前にいる男を睨みつけた。今日はせっかくの休日だというのに台無しだ。今日は家で平和で自由な時間を過ごしたかったのに。


「ステマ、大きくなったな……。会えて嬉しいよ」

「私はちっとも嬉しくありません」


 ステマが棘のある声で言うと、母、メルが「こらっ」とステマの頬を叩いた。


「お父さんに、何てことを言うの!」

「一歳の時、出て行ったきり帰ってこなかった人を〝お父さん〟なんて呼べるわけがないでしょうが」


 ステマは叩かれた頬をさする。何もかもが納得いかなかった。


 ステマの父――リベロは、ステマが一歳になった時、突然旅に出てしまった。


 妻であるメルも一切事情を知らされず、ただ待つことしかできなかったらしい。それから十数年が過ぎ、ステマが就学できる年齢になった頃、父は定期的に大金を送ってくるようになった。そこには必ず短い手紙が添えられていて、それがまた腹立たしい。


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 ステマへ

 この金を使って、学校に行って魔法を学びなさい。

 それが必ず、お前の役に立つから。

 いつかきっと、自分の生き方を選択しなければならない瞬間が来る。その時、知識と経験がお前を助けてくれるはずだ。

 良心に従い、やるべきことをやりなさい。


在るべきところに在れ。


                   父より


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 手紙の内容はいつも同じだ。何というか、説教臭い文面で、読む度に苛々する。ステマは別に、勉強が好きではない。難しい魔法を使えるようになりたいとは思っていなかったし、メルが切り盛りしているパン屋を継いで、ささやかな幸せのある暮らしを続けていければそれで良いのだ。パン屋をやる分には、簡単な火魔法と水魔法が使えれば十分だ。その程度ならば、小さい頃にメルに教わっている。学費に使うのであれば、年々厳しくなっている税を納めるのに回したいところだ。


 でも、メルはステマに学校へ行くようにと言った。その度にステマは、勉強に興味がないことを伝えたけれど、メルは譲らなかった。だから結局、今ステマは魔法学校に通って、使いもしない高度な魔法を学んでいる。やる気がないから、成績はぱっとしないけれど。


「お父さんにも何か考えがあるのよ」


 メルはいつもそう言った。


「私は、お父さんを信じてるから」


 そして、いつもこう締め括った。


 メルは幻想を抱いている。


 ステマはそう思えてならない。理由も言わず、家族を置いてどこかに行ってしまうなんて、無責任以外の何ものでもないではないか。


「その……何も言わずに旅に出てしまったことは申し訳なかったと思ってる。だけど、これには深い訳があってな――」

「へえ」


 ステマは思い切り冷たい声を出す。口角が意地悪く曲がるのが、自分でもはっきりとわかったけれど直そうとは思わない。


「今更帰ってきて、いきなり言い訳ですか」


 リベロは顔を青くしながら肩をすくめる。ステマには父の記憶が一切無い。だから、ステマは初めて父に会ったような感覚でいた。それなのに、初めて見る父の姿は、どこか情けなかった。


「ステマ。気持ちはわかるけど、その辺にしときな」


 シゲが宥めるように言う。シゲは長いこと住み込みで働いている従業員で、もう家族みたいなものだ。五つ年上の彼女のことを、ステマは頼れる姉のように思っている。


 シゲに言われたら、ステマは黙るしかなかった。


「……で、リベロさん。帰って来るなんて、何かあったんですか?」


 シゲが話を振ると、リベロはほっとしたように微笑んだ。ようやく落ち着いて話ができると思ったのだろう。ステマは軽く唇を尖らせた。


「実は……帰って来たのは、ステマに頼みたいことがあるからなんだ」

「何ですか」


 必死に苛立ちを飲み込みながら、ステマは尋ねる。本当なら、今すぐ家を飛び出したいところだ。


「僕は、ステマにソルディアス王国を復活させてほしいと思ってる」


リベロの言葉を聞いた瞬間、ステマは立ち上がっていた。想像よりも遥かに突拍子もないことを口にするリベロに付き合う気力など、もう残っていない。


(馬鹿じゃないの。国を復活させるなんて……!)


 ステマは自分たちが住む『ゼドラ』が、ほんの二十四年前まで『ソルディアス王国』と呼ばれていたことは知っている。平和だったソルディアス王国が、邪神ゼドの復活によって、不安定な国になってしまったということも。


 確かに、ゼド復活前の国の様子を聞くと、羨ましく思う。今と違って、街には活気が溢れていたし、理不尽な法律も無かった。だけど今は違う。王であるゼドの意に沿わない行動を取った者は、次々と姿を消していく。それでも、国民たちは生活していかなければならない。


 ステマにだって、そんな現状が変わってほしいという想いはある。でも、平凡な自分が国を変えるなんて、そんなことできるわけないしやりたくない。


(ましてや、この人に言われてなんて絶対無理)

