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クラハが俺の後輩で、俺はクラハの先輩だからだ

「クラハに謝れ、ライザー」


 一字一句、間違うことなく。はっきりと聞こえるよう、確かに。一切、欠片程も誤魔化すことも、ぼかすこともなく。


 こちらを射抜き貫く、まるで剣や槍などの武器を彷彿とさせるライザーの眼差しに臆さず退かず、ラグナはそう伝えた。


 瞬間、部屋は静寂で満ちる。驚くことに、外で散々騒いでいるはずの男共の声も物音も、少しだって聞こえない。


 ラグナとライザーの間で沈黙が流れる。それは重苦しいもので、並大抵の精神力しか持たぬ者であれば、数秒とその場にいることすら叶わない程ものだ。しかし、依然としてラグナは毅然とした態度を崩さず、真正面から、真っ向からライザーと相対していた。


 そうして、気がつけば数分の時が過ぎ。ようやく、ライザーは再びその口を開かせた。


「そんなことを俺に言いに、アンタはここまで、それも一人で乗り込んだんですか?」


 クラハへの謝罪をそんなこと呼ばわりされ、思わず眉を上げそうになってしまったラグナだったが、それを我慢し、ライザーの質問に答えた。


「そうだ」


「…………」


 するとライザーは黙り込み、顔を俯かせてしまう。再び二人の間に沈黙が流れて、数分。


「断ります。いくらアンタの言うことでも、それだけは聞き入れられませんね」


 それが、数分ラグナを待たせた末のライザーの返事だった。当然、こんな返事を受けたラグナはふざけるなと激怒────しかけたが、既で拳を固く握り締め、なんとか堪えた。


 ──落ち着け。平常心、平常心……!


 そもそも顔も上げずに返事したこと自体も許せなかったが、今自分は冷静でいなければならない。そう己に言い聞かせて、沸々と込み上げる憤りを抑えつつ、あくまでも平静を装いラグナは口を開いた。


「一年前、負けた方が『大翼の不死鳥フェニシオン』を出てくって決めて、お前はクラハに勝負を挑んだ。そんで、お前はその勝負に負けた。……そうだったよな、ライザー?」


 確認するようにラグナはそう訊ねるが、ライザーは何も答えず、顔を俯かせたままだった。けれど構うことなく、ラグナは続ける。


「昨日のあれがクラハに対する仕返しのつもりだとしたら、ただの逆恨みだ。クラハは何も悪くない。それがわかんねえ程、お前だって子供ガキじゃねえだろ。なのに謝れないってのか?そんなにくだらねえ自尊心プライドが大事だってのか?……どうなんだよ、ライザー」


 まるで諭すように言葉をかけるラグナだが、それでもライザーは頑なで、依然黙り込んだまま、その顔を上げようともしない。


 ──埒が明かねえ……!


 まるで態度を改めようとしないライザーに、ラグナもいい加減鬱憤が溜まる。だが憤り、激情のままに言葉をぶつけたところで、ライザーの心が動くことは決してないだろう。


 だからとて、ラグナが引き退る道理などあるはずもなく。そこでラグナは追い詰められたように、断腸の思いである決断を下す。できれば下したくはなかった、その決断を。


 ──……こんなしょうもない手に、頼りたくなんてなかった。


 心の中で苦虫を噛み潰したようにそう呟き、躊躇いながらも。


「一つ、だけ」


 そして未だ迷いながらも、ラグナは────


「お前の言うこと一つだけ、何でも聞いてやる。何でもしてやる、から……」


 ────そう、ライザーに繰り出した。言って、ラグナはどうしようもなく後悔し、そして途轍もない自己嫌悪に陥ってしまう。


 ラグナとしては、本当ならばこんなまどろっこしい手段などに訴えず、一発殴り飛ばしてラグナの元にまで引き摺って、有無を言わせず謝らせたかった。というかそうしていたはずだった。……自分がこんな目などに遭っていなければ。まだ最強と謳われていた男だった時の自分であれば。


 だけど今の自分はずっと非力で、遥かに無力な少女で。そんなこと、到底できる訳もなかった。


 しかし、ラグナはどうにかしてでもライザーを謝らせたかった。病院の寝台ベッドで眠る羽目になったクラハに、どうしても謝ってほしかった。こんな、惨めで情けない手段を取ってでも。


 けれど、だからといって確実ではない。強制力も何もないこんな手段では、結局はライザー次第。彼がどう出るかで、決まってしまう。


 もはや後輩の為になることも満足にしてやれない。それが悔しくて、堪らなかった。


「……」


 そして肝心のライザーといえば、やはりというか顔を俯かせたままで。しかしそこでようやく初めて、彼は動きを見せた。


 だらりと下げていた手を上げ、顔にやり。そしてずっと閉ざしていたその口を────


「俺、わからないんですよねえ」


 ────ようやく開かせた。それを皮切りに、今まで黙り込んでいたのがまるで嘘だったように、ライザーは喋り出す。


「何だってアンタはそんなにもあんな奴に肩入れするのか、昔からずっとわからなかった。ずっと理解できなかった……ねえ、教えてくださいよ。どうしてなんです?どうしてそこまで、そうまでもしても肩入れしようとするんですか?ねえ?」


