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第四十三話  元荷物持ち・ケンジchの無双配信 ③

 俺はエリーを連れて草原エリアを抜けると、目的の森林エリアへとやってきた。


 このエリアは初めて成瀬さんと出会った場所だ。


 ふと成瀬さんと出会ったときのことを思い出す。


 あのときはアースガルドでの記憶がなかったものの、記憶と一緒に忘れていた【聖気練武】の力が少しだけ使えるようになっていた。


 俺は右手の拳をグッと握り込む。


 ズズズズズズズズズ…………


 丹田で練り上げた〈聖気〉が瞬く間に右手を覆い尽くす。


 成瀬さんと出会ったときよりも〈聖気〉をスムーズに操作できるようになったものの、アースガルドにいたときより威力も精度も格段に落ちている。


 記憶が戻ったのになぜなのだろうか。


 ずっと考えていたのが、こればかりは答えが浮かばなかった。


【聖気練武】の力を取り戻すには、記憶と並行して何かもう一押しするようなものが必要なのかもしれない。


「ダメだ……わからん」


 俺は独りごちた。


 自分なりに色々と試したのだが、やはりこれといったしっくりするものがない。


 年齢や体格はともかく、【聖気練武】だけは100パーセント引き出せるようにしておきたいんだがな。


「ケン、そろそろ配信とやらを始める時間とちゃうんか?」


 ハッと我に返ると、目の前にエリーがいて小首をかしげていた。


「もうそんな時間か」


 俺は成瀬さんからプレゼントされた腕時計に視線を落とす。


 エリーの言う通り、そろそろ配信を開始する時間だった。


 こんなとき成瀬さんがいてくれれば真っ先に教えてくれただろうが、今日の配信に成瀬さんは付き添ってはいない。


 何でも今日はダンジョン協会本部において、成瀬会長に選ばれた特別な探索者たちが一堂に会する定例会議があるという。


 その定例会議の1人に選ばれているため、成瀬さんはここにはいないのだ。


 そんな成瀬さんから色々と探索配信者の段取りや心構えを教えてもらっていたので、俺とエリーだけでも今日の配信はそつなくこなせるだろう。


 そう思ったのは初配信が意外と好調だったからだ。


 俺はあまりピンとこなかったものの、初配信をサポートしてくれた成瀬さんも驚いていた。


 配信活動をすると現在進行形の視聴者数もわかる一方、配信が終わったあとにもアーカイブという形で動画がチャンネル内に残る。


 その初配信のアーカイブの再生数が凄まじかったのだ。


 成瀬さん曰く、探索配信者の初配信の中では歴代1位の数字だったらしい。


 とはいえ、俺はあまり気にしていない。


 そんな数字にはこれっぽっちも興味がないからだ。


 むしろ、なぜあの程度のことで多くの人間が喜ぶのだろうか。


 などとアースガルドにいたときの俺は思ったことだろう。


 だが今の俺にはこのダンジョン内で「拳児」として生活していたときの記憶も残っているので、インターネットとやらを使った多くの人間があの初配信を視て喜んだ理由が何となく理解できた。


 この世界では日常で死が蔓延していたアースガルドとは違い、普通に暮らしていて死を明確に感じる出来事があまりないという。


 実際に地上世界には1匹の魔物もおらず、それこそ普通の人間たちは生業を持ちながら日銭を稼いで生活しているらしい。


 となると、当たり前だが日常生活の中で娯楽に飢えるようになる。


 アースガルドでも王都や聖都の中央に住む、富裕層たちはいかに日々の退屈を紛らわせるかに時間と金と労力を注いでいた。


 それに似た状況がダンジョン・ライブの配信なのだろう。


 絶対的に安全なところで、他人の生死のかかった行動を視る行為。


 それならばゴブリン・クイーンとその他のゴブリンどもを倒した程度でも喜ぶはずだ。


 本当に上手い商売である。


 胴元であるダンジョン協会は複数の商業ギルド(この世界では会社もしくは企業というらしい)から支援金を募り、自分たちの取り分を除いた配信活動をしている探索者に支援金の一部を回す。


