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第22話  歩行者信号は青、交通事故

その日、紗英は小さな絵本の原画展を終えた帰り道だった。

「見てください、『くまくんのとおいみち』、3刷が決まったんです!」

そう誇らしげに話すと、訪れていた親子連れの母親が目を潤ませてこう言った。


「子どもが、あの絵本を読んで変わったんです。ありがとう、ほんとうに……」


その言葉が、紗英の心を温かく満たしていた。


バッグには、展示で使った画材と、航平から差し入れにもらったおにぎりが入っていた。

改札を抜け、駅前の横断歩道へ。信号が青に変わり、歩き出したその瞬間──


「危ないっ!!」


キィィィィ──!!

タイヤの悲鳴とともに、視界に銀色のワンボックスカーが突っ込んでくる。

ブレーキとアクセルを踏み間違えた高齢ドライバーの車は、歩道に飛び込んだ。


逃げる間もなかった。

世界が傾くような感覚とともに、強い衝撃が紗英の身体を打ちつけた。


倒れた身体の下半身には、感覚がなかった。


「いた……い……? ちがう、……動かない……足が、動かない……!」


目の前はぼやけ、遠くで誰かの叫び声が響いていた。


救急車のサイレンの音、知らない誰かの手の温かさ。

だけど紗英はもう、声すら出せなかった──。





病院で──


「脊髄損傷です。今後、下半身に麻痺が残る可能性が高いと考えられます」


医師の言葉が、天井から降ってくる氷の粒のようだった。


「歩けない……ってこと、ですか……?」


「はい。排泄や日常生活にも、支援が必要になります」


紗英は、何も答えられなかった。

全身が震えていたのに、涙だけは流れなかった。


数日後、航平が見舞いに来たとき。

紗英は、声を絞り出して言った。


「……別れよう。わたし、あなたの重荷になりたくない。こんな身体で、一緒には……」


航平は言葉もなく立ち尽くし、拳を握りしめていた。

そして、声を震わせながら叫んだ。


「重荷なんかじゃない! 僕が君のそばにいたいんだ!! ……いさせてよ。お願いだから」


紗英の胸が、ぎゅっと締めつけられた。


「あんた……バカだよ……っ……でも、ありがと……」


せきを切ったように、涙が頬を伝って流れた。



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