その日、紗英は小さな絵本の原画展を終えた帰り道だった。
「見てください、『くまくんのとおいみち』、3刷が決まったんです!」
そう誇らしげに話すと、訪れていた親子連れの母親が目を潤ませてこう言った。
「子どもが、あの絵本を読んで変わったんです。ありがとう、ほんとうに……」
その言葉が、紗英の心を温かく満たしていた。
バッグには、展示で使った画材と、航平から差し入れにもらったおにぎりが入っていた。
改札を抜け、駅前の横断歩道へ。信号が青に変わり、歩き出したその瞬間──
「危ないっ!!」
キィィィィ──!!
タイヤの悲鳴とともに、視界に銀色のワンボックスカーが突っ込んでくる。
ブレーキとアクセルを踏み間違えた高齢ドライバーの車は、歩道に飛び込んだ。
逃げる間もなかった。
世界が傾くような感覚とともに、強い衝撃が紗英の身体を打ちつけた。
倒れた身体の下半身には、感覚がなかった。
「いた……い……? ちがう、……動かない……足が、動かない……!」
目の前はぼやけ、遠くで誰かの叫び声が響いていた。
救急車のサイレンの音、知らない誰かの手の温かさ。
だけど紗英はもう、声すら出せなかった──。
病院で──
「脊髄損傷です。今後、下半身に麻痺が残る可能性が高いと考えられます」
医師の言葉が、天井から降ってくる氷の粒のようだった。
「歩けない……ってこと、ですか……?」
「はい。排泄や日常生活にも、支援が必要になります」
紗英は、何も答えられなかった。
全身が震えていたのに、涙だけは流れなかった。
数日後、航平が見舞いに来たとき。
紗英は、声を絞り出して言った。
「……別れよう。わたし、あなたの重荷になりたくない。こんな身体で、一緒には……」
航平は言葉もなく立ち尽くし、拳を握りしめていた。
そして、声を震わせながら叫んだ。
「重荷なんかじゃない! 僕が君のそばにいたいんだ!! ……いさせてよ。お願いだから」
紗英の胸が、ぎゅっと締めつけられた。
「あんた……バカだよ……っ……でも、ありがと……」