 あまり詳しい仕組みは知らないが、おそらくそのように金が巡っていると予想できる。


 悪いことではない。


 互いに同意して納得していることならば、アースガルドの冒険者でも商業ギルトと組んで似たようなことをしていた連中も多かった。


 まあ、そんなことはともかく。


 俺は右手を覆っている〈聖気〉の量を落とし、そのまま全身へと行き渡らせる。


 薄くもなく広くもない、肉体から30センチほどの感覚で〈聖気〉を纏うことが攻撃と防御の両面に優れた状態である。


 持って数時間か……


 アースガルドにいたときは丸1ヶ月でもこの状態を維持できていたのだが、今の俺は数時間で〈聖気〉が切れてしまう。


 その間に大量の〈聖気〉を使えばさらに維持時間は減っていき、最終的には蝋燭の炎が消えるように意識を失ってしまうのだ。


 初配信のあともそうだった。


 本当は次の日でも配信をしようと考えていたのだが、ゴブリン・クイーンを倒して別のエリアに向かう途中に意識を失ってしまったのだ。


 幸いにも成瀬さんが同行してくれていたから何とかなったが、もしも1人で魔物たちがいる場所で気を失ってしまえば俺でも命の危険がある。


 妖精族のエリーは戦闘能力はほぼ皆無であり、俺が気を失っても助けることはできない。


 とはいえ、エリーが何の役にも立たないかと問われば否だ。


 高聖霊体のエリーの羽から落ちる鱗粉には、人間を筆頭にした亜人たちの肉体を治す力があった。


 手足が切り取られるような重傷でもない限り、ある程度の怪我ならばあっという間に治してくれる。


 ただし、回復するのは肉体だけで〈聖気〉は回復しない。


 むしろ人間の肉体の維持には筋肉、内臓、血管の他に〈聖気〉の力も含まれているため、重大な損傷を負った肉体を治すときに膨大な量の〈聖気〉が使用される。


 なのでエリーでも一時的に〈聖気〉切れを起こした人間を治すのは危険な行為だった。


 下手をすればさらに〈聖気〉が使用されて対象者は命を落としてしまう。


 そういった理由もあるので、初配信のときに成瀬さんがいてくれたのは運が良かった。


 その場でテントを張って俺の意識が戻るまで介抱してくれたのだから。


「近いうちに成瀬さんにお礼をしないと……だが、その前に俺の〈聖気〉を以前の総量まで戻す条件を見つける必要があるな」


 などと独り言を言っていると、エリーが「なあなあ、こいつの録画のスイッチを押してもええか?」とたずねてくる。


 俺の斜め上には自動追尾型のドローンが飛んでいる。


 そしてエリーが問うてきたように録画のスイッチは入っていない。


 現在、俺たちがいるのは森林エリアの奥だった。


 濃厚な魔物の気配が漂っている場所だ。


 今日はここで2回目の無双配信を行う。


 配信内容は初配信と同じ、まだダンジョン協会の上位探索者も発見できていないイレギュラー(ネット上では隠しボスと言われていた?)を見つけて倒すこと。


 そうすれば俺のチャンネル登録者数や動画再生数に好影響がでて、しいては俺の顔と名前がダンジョン・ライブを通して広く知れわたる可能性があった。


 そして動画再生数が伸びれば俺に入る金も増え、この〈武蔵野ダンジョン〉での生活費には困らなくなる。


 生活費の心配がなくなったあとは情報収集である。


 ダンジョン・ライブでの知名度を生かし、俺とエリーがアースガルドへと帰れることに繋がるであろう魔王の情報を募るのだ。


 もちろん、すべてが上手くいくとは限らない。


 けれども、何事も行動しなくては始まらないのも事実である。


 少しでも可能性があるのなら、それに賭けてみる。


 このイレギュラーを見つけて倒していく無双配信もその一環だ。


 決して無駄にはならないだろう。


 そこまで考えて俺はふと我に返った。


 いかんいかん、まずは配信を始めないとな。


 俺はエリーにドローンの録画スイッチを押すように頼もうとした。


 そのときだった。


 グウウウウウ……


 俺の腹が盛大に鳴ったのだ。


 おかしい。


 朝食はダンジョン協会の食堂でたらふく食べてきたのに。


 あれからまだ数時間。


 昼までにも2時間はある。


 それなのにもう腹が減るとはどういうことだ?


 これも考えても仕方がないことだった。


 いかに俺でも腹が減るという行為はどうにもならない。


「…………よし、決めたぞ」


「ほえ? 決めたって何をや?」


 エリーが目を丸めて訊いてくる。


 そんなエリーに俺は自分の腹をさすりながらニヤリと笑った。


「イレギュラーを倒したら、その肉を食ってみるぞ」

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