陽だまりのような午後、図書館近くの静かなカフェにて。
パソコンを閉じた紗英は、スマートフォンを手に取り、編集部からのメールを読み返した。
《『くまくんのとおいみち』重版決定のお知らせ》
何度も目を通しても、信じられない気持ちは拭えなかった。自費出版同然で始まった絵本が、まさか重版になるなんて——。
「……夢じゃないよね」
ぽつりと独りごちる。
そしてもう一通、担当編集の吉岡さんからのメールがあった。
《紗英さん、嬉しいニュースです。新作『くまくんの帰りみち』の企画、正式に通りました!》
涙が止まらなかった。
絵本を描いたのは、あの長くて暗いトンネルのような日々の中。孤独も絶望も、すべて「くまくん」に託して描いた物語だった。
その物語が、子どもたちの手に届き、親たちに読まれ、感想が寄せられるたびに、紗英は少しずつ、自分が「誰かの役に立てた」ことを実感しはじめていた。
その頃、紗英はハローワークを通じて紹介された児童館で、パートタイムとして働きはじめていた。
子どもたちの笑い声が響く空間。絵本を読んであげる時間が、紗英にとってはとても大切で、癒やしにもなっていた。
「あのね、先生の絵本、おうちにあるよ!」
小さな女の子が無邪気に話しかけてくる。
「『くまくんのとおいみち』?読んでくれたの?」
「うん! ママがね、『くまくん、さいごにがんばったね』って言ってたよ」
子どもの目はきらきらしていて、まるで過去の自分に言葉をかけてくれているようだった。
その日の帰り道、紗英は区役所に立ち寄り、生活保護の終了申請を提出した。
もう、これからは自分の力で立っていける。そう、思えたから。
帰り道、ふとスマホが鳴る。
画面には「航平さん」の名前が浮かんでいた。
「はい、紗英です」
『…よかったら、今日、駅前のパン屋さんで新作のメロンパンが出るんだけど、一緒にどう?』
紗英は笑った。声に出さずとも、心が軽くなるのが分かった。
「行きたいです」
夕焼けに照らされた帰り道を、紗英は少し速足で歩き出した。
もう、過去に縛られない。
いま、少しずつだけど、「未来」が近づいてきていた。