「僕は元々、ソルディアス王国の王子に仕える身だった」
リベロの長い話は、そんな告白から始まった。
遥か昔、この地は邪神ゼドに支配されていた。
強大な魔力を持つゼドは、その魔力で国民たちを苦しめ、痛めつけた。現在残されている歴史書によると、ゼドは信じられないほどに重い税を課したり、歯向かう者はすぐに処刑したりしていたらしい。しかし、誰も彼に逆らうことはできなかったようだ。
そんな状況を変えたのが、ソルディアスという一人の若者だった。
ソルディアスは、国の現状を変えようとゼドに立ち向かい、ついには封印したのだ。
そして、ソルディアス王国を建国し、長い間君主として国を治めた。
「あの日――ゼドが復活した日は、ソルディアス様の誕生日を祝う、祝福祭だった。その時、僕と王子は、街でパレードを見ていたんだ。……そして、王子はゼドに殺されてしまった。僕のせいで……」
リベロの声が沈む。
「あの日僕は、王子の身体を置いて、あの場所から逃げ出した。何もできなかった。それでも最初は、国のために何かしないとって思ってた。でも……家族ができてからは、安定を大切にしたいと考えるようになった。正直、国の未来のために危険を冒したくはなかった。僕は、逃げたんだ」
ステマは想像する。
平穏な暮らしが、巨大な存在によって突然崩れ去る。そこから必死に逃げて、生き延び、やっと掴んだ安定。守るべき存在もできた。そうなった時、他のことに構っていられるだろうか?
無理だ。
「仕方ないじゃない。そんなもんでしょ、人間って」
ステマは敢えて、軽い口調で言う。だけどリベロは、表情を陰らせた。
「いや。僕は逃げちゃいけなかった。僕は、そういう立場なんだ。だから、僕はもう一度、国のために動こうと決心した。平和な暮らしを取り戻すために、ゼドを封印しなければならない。そう思ったんだ。そのためには、危険な旅に出なければならない。……だから、ステマたちを置いて行くしかなかった」
リベロは、乾いた笑みを浮かべる。
「でも、結局病気になって、旅を止めることになってしまった。まだ何も成し遂げていないのにな。何とか旅を続けようと、何人かの医者にも診てもらったんだが……どの医者にも、旅を続けるのは不可能だと、はっきり言われたよ。心臓が弱ってるらしくてね。無理をしようにも、どうにもならなくなってしまったよ」
「だから、帰って来たのね」
「ああ。それに、旅をステマに引き継いでもらえないかと思って期待していた部分もあったな。でも、それは間違っていたと気付いたよ」
リベロは、ベッドで身を起こし、ステマを見つめた。そして、深々と頭を下げた。
「済まなかった。今まで、全く父親らしいことをしてこなかったというのに、自分の想いをステマに押し付けようとしてしまった。それに、考えてみれば、危険な旅に出ることを、大切な娘に頼むなんてどうかしてた。国のことは、僕が自分でどうにかできる道はないか探して――」
「ふざけないでよ……!」
ステマはリベロの言葉を遮った。リベロは、きょとんとした様子だ。
「父親らしいこと? 大切な娘? 何それ」
ステマは、瞳の奥から温かなものが溢れてくるのを感じた。
「どうして、あなたはいつも一人で全部決めちゃうの? どうして一言、私の意思を確認してくれないの?」
ステマは腹が立っていた。
過去に大変なことがあったのはわかる。それでも。
勝手に家族を守ろうとしたかと思えば、勝手に国の未来を切り開こうと旅に出る。そして、勝手に帰ってきて、自らの志をステマに託そうとしたかと思えば、勝手に間違っていたと判断して自分で解決しようとする。
「私は、ずっとあなたに囚われてきた。どうしていなくなってしまったんだろう。皆が言うように、家族のことが嫌いになったのかもしれない。もしかしたら、私のことが邪魔だったのかもしれない……。色々なことを思って、今まで過ごしてきた。でも、もうそれは嫌。だから……私は、あなたの旅を引き継ぐ。……これは、私にとって過去を清算するチャンスだと思うから。あなたのためでも、国のためでもない。私のためにやるの」
ステマとリベロの視線が空中で交わる。窓から柔らかに差し込んで来る陽の光が、二人を包んだ。
「ふっ」
リベロは笑みを零した。太陽のような、清々しい笑みだった。
「ステマ。君は、僕が守れるような存在ではなかったんだな」
リベロは、ステマの方に手を伸ばす。
ステマは、その手をそっと握った。
その瞬間、二人の手が結ばれているところから、眩い光が溢れ出した。
「さぁ、目の前に広がる光景を見てごらん」
リベロの声がステマの頭に響く。ステマは、眩しさに瞑っていた目を開く。
ステマは、広い草原に立っていた。
