「お父様ー!このお野菜はもう収穫しても大丈夫?」
「そうだな!そろそろ食べごろだ。大きさを見ながら収穫してくれ」
「はーい!」
ここはカナハーン帝国の外れにある小さな子爵領。
私、リオーネ・マクガナルアはこの片田舎を治める子爵家に生を受け、18歳になったばかり。
帝都に居を構える高位貴族のご令嬢とは違い、ごくごく平凡な見た目……日々両親の畑仕事を手伝い、貴族でありながらおおよそ淑女とはかけ離れた生活を送っていた。
カナハーン帝国は私が生まれる前、一人の女皇帝によってかつてないほどの栄華を極め、国は賑わい、貴族は贅を尽くし、多くの国が帝国の従属国になりたがるほどに勢いはとどまるところを知らず…………しかし彼女が亡くなった後から見る影もないほどに衰退し、我々小貴族は平民のように細々と暮らしている。
「今日採れたお野菜は明日市場に持っていくの?」
「そうだな、今日持って行っても帰りが遅くなりそうだ。明日の朝一で持っていく事としよう」
「分かったわ」
「皆、お疲れ様!そろそろ日が高くて暑くなってくるので邸に戻りましょう」
お母様が汗を拭く布を持ってきてくれて、とめどなく流れてくる汗を拭う。
私たち家族は農業ギルドに所属し、自給自足をしながらの生活なので、正直生活が豊かとは言えない。
でも家族仲はすこぶる良くて、今の生活に何の不満もなかった。
我が家のような貧乏貴族と政略結婚をしたいという貴族はいないだろうから、普通の人と恋愛結婚をしてみたいな、なんて願望くらいは持っている。
まぁ畑仕事ばかりして出会いもないので、そんな恋愛が出来るとも思えないのだけれど。
そんな事を考えながら、収穫したお野菜を抱えて歩いている時だった。
水やりしたおかげで濡れた土の上を歩いた瞬間、私の足は見事に滑り、目の前の世界がひっくり返っていく――――
「わっ!」
「「リオーネ!!」」
ドシーンッ!!と大きな音を立てて地面に転がり、持っていたお野菜たちはそこかしこに飛び散ってしまう。
そして運悪くそこに大きめの石があったようで、私は倒れた勢いのまま頭を打ち付けてしまったのだった。
痛みを感じる間もなく意識が遠退いていく――――
転がっているお野菜、勿体ないな……せっかくここまで育てたのに。
それに、また”あの夢”を見るのだろうか…………そんな事をぼんやりと考えながら、私の意識は深い闇に沈んでいった。
~・~・~・~・~
我が国の先代皇帝陛下、アストリーシャ・デヴォイ・ド・カナハーン。
18歳を過ぎたあたりから彼女の夢をほぼ毎日見るようになった。
なぜなのかは分からない……最初は自分の願望が見せているのかと思っていたのだ。
私は自分とは正反対の彼女に対して、憧れの感情を持っていたから。
どう頑張っても持ち得ない権力や財力、知力を尽くして国を大きくしていった才能、誰もが羨む美貌。
カナハーン帝国がかつてないほどに栄えたのは、美しき悪の女帝と呼ばれた彼女のおかげだった。
その姿は、アクアマリンのような薄水色の艶のある長い髪に透き通るような白い肌、切れ長の目、剣術などもこなす為に鍛えられた肉体を持ち、世の女性の憧れとされている。
それは今に至っても変わってはいない。
今はもう亡くなってしまっているし、なぜか我が家に置いてある肖像画でしか見た事はなかったけれど、彼女の生きている時代に生きてみたかったなと思う。
いつもの夢の中ではアストリーシャ皇帝陛下の生活を遠目から見ているだけで、彼女がどういう人生を生きてきたのかを見せられているだけだった。
『レイノルド、この宝石だが、これは本物か?』
『はっ。失礼いたします』
レイノルドという皇帝陛下直属の護衛はどんな陛下の夢にもいつも登場し、彼女のすぐそばに常に控えている。
まじまじと宝石を見つめながらため息を吐き、陛下へと宝石を渡す。
『これは、偽物にございます。キングスレイ伯爵を排斥いたしますか?』
『いや、まだいい。泳がせておけ。それよりもこの宝石の出どころを調べろ。叩けば埃がどんどん出てきそうだ』
『承知いたしました』
とても美しいのに悪い顔をされると、氷のように冷たい悪女にしか見えない……このキングスレイ伯爵は後に悪徳商法と皇帝暗殺の罪で検挙され、伯爵家は取り潰し。
伯爵は処刑され、ひと月ほど亡骸が帝都に晒された。
ご家族は恩赦されたらしいけれど、悪事を働けば容赦なく処罰する。
そういう情け容赦ない姿が積み重なり、彼女は帝国民から”悪の女帝”と呼ばれるようになる。
でも夢を見ていて感じたのは、アストリーシャ皇帝陛下は悪い貴族に対しては容赦ないけれど、誠実な者にはきちんと真摯に接していたという事。
やり方が極端なので悪者に見られてしまいがちだけれど。
特にレイノルドと呼ばれる護衛の事はことさらに信頼していた。
『レイノルド、お前はどう思う?』
これは陛下の口癖のようで、何かあれば必ずと言っていいほど彼の意見を第一に聞いていた。
これって…………やっぱり、そういう事よね?
陛下はレイノルド様の事を……でもお2人が結ばれたという事実はない。
それどころか陛下は自死したとされていて、レイノルド様ももうどこにもいない。
なぜお2人は結ばれる事は出来なかったのか、なぜそれほどまでに栄えていた帝国がここまで衰退したのか。
今はアストリーシャ皇帝陛下の叔父であるイデオン様が皇帝陛下として権力をふるっているけれど、国は廃れていくばかりで生活に苦しくなってきた貴族たちは帝国を離れる者すらも出始めている。
頭を打ち付け、沈みゆく意識に中で、今回もまたアストリーシャ皇帝陛下の夢を遠くから傍観するとばかり思っていた。
しかし、今回は違った。
どういうわけか私は陛下の中にいて、陛下の目線で物事を見ている。
どういう事?でも陛下の中から出る事も出来ないし、陛下を動かす事も出来ない。
ただただ彼女の過去を体験するかのような状況に頭が混乱してくる。
これは本当の映像なの?
それに今、彼女が置かれているこの状況……アストリーシャ皇帝陛下は、蝋燭が灯る暗い玉座に一人で座り、広い玉座の間はシンと静まり返っている。
とても嫌な予感がするわ。
私の胸がうるさいくらいにドクドクと脈打ち、口から心臓が出てきそうだった。
早く目覚めたい、ここから逃げ出したい。
そんな気持ちでいっぱいになった時、玉座の間の扉がギギギッと音を立てながらゆっくりと開いてきた。
ダメ、入ってきてはだめよ。
私はなぜかこれから入ってくる人物を知っている気がする。
今この人物に会ってはいけない。
頭の中で警鐘が鳴っているのに、今の私にはどうする事も出来ない。
中に入っているのに、動かす事が出来ないというのは何とももどかしいものね。
陛下はただ静かに座り、その人物が扉のある暗い場所から目の前に歩いてくる姿を一瞬たりとも逃すまいと、瞬きもせずに見つめている。
そして陛下の目の前まで歩いてきた人物は歩を止め、ポツリポツリと呟くように挨拶をした。
「アストリーシャ皇帝陛下、お久しぶりです」
「やはり来たか……待っておったぞ、レイノルド」
彼女にとって最愛の人、レイノルド様は陛下の言葉に微かに微笑み、二人の間にはしばらく沈黙が流れていったのだった。