2人は沈黙すらも懐かしむように見つめ合っている。
愛する人と見つめ合っているのに、なぜか私の心が悲しみで胸が埋め尽くされていく。
どうして?
私はアストリーシャ皇帝陛下ではないのに……なぜこんなに悲しいのか分からないけれど、この先に何が起こるか、嫌な予感しかしない。
レイノルド様は護衛を殺したとされる剣を握り、その剣からは血が滴っていて、さらに不穏な空気を醸し出している。
何もなすすべがない私は、黙って陛下の中に在りながら目の前のレイノルド様を見つめていると、陛下の方が先に言葉を発したのだった。
「扉の前の護衛は殺したのか」
「はい、陛下との会話を邪魔されても嫌ですから」
「お前はやる事が昔から極端だ」
「そうでしょうか」
「そうだ……私を裏切り、他国の王族に婿入りした時のように」
え……そんな事実が?
私のような小貴族にそんな内々の話なんて知らされる事などないけれど、二人の間に何があったのか、ここで明かされていくのだろうか。
そうだとしても緊張でドキドキが止まらない。
陛下の言葉にレイノルド様は沈黙し、ゆっくりと陛下が言葉を続ける。
「それほどに私のそばが苦痛だったか?」
「はい」
「他国に行きたいと思うほどに」
「…………はい。結果的に行って良かったと思っております」
「そうか。そうだな……そなたを信頼し、全ての情報を共有してきた私が愚かだったのだな」
陛下は独り言のように呟き、その間、レイノルド様はジッと陛下を見つめていた。
「そなたが敵国ダグマニノフの王女に婿入りし、我が国の情報は筒抜けになった。そなたは聖人でもある……聖人を失った国がどうなるか、知らぬわけではあるまい。そしてそなたは今では皇帝補佐にまで昇りつめた……今や皇帝に次ぐ権力の持ち主、上手くやったものだ」
レイノルド様が聖人?そういえば宝石を見ていた時もどうしてすぐに偽物か分かるのだろうって思っていたけれど、聖人としての力を使っていたという事なのね。
この世界には古い言い伝えがある。
『千里の眼を持つ者を手に入れた国は永久(とわ)の栄華を手にする』
レイノルド様がその千里の眼を持つ者だというのならば、私は今、驚くべき事実を知ってしまったかもしれない。
「すべて分かっていても己のなすべき事の為には、この国を出なくてはならなかった。それは……」
「もうよい、全て終わった事だ」
そう言ってレイノルド様の話を遮るように会話を終わらせた陛下は、ゆらりと立ち上がり、彼へ近づいていく。
レイノルド様は少し動揺し、後ずさりながら陛下へ血のついた剣を向けた。
「陛下、直に帝国は我が軍の手に落ちるでしょう。その前に……」
「私に命乞いでもしろと言うのか?それとも国を捨てて亡命しろと?」
「違います。私は……!」
「私にも皇帝としての矜持がある。その目でしかと見ているがいい」
そこまで話し、陛下は向けられている剣を自身の首に当てた。
「何を……」
「さらばだ、レイノルド」
陛下は一息で自身の首を切り裂いた。
そこから鮮血が、花弁のように飛び散っていく。
「陛下――!!!」
(陛下!!!)