星一つ見えない空には、世界を呑み尽くしてしまいそうな闇を湛えた漆黒の龍。
暗くて冷たい、絶望がそこにはあった。
そして、たった一人龍に向き合う青年の後ろ姿。
その圧倒的な闇の中で風になびく黄金色の髪は、世界にたった一つ残された灯火そのものだった。
青年は、両手を天に向かって高く上げる。その掌の上には、三つの美しい石が光を放っていた。
一つ目は、風に揺れる葉の色。
生命力溢れる森林の力が、そこにはあった。
二つ目は、澄み渡る水の色。
流動的な水の自由さが、そこにはあった。
三つ目は、夜空に光る星の色。
先の見えない暗い夜に人々を導く道標が、そこにはあった。
緑、青、黄。
三色の光は、空中で交わり絡み合い、一つの白い光の筋になった。そして、しなやかに龍の身体に巻き付いていく。光の筋だというのに、龍は動きを封じられているように見えた。
「――――れ!」
青年は、何かを叫んだ。それに連動するように、龍を縛る光も明るさを増す。そして、龍を更にきつく締めあげていく。空を埋め尽くすほど大きかった龍の身体はどんどん縮んでいき、やがては人間の姿になった。黒いローブに身を包んだ男は、空から白い光に引きずり降ろされる。そして、掌の三つの石に吸い込まれていく。
頭は緑の石に。
胴体は青の石に。
足は黄色の石に。
それぞれが、石の中に納まっていった。
――チリン。
清らかな鈴の音が、草原に響いた。
それと同時に空が刹那、虹色に輝き、石の光が消える。
そして、優しい雨が地上に降り注いだ。
雨は、草を大地を、青年の髪を湿らせていく。
それはまるで、美しい絵画のような光景だった。
右手からリベロの手の温もりが消えた途端、ステマは現実に引き戻された。目に飛び込んで来る景色は、家の寝室。あの草原ではない。
「今のって……?」
ステマは、ぼんやりとしたまま尋ねる。何だか心だけ、あの草原に取り残されてしまった気がする。
「僕の魔法だ。ステマの魂を過去に飛ばしたんだ」
リベロがそう言っている間も、ステマはさっき見た景色に想いを馳せていた。
空に浮かぶ龍と、それを封印した青年。
恐らく、今ステマが見たものはソルディアスがゼドを封印する場面だ。
いくらやる気がないとはいえ、ステマは学校に通っている。一目見ただけでゼドの魔力が膨大であることはわかった。あの、滲み出す闇の力。彼が望めば、大抵のことは実現できるくらいの力は持っていたに違いない。そんなゼドが封印される様は、見ていて鳥肌が立つ。
「これが、ゼドを封印する方法だ。僕はこれをやるために旅に出ていた」
リベロが言う。
「ゼドを封印するには、三つの魔石が必要となる。しかし、魔石の在り処を知っているのは最後のソルディアス王テオ様だけだった。だから僕は十数年調査し続けたよ。そして、ようやくその場所を突き止めることができた」
緑色の魔石、
この魔石は、『静寂の森』にある。
『静寂の森』は国の北部に大きく広がる森で、魔物の巣窟となっている。あまりに深いため、中心部には陽の光が届かないとされていて、皆から恐れられている場所だ。
青色の魔石、
この魔石は、『鏡の湖』にある。
『鏡の湖』は国の西部にある、美しく澄んだ湖だ。その水面はいつも静かで、鏡のようになっている。周囲には花々が咲き乱れ、綺麗な眺めだが、この湖に訪れたまま帰って来ない者もいるという。
黄色の魔石、
この魔石は、『闇の丘』にある。
『闇の丘』は国の南部にある、今は誰も住んでいない地域だ。かつては月の精が一人で静かに暮らしていた。通常、精霊が人間に姿を見せることはない。しかし、月の精は人間が好きらしく、満月の夜にだけ姿を見せては、人間たちと語り合い、時には悩みも聞いたりしていた。でも、ゼドが復活する少し前あたりから、満月になっても姿を見せなくなってしまったようだ。それからというもの、『闇の丘』はどんよりと重い空気が漂ういわくつきの場所になった。
リベロが語った三つの魔石の在り処は、どこも皆から恐れられている場所ばかりだ。ステマは、「危険な旅」という言葉の意味を理解した。
「場所を突き止めることができても、魔石を見つけることはできなかった。僕が行ったのは、『静寂の森』の入り口から少し行ったところまでだ。あまりに魔物が多くて、どうしようもなかった。一人、魔石探しに協力してくれていた仲間がいたんだが……この時、失ってしまった」
リベロが表情を曇らせる。
ステマは目を伏せる。再び沈黙が、ステマとリベロを包んだ。
さっきまで聞こえていた鳥のさえずりは消え、代わりにしとしと雨の音が聞こえてくる。いつの間にか、降っていたようだ。空は明るく晴れているから、天気雨だ。
――チリン。
雨音の中で、あの鈴が鳴った気がした。