「慌てずに落ち着いて避難してください! 大丈夫、ここにはA級やS級の探索者たちが大勢います! 絶対に皆さんをお守りしますから、どうか落ち着いて行動してください!」
S級探索者たちの声が聞こえる中、成瀬伊織ことわたしは地上世界へと繋がっている〈門〉を遠巻きに見ていた。
現在、わたしは迷宮協会の最奥部にいる。
もちろん、いるのはわたしだけではない。
お爺さまもそうだが、A級からS級の上位探索者たちが迷宮街の各地から集まっていた。
理由は1時間ほど前までさかのぼる。
のんびりとした昼下がりの迷宮街に、まるでどこからかテレポートしてきた魔物の大群を引き連れた〈魔羅廃滅教団〉が現れたのだ。
それだけではない。
迷宮街の1番端にある
その後の情報もすぐさま協会本部に怒涛の如く入ってきた。
魔物と〈魔羅廃滅教団〉は捌番町を崩壊させると、次に
わたしはぎりりと歯噛みした。
おそらく今頃は漆番町も攻め滅ぼされ、
なのでお爺さまはすぐに手を打った。
戦闘能力の高いA級探索者たちを討伐に向かわせる反面、S級探索者たちで協会本部のある壱番町の守りを固めながら一般市民と観光客を地上世界へと逃がすという作戦を決断したのだ。
本当ならば全探索者たちで討伐に向かうのが最善手なのだろうが、イレギュラーを含めた魔物と〈魔羅廃滅教団〉の出現の仕方がこれまでと勝手が違った。
これまでにも魔物が迷宮街を襲ってきたことはあったものの、今回のように数百体規模で襲ってきたことは前代未聞である。
その中でも特に薄気味悪いのは〈魔羅廃滅教団〉が魔物を連れて現れたことだ。
わたしも迷宮協会と〈魔羅廃滅教団〉の因縁はよく知っている。
〈魔羅廃滅教団〉の教祖のマーラ・カーンは病的なほどの悪魔崇拝者であり、32年前の〈ダンジョン事変〉のどさくさに紛れてダンジョン内に信者とともに潜伏。
以降は迷宮協会の追手をかわしながら、このダンジョン内で非人道的な実験や悪行を重ねていることも耳に入ってきていた。
だからこそ、お爺さまは第一陣の討伐隊をS級ではなくA級の探索者に任せた。
何か嫌な予感がする。
これは今回の悲報を聞いたとき、お爺さまが漏らした言葉だ。
〈魔羅廃滅教団〉と魔物はどこから現れたのか?
そしてイレギュラーを含めた魔物たちが、なぜ〈魔羅廃滅教団〉に付き従っているのか?
さすがのお爺さまでもわからなかったため、まずは一般市民と観光客の避難を最優先事項にしたのである。
わたしは周囲をぐるりと見回した。
万が一のことも考えて〈門〉のある部屋は体育館並みの大きさがあり、壁は核シェルター並に頑丈に作られている。
そんな〈門〉のある部屋の中は民間人でひしめいていた。
迷宮街に住んでいる一般市民が大半だったが、残りは地上世界からの観光客たちだ。
その数、実に数百人。
この数はまだまだ続いていくだろう。
事実、洋館の正門のような形をしている〈門〉を通って多くの一般市民や観光客たちは地上世界へと戻っていくが、その長蛇の列は一向に減る気配がない。
わたしは警備や誘導に就いている人間たちに視線を向けた。
一般市民と観光客を〈門〉へと避難させているのは、S級の称号を得た探索者と協会本部に勤めている職員たちだ。
職員たちはスーツや白衣を着用しているが、S級の探索者たちは純白の拳法着を着ている。
形としては空手着に近いだろう。
腰には自身の名前が刺繍された黒帯を巻き、左胸の位置には行書体で「神武」と刺繍されている。
これは迷宮協会(一般的にはダンジョン協会で通っている)が「聖光神武教団」と名乗っていたときの稽古着だった。
今では軍隊の特殊部隊が着用するような戦闘服や
そんな純白の拳法着は、探索者ならば誰でも着ていいものではない。
お爺さまに人格と【聖気練武】の実力を認められたS級探索者のみが着用を許されており、実際にこの部屋の警備に就いているS級探索者たちは全員その拳法着を着用している。
これには一般市民や観光客たちを安心させる効果もあった。
S級探索者のことは一般市民や観光客にも最低限の知識はある。
迷宮協会でも折り紙付きの実力を持つS級探索者たちがこの部屋の警備に就いているのなら、きっと自分たちはこのまま安全に地上世界へと帰れるだろう。
一般市民や観光客たちがそう思っているからこそ、誰もが我先にと〈門〉へ殺到することもなく綺麗に列をなして〈門〉を潜っているのだ。
