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お出まし(後編)

 止まることはないのかと、そう思わず危惧するくらいにはラグナの痙攣は続いて。しかし、物事の全てには等しく終わりがあるように、ラグナのそれも終着を辿る。


 もはや呻きにもならない、声と呼べない声を漏らして。身体の痙攣が止まったラグナは、そのまま完全に脱力してしまったように、寝台ベッドに沈んだ。


「……気ぃやって、気ぃ失ったか」


 淡々とそう独り言を呟いて。ぐったりとし、起き上がる様子など皆無であるラグナを、ライザーは俯瞰する。


 上から下まで。頭の天辺から、足の爪先まで。じっくりと、まるで舐め回すかのように。


 時間にしてみれば、数分のこと。そうして寝台に横たわるラグナの身体を眺め、ライザーは不意に片手を振り上げたかと思えば、そのまま顔へとやる。顔半分を覆い隠し、そして彼は天井を仰いだ。


 金色の右目と、指の隙間から覗かせる左目で。薄汚れたその天井を見つめながら、ライザーは呆然と振り返る。




『クラハに謝れ、ライザー』


『昨日のあれがクラハに対する仕返しのつもりだとしたら、ただの逆恨みだ。クラハは何も悪くない』


『クラハが俺の後輩で、俺はクラハの先輩だからだ。それ以外の理由なんて、ねえよ』


『絶対の絶対にお前をクラハに謝らせてやるッ!!ライザァァァアアアッッッ!!!!』




 それらの言葉を、今さらながらに振り返り。ライザーは独り言を吐き捨てる。


「クラハ、クラハと馬鹿の一つ覚えみたいに言いやがって」


 果たしてその声に含まれていたのは、嫉妬か。それとも────寂寥せきりょうか。それはライザー自身ですらも、わからない。


 顔半分を覆い隠していたライザーの手が、だらりと垂れ落ちる。それから彼は天井を見上げることを止め、再びラグナの方へとその視線をやった。


 感情を上手く読み取れない無表情を浮かべながら、ゆっくりとライザーは寝台に近づく。ラグナの元に、歩み寄る。


 その途中、またしても先程までの記憶を────ラグナに対して行った、己の仕打ちを、漠然とした思いで振り返りながら。


 ライザーの脳裏で想起されるのは──────あの、真紅の瞳。


 一体どれだけ屈辱を与えられようが。一体どれだけ恥辱を受けようが。一体どれだけ矜持を穢されようが。


 いくら謗られようと、いくら否定されようと。結局、変わることはなかった。それだけは、相も変わらず────元のままだった。


 今の自分はもはや女であると、これ以上にない程に。徹底的に教え込んでも。執拗に叩き込んでも。その瞳は元のまま、輝いていた。煌めいていた。透き通って綺麗によく見える奥底に、赤々とした炎を。鮮烈なまでに、美麗に逆巻かせていた。


 その勢いを少しも弱めることなく。僅かに鎮めさせることもなく。気を失う寸前の、最後の最後まで。


 ライザーはそれがどうにも、どうしようもない程に。受け入れられなかった。認められなかった。看過できなかった。赦せなかった。


 何故ならば。もし、それを受け入れてしまえば。認めてしまえば。看過してしまえば。赦してしまえば。ライザーは──────


 だから、ライザーはそうする訳にはいかなかった。そうなることを、恐れていたのだから。


 実のところ、知らず知らずの内に。ラグナは追い詰めていたのだ。先輩として後輩を慮る気持ちから、決して屈しはしないという姿勢を。無駄と嘲笑われ一蹴された、精一杯の抵抗を。それらをああして、最後の最後まで貫き通したことで、ラグナはライザーを追い詰めていた。彼に焦燥を抱かせ、その心から余裕を奪っていたのだ。


 ──俺は受け入れない。認めない。看過しない。赦さない。


 苛立ちによって、度を越して加速し続ける焦燥に駆られながら。それを必死に抑えようと、取り繕うことを試みて。だが到底それはできそうにないと、瞬時に諦めて。


 過ぎ去る秒の中で目紛しく変化する激情の最中、やがてライザーは辿り着く。寝台のすぐ側。この手を伸ばせば、未だ意識を手放しているラグナに届く、その距離にまで。


「……」


 ライザーは恐れていた。憧憬の消失を。目標の消滅を。


 だから、絶対にそうする訳にはいかなかった。だからこそ、それを阻止する為にライザーは躍起になっていた。


 ライザーは激しく、熱烈に欲していた。揺るがない事実を。覆せない現実を。だからこそ、言わせたかった。




『俺はラグナ=アルティ=ブレイズじゃない。私は彼とは全くの別人の、か弱い少女です』




 その姿で、その顔で、その声で。そう言ってほしかった。そうすれば、ああそうかと。そうなんだと。


 今自分の目の前にいるのは、。間違っても、己がこの限りある人生を費やし費やし、なおも費やし続けながら。ずっと追い求め、そして追い焦がれた人ではないと。憧憬の存在モノでも、目標の存在でもないと。そう、きっと思えただろうから。


 別人であるという事実を。その現実を。手にすることが、できただろうから。


 ……だが、しかし。返されたのは──────






『……クラハに、謝りやがれ……!』






 ──────という、まさに憧憬と目標そのものだった。


 あの時は、どうにかなってしまいそうだった。失望した、至って平静なので、精一杯だった。


 自分の憧憬が、目標が。こんな非力で、無力で、そしてか弱い存在になってしまったんだと。それが嘘偽りのない正真正銘の真実を帯びた、揺るがない事実と覆せない現実だと、眼前に突きつけられて。思考で理解させられた。


 追い求めた憧憬ひとは消失した。追い焦がれた目標ひとは消滅した。


 であれば、自分にはあと何が────残されているというのか。


「…………おい、おいおいおい。何だよ、まだ残ってたじゃねえか」


 数分黙り込んでいた後に、不意にライザーがそう呟く。呟いて、だらりと力なくぶら下げていた腕を、ゆっくりと振り上げる。


「けど、さあ……だからって、こんなのはあんまりだ

 ……本当の本当にあんまりだあ。もはやこれしか残されてないとか……いや、本当に……ハハ、ハハハ」


 気がつけば、先程まで無表情だったライザーの顔には、笑みが浮かんでいた。だがそれは狂った人間の、壊れた笑みであった。


「いらねえよ。こんなん」


 そうしてライザーは手を伸ばす。ゆっくりと、ラグナへと。ラグナの、股間部辺りの生地が色濃くなって、その上若干の湿り気を帯びている、ショートパンツへと。


「でもなあ、いらないからってただ捨てんのもつまんねえからなあ。どうせ捨てんなら、もう元通りに戻せないくらいに……壊す。壊してやる」


 そしてライザーの手が届く────────直前。






 バガァンッ──凄まじい音を立てて、この部屋の扉が吹っ飛んだ。扉は宙を泳ぎ、吹き飛んだその勢いのまま、壁に激突して。そして無惨にもそこら中に亀裂を走らせ、扉は木っ端微塵に砕け、その破片が床に散らばった。






「……やっとかよ」


 ラグナのショートパンツにかける直前で手を止めて、呆れたようにライザーはそう呟くと。


 ニイッ、と。口元を酷く歪に吊り上げ、より一層笑みを壊して。ゆっくりと、背後を振り返って。


「ようやっと、お出ましかよ」


 闖入者へ、歓迎の意を込めた言葉を投げつけた。

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