お父様におんぶされながら邸へと戻った私は、頭を打ったという事でその日は早めに就寝しなさいと言われてしまう。
気を失った私を見て、きっととても心配したに違いない……とにかく2人の心配を払拭してあげなければと思い、就寝の挨拶をする事にした。
「お父様、お母様、おやすみなさい」
「おやすみ、リオーネ。明日はゆっくり眠っていていいんだからね」
明日は市場に今日採れた野菜たちを持って行く日。
いつもなら私も一緒に行く日だけれど……でも前世を思い出したばかりで混乱しているし、頭痛もあるのでお言葉に甘えさせてもらおう。
「ありがとう、お父様」
父の心遣いに感謝し、自室に戻ってベッドに潜り込む。
もう書類の山に怯える必要もない。
公務で予定がびっしり埋まる事もない。
前世では剣術、武術、帝王学など学ばなければならない事だらけで、常に暗殺の危険と隣り合わせだった。
休みたい時は休んでいいという事が堪らなく嬉しい。
それに未だに頭が混乱しているのも確かだった……特に皇帝だった時の言葉遣いが抜けない。ふとした瞬間に命令口調が出てしまいそうになるのを気を付けなければ。
ベッドに寝転がりながらひとまず前世の記憶を辿っていく。
アストリーシャ・デヴォイ・ド・カナハーンは先々代皇帝と皇妃の間に生まれた一人娘だった。
カナハーン帝国の跡継ぎとして教育を受け、その才は目覚ましいものがあり、先々代皇帝は彼女が5歳の時にすでにアストリーシャを視察へと連れ歩いていたほどだった。
その視察先でレイノルドと出会った――――
王都の外れで孤児だったレイノルドは、私より3つ上で少し背が高く痩せ細り、しかしその瞳の美しさに釘付けになったのを覚えている。
出会った時は分からなかったけれど、レイノルドは聖人だった。
『千里の眼を持つ者を手に入れた国は永久(とわ)の栄華を手にする』
この世界の古くからの言い伝え。
周りの者は気付いていなかったようだけれど、私にはレイノルドの瞳や周りがキラキラと光っているように見えて、一緒に遊びたくて私から声をかけた。
「ねえ、あなたキラキラしてる。とってもキレイ」
「……君には見えるの?なのに僕が怖くない?」
「こわい?こんなにキレイなのに?」
「………………ありがとう。そんな事を言ってくれるのは君くらいだよ。僕、レイノルド……君は?」
「わたしはアストリーシャ!いっしょにあそぼう?」
そう言って無理矢理レイノルドを引っ張っていって、鬼ごっこしたりかけっこしたり……父が視察先の要人と話し込み、気付いていないのをいい事に2人でずっと遊んでいたのを思い出す。
レイノルドのはにかむような微笑みがとても好きだった。
あまりに離れがたくて父の元へレイノルドを連れて行くと、レイノルドは父に自身の不思議な力を見せ始める。
辺り一帯の植物は一気に成長し、レイノルドは未来を透視する未来視を披露したのだ。
「陛下、ここに来たのは貴重な鉱石を他国へ密輸している事を調べに来たのでは?証拠はこの人の家の二階……書斎の隠し部屋にあります。そしてあなたはそれをこれから見つけます」
「何?ふーむ…………それは未来視か?」
「違います、真実です」
「へ、陛下!そのような身分の者の戯言をお信じになられますな!」
皇帝はゆっくりと要人の一人へ向き直り、ニッコリと微笑む。
「何もなければそのように慌てる必要はなかろう。どれ、一つ、この者の言う事が真実かどうか試してみようではないか」
「なっ!」
「何もなければそれで良し。レイノルドとやら、もし戯言ならばそなたの命をいただく。よいな?」
「はい」
レイノルドは静かに頷き、父上が部下に命じて調べさせたところ、未来視の通り見事不正が見つかったのだった。
「レイノルド、そなたの言った通り不正を見つける事が出来た。礼を言う」
「勿体ないお言葉」
「何か褒美をやりたいところだが、何がよい?何でも言うてみよ」
「…………では陛下、私をアストリーシャ様のおそばに置いてください。役に立つと思います」
「なに?」
レイノルドの言葉に周りはざわつく。
側近たちはこぞって反対し、レイノルドの力は気味が悪いと怖れる者がほとんどだった。
私はそれが腹立たしくて、皇帝である父の前で彼を庇う発言をしたのだった。
「父上、レイノルドはこわくありません。きっといい伝えの人なのです!」
「アストリーシャ、お前もそう思うか?」
「はい!」
「そうか……相分かった。この件は私に一任してもらう。レイノルドは我らと共にくるのだ」
まだ父上が優しかった頃、私の意見もきちんと聞いてくれて、賢帝として判断を誤る事はなかった。
結局レイノルドを連れて帰った父上は、彼を伯爵家の三男として養子入りさせ、私専属の護衛になるべく訓練を受けさせた。
レイノルドはメキメキ成長していき、出会いから二年後の彼が10歳になる頃には、私のそばに常に控える専属護衛騎士に任命される事となる。