さすがはお爺さまの英断だった。
百戦錬磨のお爺さまだからこそ、ここまで見越して〈門〉のある部屋をS級探索者たちで固めたのである。
そして陣頭指揮を執っているのは、もちろん協会の会長であるお爺さまだ。
純白の拳法着を着ているお爺さまは、〈門〉の近くで仁王立ちしながら〈門〉を通っていく一般市民や観光客たちに笑みを向けている。
一方のわたしは違う。
青と白を基調とした
警備している場所も入り口付近であり、何かあったらすぐに部屋の外へ飛び出ていく覚悟と準備は整えてあった。
けれども、ここに自分がいていいのかという思いは拭えない。
わたしもA級探索者の端くれである。
さすがに今は配信活動をする気にはなれなかったが、これまで数々の修羅場を潜り抜けてきたという自信はあった。
わたしはあらためて室内を見渡す。
この部屋にはお爺さまを筆頭にS級探索者たちが守りを固めていて、職員や研究者の人たちが列の誘導をしてそれぞれが職務を全うしている。
であるなら、やはりA級のわたしも迷宮街に向かって魔物や〈魔羅廃滅教団〉の討伐に向かったほうがいいではないか?
いえ、そうするべきよ。
わたしは意を決すると、愛刀の柄頭をグッと掴んだ。
そして迷宮街へ向かう許可を得ようと、お爺さまの元へ足を動かそうとした。
そのときである。
「成瀬くん」
不意に声をかけられた。
声のしたほうに顔を向けると、そこには三木原さんが立っていた。
探索者試験のときのような黒スーツではなく、研究職の職員の証である白衣を着ている。
「少しいいかな? 君にだけ話しておきたいことがあるんだ」
「今ですか?」
「ああ、ちょっとここでは何だから外へ来てもらえるかな」
このとき、わたしはどうしようか迷った。
こうしている間にも〈魔羅廃滅教団〉や魔物たちは迷宮街を蹂躙しているのだ。
けれども、三木原さんの用事も気になる。
わたしにだけ話したいこととは何だろう?
「実は……ケンについてのことだ」
その名前を聞いてハッとした。
「ケンさんに何かあったんですか?」
わたしは三木原さんに問い詰める。
ケンさんことケン・ジーク・ブラフマンさんは、わたしたちが住む地球とはまったく別の世界――すなわち異世界からやってきた男性だ。
しかもただの男性じゃない。
アースガルドという異世界では〈大拳聖〉と呼ばれるほどの武闘僧であり、卓越した【聖気練武】の使い手として有名だったという。
きっとそれは紛れもない真実だった。
ケンさんの無双配信を視ればそれは嫌でもわかった。
イレギュラー相手の無双配信で遺憾なく発揮された【聖気練武】の卓越した技の数々。
普通の視聴者にとってはエンタメの1つでしかなかっただろうが、同じ【聖気練武】の使い手からすれば唖然とする光景だった。
何もかもが常識外れの規格外。
もちろん、悪い意味ではなく良い意味でだ。
なので見た目こそ無垢そうな16歳の少年に見えるが、事情を知っているわたしの目には向こうの世界で28歳だったというケンさんの姿かたちを想像してしまう。
そんなケンさんはここにはいない。
協会本部にではなく、迷宮街にいないのだ。
今頃は迷宮街の南部にある湿地エリアにいるはず。
一応、今回の事態が発覚したときに彼のスマホに迷宮街の騒動についてメッセージを送っておいたが、まだ返信は1通も返ってきていない。
何か重大な事故や怪我でもしたのかと心配だったが、彼の熱心なリスナーからのハト行為(本来はあまり推奨できない行為)によると、今日の分の配信が終わったあとに迷宮街に向かったらしい。
どうやら配信中に別のリスナーからのハト行為で迷宮街の騒動を知ったらしく、今頃は脇目も振らずにこの迷宮街に戻っている最中に違いない。
しかし、三木原さんはそのケンさんについてわたしと話したいことがあると言う。
「いいかな、成瀬くん」
三木原さんは部屋の外をちらちら見る。
わたしは数秒だけ考えると、こくりとうなずいた。
「わかりました。ですが手短にお願いします」
わたしは近くにいた別のA級探索者に事情を話して持ち場を離れると、そのまま三木原さんと一緒に部屋を出た。
そして先頭を歩く三木原さんについて行きながら人気のない場所へと移動する。
「それで、ケンさんについての話とは何です?」
廊下の奥へと到着したあと、わたしは真剣な表情で三木原さんにたずねた。
一体、ケンさんについての話とは何だろう?
