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第21話  やっと、帰る場所

日曜の昼下がり。

紗英は近くのベーカリーカフェのテラス席にいた。目の前には、ほんのり焼き目のついたメロンパンと、温かいカフェオレ。


「ここの、ほんとに美味しいんですよ。外カリ、中ふわ、って感じで」

と、笑顔で話すのは、児童館で知り合ったボランティアの青年、航平だった。


航平は30代半ば。物腰が柔らかく、いつも穏やかな空気をまとう人だった。

彼は紗英の絵本を読んでくれていて、「くまくん」の物語に深く共感してくれた数少ない読者の一人でもあった。


「“帰りみち”って、ただの道じゃないんですよね。あれって、気持ちのことなんだろうなって思いました」


「……え?」


紗英は驚いた。誰かが、そんな風に彼女の物語の“心の根っこ”に触れてくれたのは初めてだった。


「ぼく、しばらく実家を離れてたんです。いろいろあって。でも、“帰ってくる”って、案外難しくて。『くまくんの帰りみち』、読んでたら、自分のことを思い出しました」


その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「あの本を描いたとき、私も、ずっと帰りたかったのかもしれません。どこか“ちゃんとした場所”に」


「今は、見つかった?」


少し考えてから、紗英はうなずいた。


「まだ途中ですけど……でも、前より、ちゃんと足が地に着いてる気がします」


航平は微笑んだ。風が吹き、テラスのテーブルに落ちていたパンくずがひらりと舞った。


「じゃあ、その“帰りみち”、もう少し一緒に歩いてもいいですか?」


紗英の手元のカフェオレが、少し揺れた。けれど心の揺れは、かつてのような不安ではなく、やさしいときめきだった。


「……はい。ゆっくりなら」


ふたりの目が合い、どちらからともなく微笑みがこぼれた。


あの夜、公園のベンチで身を縮めていた自分。

ガールズバーで耐えるしかなかった夜。

冷たい病室の天井を見上げて泣いた日。


全部が、今この瞬間のためにあったのかもしれない。

紗英はそう思えた。



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