レイノルド様の叫びが玉座の間に響き渡る。
私も力の限り叫んだけれど、この状況をどうにかする事は出来ない。
涙がとめどなく溢れてくる。
そうよ。全て思い出した。
私は彼の望みを叶えてあげたかったのだ。
レイノルド。今生で結ばれる事がないと分かっていても最愛の人――――いつの間にか私は陛下と1つになり、彼女の気持ちや記憶が次々と流れ込んでくる。
私は彼女、彼女は私……ここで亡くなり、その後すぐにリオーネとして転生したのだった。
亡くなる時の状況を見て全てを思い出すとは、皮肉なものね。
レイノルドのいない世界で生きていくにはあまりにも辛く、本当は彼が裏切って他国の王女と婚約した時に死んでしまいたかった。
どんなに考えても皇帝として生きていく意味を見つけられず、それほどに彼の存在は私の中では重くて……死に場所を探していた気がする。
彼が私といるのが苦痛だったと言っても、今までレイノルドが尽くしてくれた数々の事を思うと恨む気にはなれず、彼の望み通り帝国を明け渡す為に自ら死を選んだ。
せめて愛する者のそばで死にたかったから。
命が尽きる寸前にレイノルドが何か叫んでいたような気がしたけれど、意識がぼんやりとしていて今はもう覚えてはいない。
どうか次に生まれ変わる時は、権力や争い、裏切りからは程遠い人生を送る事が出来ますように……そう願いながら、この過酷な人生がようやく終わる事に安堵して目を閉じた。
全ての事を一気に思い出し、夢から覚めていく。
そして私の頬には一筋の涙が伝っていた。
思い出したかったような思い出したくなかったような、愛しく残酷な記憶。
そんな事をぼんやりと考えていると、転んだ場所で意識が戻ったからか、両親が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
ああ、そうか。
今世では前世で得られなかった全てがここにあるんだ。
素晴らしい両親、平穏な日々、愛に包まれ、暗殺の危険もなく、権力争いもない。
「お父様、お母様……私は…………」
「意識が戻ったのね、リオーネ!良かったわ……どうなる事かと」
「一瞬意識を失っていたんだよ。本当に良かった……痛みはどうだい?」
「ちょっと……痛いかも」
頭を打った痛みと一気に色々な事を思い出した事で、ズキズキと頭が全体的に痛い……このまま歩いて邸に戻る事は出来ないかもしれない。
そんな私を心配して、お父様が私に背を向けてしゃがみ込んだ。
「とても痛そうだ。さぁ、ゆっくり起き上がって。おぶってあげるから乗りなさい」
「え?でも……」
「遠慮するなんてリオーネらしくないわね。いつもなら喜んで飛び乗るのに……やっぱり頭を打って混乱しているのかしら」
しまった、記憶が混同していてうっかり前世の自分が顔を覗かせてしまう。
両親は並々ならぬ愛情を注いでくれているので、少しの変化で全て悟ってしまいそう……気を付けなければ。
「あ、じゃあおんぶしてもらおうかな!嬉しい~」
前世の自分では絶対に言わなさそうな言葉を言ってみる。
全てを思い出してしまった今、リオーネとしてどう振舞っていたかも分からなくなってしまい、とても動揺している自分がいた。
どうするべきか……特に口調がアストリーシャのままだと絶対にマズい。
思い切って父親の背中に飛び乗って体を預けていると、歩く度に体がゆらゆらと揺れ、とても心地いい。
父親の背中というのはいいものね……土の香りと父の匂いが余計に私を安心させてくれる。
そうか、リオーネの父は帝国軍第二騎士団のマクガナルア隊長だったのだ。
通りで肖像画が我が家にあったわけだわ。
前世の私を主だと思ってくれていたという事が嬉しい……レイノルドに裏切られてこの世の終わりのように思っていたけれど、自分の事を慕ってくれていた人間もいたという事に胸がじんわり温かくなっていく。
この幸せを失いたくない。
前世を思い出して一番に願ったのは、愛する家族と共に生きる穏やかな幸せだった。
リオーネはアストリーシャに憧れていたけれど、正直前世を思い出した今となっては、権力争いなどそういったものとは無縁の人生を歩みたいと願っている。
もう失うのも裏切られるのも嫌だ……国のトップに君臨していても孤独だけは埋める事は出来ない。
最も信頼する人物には裏切られてしまうし、つまらない人生だなと思う。
私が願うのはただ一つ。スローライフ、それのみ。
生まれ変わる事が出来たのだから、今世こそ自分の人生を生きたいと思う……父の背中に身を預けながら固い決意を胸に、ゆっくりと邸へ戻っていったのだった。