すると三木原さんは、子供のように無邪気な笑顔を浮かべた。
「ああ、ごめんごめん。実は彼について話すことなんてないんだ。ただ、君をこの場所に連れて来る口実に名前を使わせて貰っただけさ」
あまりにもあっけらかんと言ったので、わたしの脳は一瞬だけ思考停止状態に陥った。
そんなわたしに三木原さんは落ち着いた足取りで近づいてくる。
「もう隠す必要もなくなったから言うけど、私は〈魔羅廃滅教団〉の昔からの信徒でね。ずっとこのダンジョン協会にスパイとして潜っていた。そして〈魔羅廃滅教団〉の活動を妨げる賞金首専門の探索者たちの情報を混乱させたり、〈魔羅廃滅教団〉の行う崇高なる実験のモルモットを用意するために裏工作したりと動いていたんだ。あっ、やったことはまだ他にもあるよ。成瀬会長から習った【聖気練武】の技をそのまま教祖さまや幹部たちにも教えた。特に教祖さまは素質があったようでね。それこそS級探索者と遜色のないほどの技を短期間で身に付けたよ」
淡々と言葉を紡いでいく三木原さんに対し、ようやくわたしの意識は正常さを取り戻していった。
同時にわたしは腰を落として半身になり、愛刀を抜刀しようと柄に手をかけた。
だが、その動きはあらかじめ読まれていた。
三木原さんは瞬きをする間に間合いを詰めると、わたしが抜刀するよりも早く迷宮騎士甲冑の上から掌打を放ってくる。
ドンッ!
その掌打から発せられた衝撃は鎧を貫通し、その下にあったわたしの肉体の奥へと浸透した。
普通の攻撃ではなかった。
【聖気練武】の〈発勁〉の応用技である、〈聖気〉による衝撃を内部に貫通させる技だ。
「――――ッ」
わたしは愛刀を抜く間もなく、両膝から前のめりに崩れ落ちた。
暑くもないのに額からドッと汗が吹き出し、めまいや耳鳴りと並行して吐き気も催してくる。
次に襲ってきたのは顔をしかめるほどの耳鳴りと、体内から力が急激に抜けて意識も抜けていく感覚。
ヤバい、このままだと意識が……
消える、と思った直後だ。
頭上から三木原さんの酷薄した含み笑いが降ってくる。
「成瀬くん、君は成瀬会長との取引に使わせて貰うよ。さすがに成瀬会長とS級の探索者たちが〈門〉を守っている以上、正攻法で向かっていくのはリスクが高すぎる。そこで君だ。君を人質に〈門〉の警備を解かせ、そして私たち〈魔羅廃滅教団〉は魔物とともに地上へ行く。地上世界を蹂躙するために」
わたしは薄れていく意識の中、ケンさんの姿を脳裏に浮かべた。
ケン……さん……
やがてわたしの意識は闇の中へと落ちていった。