「ステマ!」


 引き留めようとするメルを無視して、ステマは外に飛び出した。


「何なのよ!」


 近くの丘に辿り着くと、ステマは声を荒げながら地面を蹴った。その反動で、何本かの雑草が地面から抜ける。ステマは、無造作に草の上に腰を下ろす。ここはステマのお気に入りの場所だ。ここからだと、かつてソルディアス王国の王城があった場所がよく見える。城も街も、ゼドが復活する時に焼き尽くされてしまったので、今はすっかり荒廃した景色だけれど。


「今の私の心みたい」


 ステマは、街の跡を睨みつけて呟く。それから、ごろっと仰向けに寝そべった。透き通った青空と目が合う。少しだけ、ささくれ立った感情が慰められる気がした。


 リベロにも何か事情があって、家を出て行ったのだろう。それは何となく感じ取っていた。メルから繰り返し聞かされてきたリベロの人物像を考えると、決して家族のことを大事にできないような人間だとは思えない。学費と手紙が送られてくるところを見ても、ステマのことを気にかけてはいるはずだ。でも、ステマにはメルのようにリベロを受け入れることはできなかった。二人の間には、積み重ねた時間――思い出がある。だけど、ステマにはリベロと過ごした記憶は皆無だ。


「お父さん、いないの?」

「お父さんは家族を捨てたんだね」


 幼い頃に投げかけられた、心無い言葉が頭の中を巡る。ステマはそれを打ち消そうと瞼を閉じた。


 柔らかな風が、顔を撫でた。


 ステマはその風に甘い香りを感じて、目を開けた。青かったはずの空は、薄桃色になり、たくさんの星が瞬いている。


(いつもの夢か)


 ステマは起き上がり、溜息を吐く。


 幼い頃からステマは、何度も同じ夢を見てきた。夢だとはいえ、ステマはこの場所があまり好きではない。やたら綺麗過ぎて、落ち着かないし、風から甘い香りがするのもちょっと気持ち悪かった。


『一つ目、風に揺れる葉の色

静かな森のその奥で

化け物たちが囲んでる

化け物たちの命はどこに?

見抜けた者こそ、魔石の主だ』


(やっぱり来たか)


 艶のある若い男の歌声が聞こえてきて、ステマは思った。これはこの夢のお決まりのパターンだ。毎回、若い男が同じ歌を歌う。その歌は、子守歌のようなゆったりとした曲調で、なぜか耳によく残った。


『二つ目、澄み渡る水の色

深い鏡の湖で

寂しい少女ら遊んでる

少女の遊びは終わらない

抜け出た者こそ、魔石の主だ』


 歌は二番に突入したけれど、男は姿を現さない。これも、いつものことだ。何度も何度も同じ夢を見ていれば、どんな不思議な夢でも慣れてしまうものだ、とステマは思う。


 この歌は三番まである。男はいつも、歌を歌い終わったタイミングでステマの前に姿を現すと決まっていた。


「三つ目、夜空に光る星の色」


 ステマは思わず、三番の歌詞を口ずさむ。いつもは黙って聞いているだけだったけれど、今日は歌ってみたい気分だった。声を出すことで、心をすっきりさせたかったのかもしれない。


『三つ目、夜空に光る星の色

朝が見捨てたその丘で

亡霊たちが縋ってる

絶望の地に希望の朝を

運ぶ者こそ、魔石の主だ』


 ステマと男の声が、初めて重なり合う。それは思いのほか、美しい調べとなり、辺りに響いた。


「まさか、君がきちんと歌を覚えてくれたとはね」


 歌が終わり、聞こえてきた声に、ステマは反応することができなかった。


(話しかけてきた……?)


 男はいつもと同じ格好で、いつもと同じ場所に立っていた。魔法でも使ったように、突然目の前に現れるのも、いつもと同じだ。


 ただ、いつもはステマに話しかけてくることなどなかった。何をするでもなく、ステマを見つめて微笑んでいるだけだった。そしてそのまま、ステマの方が夢から醒めてしまうから、これまで彼と意思疎通を図ったことは一度もない。


「当たり前じゃないの。何万回、あの歌を聞いてると思ってるのよ」


 まだちっとも動揺は治まらなかったけれど、ステマは男に返事をしてみる。緊張から、必要以上に強い物言いになってしまったけれど、男の方は何だか嬉しそうにしていた。


「……何笑ってるのよ」

「君とこうして話せるのが嬉しくて」


 だったら、どうしていつも話しかけなかったのだろう。ステマは疑問に思う。今まで、いくらだってチャンスはあったはずなのに。


「今までも話しかけてたんだけどさぁ、僕の声が届く前に、君が帰っちゃってたんだよね」


 心読んだかのように男が言う。気味が悪い。


「君が前より、僕とこの場所を受け入れてくれたってことなのかな……って、そんな目で見ないでよ」


 気味が悪いを通り越して、気持ちが悪いと思っていたのが顔に出てしまっていたようだ。男は悲しそうにステマを見ている。その瞳は何か言いたげで、ステマは鬱陶しく思った。


(我が夢の登場人物ながら、ちょっと面倒くさい……)


