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親方! 壁から執事が!

 ガチャン。


 エレナと二人並んで多目的トイレの扉をくぐり、赤い「閉」ボタンを押して施錠する。これでももう、俺たちのお楽しみを邪魔する者はいない。


 中は当然、何の変哲もない多目的トイレだ。入って右手側、壁のタイルの並びが少しずれているのが何となく目に付いたものの、別に大したことでもないだろう。


 そんなことよりもだ。エレナの華奢な身体を背中から壁へと押しつけ、前に立ちはだかるようにして逃げ道を塞いでやる。いわゆる壁ドンというやつだ。女なんて皆これでイチコロよ。


「そうがっつかないでくれよ・・・・・・恥ずかしいじゃないか・・・・・・」


 案の定エレナは頬を赤らめ、すっかりしおらしい様子に変わっていた。ぐふふ。愛い奴め。


「誘ってきたのはお前だろ? エレナ」


 じりじりとエレナとの距離を詰め、その左の耳元へ甘く囁いてやる。これでもう、コイツも俺にメロメロだろう。


「ふふ、そうだね。・・・・・・準備はいいかい?」


 しかし、意外にもエレナの反応は淡々としており、真っ直ぐ前を向いて余裕の表情で答えてきた。


「ああ、俺はいつでも臨戦態勢だぜ」


 まあ本番はまだまだこれからだ。何も焦ることはない。むしろ、ここで大人の余裕というヤツを見せてやるのも悪くない。


「もう出てきていいよ」


 ん? いや、ナニとは言わないが、まだ出るには早すぎるだろう。噛み合わなくなった会話に首を傾げる。よくよく見るとエレナの視線は、俺の背後の壁の、タイルが歪んだ部分を向いているような・・・・・・?


「はい、お嬢様」


 すると、背後から中性的なアルトボイスが聞こえ、俺の感じていた違和感は確信へと変わった。


 慌てて振り向くと、目の前の壁、いや壁に見立てた布のようなものがハラリと剥がれ落ち、中から燕尾服に身を包んだスラッとした美少年がその姿を現す。


 え? もしかしてコイツ、ずっと多目的トイレの壁に・・・・・・?


 そんなことを考える間も与えず、少年は俺との間合いを一気に詰めてくる。更に踏み込んだ左足を軸にして、右足を蹴り上げるように身体ごと回転する。


 そして次の瞬間。迫り来るパンプスのつま先を視界に捉えたのも束の間。すぐに俺の左側頭部を42年の人生史上最大級の衝撃が襲い、俺は勢いそのままに壁へと叩きつけられた。そして、俺の意識はあえなく遠のいていくのであった。


 ***


「このバーコードハゲが・・・・・・。よくも、その穢れた手でお嬢様の身体に触れてくれたな・・・・・・」


「はいはい。ユリア、ストップ。せっかく捕まえた被検体が死んじゃうじゃないか」


「いえ。コイツはもう、ここで殺しましょう。代わりなら私が務めますので」


「それだと可愛いユリアの履歴書に傷がつくだろ? こういうのは佛雁君みたいな、素でどうしようもない人生を送っている奴にでも任せておけばいいのさ」


「か、可愛・・・・・・!」


「おいおい、食いつくのそこなのかい? その燕尾服高かったんだからね? 頼むから鼻血垂らさないでくれよ・・・・・・」


「失礼しました。興奮のあまりつい」


「はあ・・・・・・。まあ例の新薬に適合できなければ、被検体はどのみち廃棄処分さ。そのときは思う存分やっちゃって構わないよ」


「お任せください! 塵一つ残さず消し去ってやります!」


「で、そんなことよりもだ。外がだいぶ騒がしくなってきたね。・・・・・・少し派手に暴れ過ぎたかな?」


「そうかもしれませんね。力加減を間違えてしまったので」


「とりあえず、この被検体君を研究室まで運ばないとね。スーツケースに入りそうかい?」


「いえ。醜い中性脂肪の塊を纏っているせいで入りませんね・・・・・・。誠に不本意ではありますが、ボクが背負っていきます・・・・・・」


「悪いね、ユリア。北口を出てすぐのところに、パパが手配してくれた車が停まっているはずだから、何とかそこまで誤魔化そうか・・・・・・」


 かくして、「大きなスーツケースを引いた白衣の少女」と「気絶した中年サラリーマンを背負い、鼻にはトイレットペーパーを詰めた燕尾服の少年」という奇々怪々な一行は、北口方面へと姿をくらましたのであった。

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