思えばあの頃が一番幸せだったかもしれない。
レイノルドが12歳、私が9歳になる頃に母は父を裏切って別の男と通じていたと謂れのない冤罪をかけられ、私の目の前で殺されてしまったのだった。
最愛の母に裏切られたと思い込み、その手にかけた父は思考がすっかり歪んでしまい、母と似ている私の事も視界に入れるのも嫌悪するようになる。
政治的にも判断を誤る事が増え、病魔におかされてからは私が皇帝代行として17歳から政務を行うようになり、18歳の時に父が逝去。
第4代カナハーン帝国の皇帝に就き――――その時も、その後も、レイノルドはずっと私のそばにいてくれて、支えてくれていた。
皇帝に就任したばかりの時は反乱分子がそこかしこにくすぶっていて、私の暗殺を企む者が後を絶たなかったが、レイノルドの眼には全てが視えていた。
「陛下、貴族派の一部が三日後の夜半に集会を開くそうです。恐らく陛下を皇帝の座から引きずりおろそうとしている者達が集まるかと推察いたします。場所は街はずれの小さな教会ですが……いかがいたしますか」
「そなたの眼には全てが視えるのだな。全く気付かぬフリをするのだ。そして三日後、一人残らず排除せよ」
私が何も言わずともどうするべきか聞いてきて、私の命を忠実にこなしていく。
反乱分子がそこかしこにいようとも怖くはなかった。
私にとって何が最良かを彼が考えてくれている事が嬉しかったし、レイノルドは永遠に私のそばに……身分の違いで結ばれる事は出来なくとも、ずっとこうして一番近くにいてくれるものだと思っていたのだ。
物凄い己惚れだったのだと、今となっては思い知らされる事となる。
「アストリーシャ皇帝陛下、陛下に縁談がきております。リビエーリュ王国の第二王子になりますが……いかがいたしますか」
「…………そなたはどう思う?」
「……………………」
「正直に申してみよ」
私はレイノルドをじっと見つめた。少しでも表情が動いてほしい。
私に縁談を受けてほしくないという表情が、ほんの少しでも見られたら、それで私は満足だった。
たとえ未来視で私が縁談を受けていたとしても、彼の気持ちを感じる事が出来れば、それで生きていける。
そう思っていたのに――――――
「受けるべきかと存じます」
レイノルドの表情はピクリとも動かず、いつものように冷静に、私に縁談を受けよと言ったのだった。
私は何を期待していたのか……自分自身が情けなくなり、これ以上レイノルドとこの話をしたくなくて「ではそのように返事をしてくれ」とだけ言った。
どうせ結ばれる事が出来ないのなら、相手は誰でも一緒。
それでも、この身を捧げる最初の相手はレイノルドがいいと決めていた。
決めていたのに、突然その知らせが舞い込んでくる。
「陛下!この書状をお読みください!!」
「どうした、アゼイン公。血相を変えて」
その日はレイノルドが朝から見当たらず、どうしてかは分からず胸騒ぎがおさまらなかったが、その書状を読み、すぐに答えが分かる。
「ダグマニノフ王国第一王女ジョルエ・マハロ・ダグマニノフとカナハーン帝国リバーメルト伯爵家レイノルド・リバーメルトの婚約が成立した事をここに記す…………なんだ、これは?このような虚偽の報告を誰が……!」
「虚偽ではありません!!たった今リバーメルト家に確認した者から連絡が入り、養子縁組を解消したとの報告が入りました!恐らくレイノルド殿はもう……!」
あの時の事はあまりの衝撃に、死する時よりも印象に残っている。
今思い出しても胸が苦しくなるほどに……リバーメルト家には散々世話になったというのに、大臣らの反発を抑える事が出来ずに裏切り者を出した家として取り潰しとなってしまう。
私の力が足りなかったばかりに――――
レイノルドは最後、私と一緒にいるのが苦痛だったと言っていた。
私は愚かで独りよがりで……民や貴族達だけではなく、愛する者にとっても悪の女帝だったのだ。
思い出しながら、頬に一筋の涙が流れていく。
「こんな前世、思い出したくはなかったな……」
灯りを消した暗い部屋の中で、独り呟く。
今思い出したとしてもどうする事も出来ない。
「そうだ、どうする事も出来ないのだから、考えても仕方のないことよ」
もうレイノルドはいない。あの時の事を問いただす事も出来ないのだ。
そして私はリオーネとして生を受け、生き直すチャンスを与えられた……その意味を考え、今世こそは自分の親を大切にし、身分や権力とは関係ない穏やかな一生を送ろう。
やっぱり明日、お父様と一緒にお野菜たちを持って市場に行きたいな。
気持ちが落ち着いてくると、強い眠気が襲ってきたので、そのまま身を任せて眠りに落ちていった。
翌日、一人の男性がマクガナルア邸を訪れてくる――――でもこの時の私は、その男性との出会いが自分の人生を大きく変えていく事になるとは、思ってもいなかったのだった。