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Another Side:黒服の憂鬱

 黒服。いわゆる水商売の店における男性従業員の総称。


 その業務内容は、開店前の掃除や準備、営業中のウェイター業務、指名係、閉店時の片付け、クローク業務や会計、女性従業員への研修など、実に多岐に渡る。


 しかし、こんなものは日々の平常業務。つまりは序の口。


 ときに私たちには、これらなど比べものにもならないほどに厄介な仕事の数々が降りかかってくることだってある。


「だからさー。僕はカオリを出せって言ってるんだよ」


 そう。例えば、こういう客の対応とかだ。


 いま私の目の前で唾液を飛び散らしながら息巻いているのは、人を食ったような切れ長の細目に、シュッと整った細い鼻筋、そしてにやけた笑みを浮かべているようにも見える薄い唇と吊り上がった口角が特徴的な男。小憎らしいナチュラルパーマのかかった髪型も相まって、恨みもないのに何故かぶん殴りたくなるような顔をしている。


 顧客リストによると、彼は確か度会憲治とかいっただろうか。「テイクアウター度会」とかいう通称を持つ芸能人らしい。生憎出演している番組を観たことがないので、正直よく知らないし、別に興味も無い。


 そんな彼だが、ここ「Voyanger」の看板キャストであるカオリ嬢のことを気に入ったのか、足しげく通ってはお金を落とすいわゆる太客・・・・・・のはずだったのだが。


 最近発刊の某週刊誌にて、彼の失禁報道がすっぱ抜かれたタイミングを境にして、カオリ嬢側から「お漏らしする男とかマジ無理! 出禁にして!」とNGが突きつけられてしまった。


 とはいえだ。店で漏らしたとかならいざ知らず、関係ないところで勝手に漏らしたのを理由に「あなた出禁です」などと言えるはずもなく。


 正直に言えば、カオリ嬢には彼がお漏らししてようがしてまいが、わがままを言わずにプロとしてちゃんと接客をして欲しいというのが本音だ。しかし、「Voyangerの女帝」と恐れられるカオリ嬢にそんなことを言おうものなら、シャンパンボトルで頭を思い切りぶん殴られるのがオチなので、何も言うことはできない。


「申し訳ありません。カオリは本日休みを取っておりまして・・・・・・」


 仕方がないので、彼をカオリ嬢個人のNG客扱いとすることでなんとかお茶を濁そうとしているわけだが・・・・・・。


「嘘はよくないよ、嘘は。サイトに出勤ってなってるじゃないか。君レベルが嘘ついたって、このテレビスターである僕には通用しないんだよ?」


「急病で急遽欠勤になってしまったんですよ。他の女の子ならご案内できますよ?」


「僕はカオリに逢いにきたの。他の女なんかつけられたって意味ないんだよ。Do you undersatad?」


 とまあ、こんな具合で難航しているわけだ。


「君レベルと話してたって時間の無駄だね。もっと話の分かる奴を出しなよ。君はクビ。Fire.Fire」


 度会側は苛立ちからかヒートアップしており、好き放題なことをぬかしてくる。何の権限があって、お前なんぞにクビを切られねばならんのか。


「うちワンオペなんで私しかいないんですよ」


「じゃあさっさとカオリを出しなよ。Hurry.Hurry」


 ダメだ。まるで会話にならない。これだからカスハラ客は・・・・・・。


「だからですね・・・・・・いない者はご案内しようが」


「そこにいるじゃないか!?」


 何度も同じことを言わせる度会に苛立ち、自分の語気が無意識に荒くなるのを感じる。しかし、度会は店内の一角を指差し、先程までよりもすごい剣幕で唾を飛ばしながら怒鳴ってきた。


「はい?」


 釣られて度会の指差す方を見てみると、確かにカオリ嬢が堂々と店内を練り歩いていた。あれだけ「出てくるな」と言ったのに・・・・・・。


「これはどういうことだい? 返答次第では、全国放送で君の虚言癖を晒し上げてやることも辞さないよ? 僕ぁ」


「あ、あれはシオリですよ。似てますよね」


 自分でも苦し紛れだと思うでまかせを一応言ってはみるが・・・・・・。


「そんなわけないだろう!」


 さすがに騙されるわけもなく、余計に激怒する度会。私は置かれたこの状況に頭を抱えた。


「もう君なんかに用はないよ。この虚言野郎」


 度会は私のことを無視して、店内へとズカズカ踏み込んでいく。その姿に気がつき、私の方を睨みつけてくるカオリ嬢からは、「なんとかしなさいよ」という無言の圧力が伝わってくるようだ。


 ・・・・・・ああ。もう、どうでもいい。半ば自暴自棄になって放心していると、レジ裏に隠したあるものの存在をふと思い出した。突然押しかけてきた科学者に押しつけられた謎の銃。名前は確か・・・・・・「エターナル・フデオリキャノンポータブル」とかいったっけな。防犯アイテムにでもなればと置いたままにしていたが、今こそまさに出番なのかもしれない。


 私は、片手銃にしてはやけに重量感のあるその長筒を手に取り、度会の背中へと突きつける。


「お客様。さっさと帰れと言ってるんですよ・・・・・・このお漏らし野郎」


 背中に冷たく固い感触を感じてか、先程までの威勢からは一転。冷や汗をかいて恐る恐る振り返る度会。


「や、やだなあ・・・・・・。そんな玩具早くしまえよ。君レベルが銃なんて扱えるわけ・・・・・・」


「・・・・・・試してみます?」


 なおも虚勢を張ろうとする度会の言葉を遮るように、右指で引き金を少しだけ絞る。すると、銃身に赤紫色のエネルギーが奔り始めた。あ、これ、そういうタイプなのね。


「ひいっ! 僕が悪かった! 君はワールドクラスだ! だからそれをしまってくれ!」


 背中に並々ならぬエネルギーの熱を感じたからか、いよいよ命乞いするかのような情けない態度へと変貌した度会。そんな彼へと、冷たく言い放ってやる。


「私のクラスとかどうでもいいんで、さっさと帰ってくれませんか?」


「申し訳ありませんでしたあぁぁぁ!!!」


 脱兎のごとく退店していく度会。私は、その情けない背中を見えなくなるまで見送った。


 これにてやっと一見落着と、銃を下ろして安堵したのも束の間。ふと床の方へと視線をやると、先程まで彼が立っていた辺りに黄色い池ができているのを発見してしまった。


 余計な仕事がまた一つ増えてしまったことに溜息をつきながらも、私はバックヤードへバケツとモップを取りに向かうのであった。


 ***


「緊急連絡。こちら武内。度会の接近を確認」


 お漏らし跡にモップをかけていると、左耳に入れていたインカムから、客引きの武内の慌てたような声が聞こえてきた。


 そして、にわかに信じがたいのはその内容だ。


「度会? つい3分前に店から追い出したばかりだぞ?」


「でも、あの人を食ったような切れ長の細目に、シュッと整った細い鼻筋。そして、にやけた薄い唇と吊り上がった口角は間違いなく度会です。あんなぶん殴りたくなるようなムカつく顔を見間違えるなんてありえません。あ、今ビルのエレベーターに入っていきました」


 いったいどんな神経をして、何のために戻ってくるのか。ともかく、またも仕事が増えそうな予感がして、私は天井のシャンデリアを仰いだ。 



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