 柔らかい笑顔がよく似合う、金色の髪と青い瞳。見ているだけなら、癒される見た目を

しているのが、また残念だ。


「……まあ、いい。今は君があの歌を覚えているということがわかっただけで、良しとしよう」

 男はまた、見るだけなら爽やかな笑顔を浮かべて言う。

「もうすぐ君には、あの歌が必要になるからね――」


 男の言葉が耳に届いた瞬間、視界が揺れた。


「青い」


 目を開けると、晴れ渡った青空が迫ってきていた。ステマは、空の匂いを嗅いでみる。甘い香りはしない。青々とした草の匂いがするだけだ。


 いつの間にか、夢から醒めていたようだ。


「あの夢、何なんだろ」


 今回は謎の男と話までしてしまった。何かのお告げだったりするのだろうか。


「いや、まさかね」


 ステマは馬鹿らしくなってしまって、夢のことを考えるのは止めた。


(そんなことより、あの人のことだよ)


 リベロの顔を思い出すと、戸惑いと苛立ちが再燃してくる。だけど、いつまでもこうして、ここにいるわけにはいかない。家に帰って、リベロにはっきり頼みは聞けないと言わなければ。


「やだなぁ……」


 ステマは寝返りを打ち、身体を丸める。草が顔に当たって、くすぐったい。このままもう一度眠ってしまいたいという願望が、ステマの心に沸き上がる。


 ステマが何度も寝返りを打ちながら、帰りたくない気持ちと格闘している時だった。聞き慣れた声が、上から降って来た。


「やっぱりここにいたの」

「シゲ……?」


 ステマは、身体を起こすと、息を弾ませて立っているシゲを見た。ここまで走ってきたのだろうか。一体、どうしたのだろう。


「リベロさんが――」


 あの人が倒れた。


 シゲがそう口にしただけなのに、ステマの頭は、一瞬真っ白になった。


「ステマ?」

「……何でもない」


 あの人は、父親でも何でもない。血の繋がりがあるだけの、ただの他人だ。血縁よりも、魂の縁。昔から、皆そう言っていたではないか。


 あの人がどうなろうと関係ない。


 突然いなくなった人間だから、関係ない。


 ステマは駆け出す。心はリベロを拒否しているはずなのに、身体は勝手に家に向かって急いでいる。魔法を使えば一瞬で帰れるのに、ステマはそれすらも忘れていた。


「ステマ……!」


 後ろからシゲが慌てて付いてくる。辺りには、ステマとシゲの息遣いだけがかすかに響いた。


(どうして私、あの人のために走ってるの)


 走っても走っても近付いてこない気がする家を目指しながら、ステマは自問する。


 やっぱり、父親のことが大事?


 いや、そうじゃない。


(……どうして私たちの前からいなくなったのか、訊けてないからだ)


 ステマは、一人答えを出した。


 ステマが勢いよく扉を開けると、メルが目を丸くした。急いで帰って来るとは思わなかったのだろう。


「あの人は?」

「今は寝てるけど……」


 メルの言葉を聞いて、ステマは寝室に向かう。狭い家の廊下が、いつもより長く感じた。


「心配かけてすまないね」


 寝室のベッドに横たわるリベロは、ステマの姿を見るなり言った。ステマは、張りつめていた緊張の糸が緩むのを感じる。


(なんだ、話せるんじゃない)


 ぱっと見た限り、リベロはそれほど重篤な様子には見えなかった。顔色が悪いだけのように見える。


「勘違いしないで。私は心配してなんかない」

「そうか」


 リベロはそれだけ言って、黙ってしまった。ステマは一瞬、リベロが気を悪くしたのかと思ったけれど、表情を見る限り、そういうわけではないらしい。彼は穏やかな視線をステマに投げかけている。


 言葉がない空間は、何とも居心地が悪かった。何か言わなければ、とステマは取り繕うように口を動かす。


「だけど……さっきは話を聞こうとしなくて、ごめんなさい」

「いや……。あの状況なら、無理もない」


 しかし、会話は長く続かなかった。二人の間に、再び沈黙が流れる。聞こえるのは、微かな鳥のさえずりと風が吹く音だけだ。


 どうして、私たちを置いて出て行ってしまったの。


 ずっと気になっていたことだったのに、ステマは尋ねられない。それを訊くためだけに急いで帰って来たというのに、いざとなると、何も言えないのはどうしてだろう。


 いや、本当はわかっている。


 怖いのだ。


 リベロがどういう想いで、自分たちを見ているのかを知るのが。


 でも。


(今、訊かなかったら、ずっとわからないかもしれない)


 リベロはまた、何も言わずにどこかに行ってしまうかもしれない。


(それに……現実から逃げることはしたくない)


 ステマは瞳を閉じて、深呼吸をした。


「どうして、あなたは旅に出たんですか」


 リベロの目が丸くなる。


「どうして、今まで一度も帰って来なかったんですか。……どうして、何も言わずにいなくなったんですか……?」


 ステマは、心に溜まっていた言葉を全て吐き出した。


「……それを全て話すと、長くなるけど、聞いてくれるかい?」


 リベロの言葉に、ステマは深く頷いた。


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