 それはさっきまでの沈黙からは想像もできない饒舌さで。ライザーは堰を切ったように言葉を捲し立てる。そのあまりの豹変ぶりには、流石のラグナも面食らい、気圧されてしまう。


 そんなラグナに対して、ライザーはさらに続ける。


「俺の言うこと、何でも一つだけ聞いてくれるんでしょう?だったら……答えてくださいよ」


 そう言って、ライザーはようやく俯かせていたその顔を再び上げた。やった手はそのままに、顔の半分を覆い隠して。


 金色の右目と指の隙間から覗く左目が、ラグナを鋭く睨めつける。その眼差しを前にしてしまえば、並大抵の者は恐怖に萎縮し、とてもではないが平気ではいられないだろう。


 だが、それにラグナが当てはまることはなく。ラグナは恐怖を抱き萎縮することもなければ、怯え臆することもない。


 その真紅の瞳に揺るがぬ決意と固い意志を依然宿しながら、ライザーの問いかけに対してラグナは答えようと口を開く。


「それは、クラハが……」


 が、しかし。ラグナはその途中で言葉を言い淀ませてしまう。果たして、それは言ってしまっていいものかと憚られ、迷ってしまう。


 ライザーは言葉を挟まない。また先程のように黙って、ラグナの言葉の続きを静かに待っている。またしてもこの部屋に、静寂が訪れた。


 ──本当に、俺はそう言っていいのか……?


 ラグナは迷う。悩む。こんな自分にそうだと口に出す資格なんてないと、己を罵る。


 ……けれど、それでも脳裏を過ぎる。その姿が、その顔が。そして、声が。




『先輩』


『先輩?』


『先輩!』


『……先輩』




 こんな自分をそう呼んでくれる声が、脳裏で響く。


 ──……ああ、そうだよな。やっぱり、そうなんだ。


 そこでラグナは観念したように、心の中で頷く。


 どれだけ資格がないと思っても、もはや相応しくないと思っても。


 一体どれだけ言い訳をしようと、重ねようと。やはりどうしようもなく、自分はそうでいたいと、そう在りたいと思ってしまうのだ。


 もう、こればかりは諦めようとしても────どうにも諦められそうにない。


『俺のことも好きに呼べばいい』


 昨日の朝、己でもどうすればいいかわからない不安とどうしようもない焦燥に駆られてしまい、自分勝手にも振り回してしまったことへの謝罪代わりにと告げたその言葉を思い出しながら、妙に落ち着いた心境でラグナはライザーに答えた。


「クラハが俺の後輩で、俺はクラハの先輩だからだ。それ以外の理由なんて、ねえよ」


 それがラグナの、何の言い訳もない本音と、何の偽りもない本心。これだけは絶対に譲れない。譲らせない。


 たとえ当の本人から、どう思われてようと──────関係ない。


「…………」


 返答が予想外だったのか、ライザーは再び黙り込んだ。けれど顔は俯かせず、その双眸でラグナのことを鋭く睨めつけたまま。


 そうして数秒が過ぎた、その時。


「……クク、ハハハッ!」


 突如、ライザーが笑い出した。彼の顔半分を覆い隠す手が離れ、宙へ投げ出される。


「いやあ、負けです。俺の負けですよ。……わかりました。クラハの元までの案内、お願いします」


 浮かべている仏頂面からは想像できない程の、いっそ不気味にさえ思えてしまう満面の笑顔と。そしてラグナが知る人間の中でも、最も人格に難があるライザーの口から出たとは思えないその言葉に、ラグナは思わず驚き、狼狽えてしまう。


「お……おう。ま、任せとけ」


 ──こいつにしては嫌に聞き分けがいいな……?


 そのことを不審がるラグナだったが、クラハへ謝罪してくれるのならばそれでいい。と、その時。申し訳なさそうにライザーが言った。


「ええ、はい。あ、その前にすみません。ちょっとこっちに近いてもらえますか?」


「は?そんくらいのこと、別にいいけど」


 ライザーの妙な頼みを奇妙に思いながらも、ラグナはそう返して数歩、前に出て。言われた通りライザーに近づく────その瞬間。


 ガッ──目にも留まらぬ速さでラグナの腕を、ライザーが掴んだ。


 声を上げる間も、驚く間すらもなく。ラグナはライザーに無理矢理引っ張られ────


「う、わぁっ?」


 ────そのまま、寝台ベッドの上に投げ飛ばされてしまう。そして何が起こったのか、ラグナが理解するよりも前に────ライザーがラグナに覆い被さった。


 呆然とこちらのことを見上げるラグナのことを見下ろしながら、浮かべていた笑顔を凶悪に歪ませて。互いの鼻先が触れ合いそうになる程顔を寄せ、ライザーが言う。


「んな訳ねえだろ、馬鹿バァカ

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