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ただのラグナ

「ということで、今日から『大翼の不死鳥フェニシオン』の受付嬢が一人増えるわ」


『大翼の不死鳥』の受付嬢たちが主に利用する休憩室にて、三人の受付嬢を集めたメルネは彼女らにそう告げた。それに続くようにして、メルネの隣に立つラグナが小さく頭を下げ、それから少しだけ怯えが混じった気まずさを漂わせながら、その口を開かせる。


「今日から一緒に、ここの受付嬢として働かせてもらうことになった、じゃあなくて。な、なりました。ラグナだ……です。その、えっと……よろしく、お願いします」


 とまあ、誰がどう聞いても、普段から使うことがないのだろうと。否応にもそれが明白に伝わる、不慣れな敬語でのラグナの自己紹介。初々しくたどたどしいそれを受けた三人の受付嬢たちは、皆困惑したようにそれぞれの視線を交わした。


 この場面、私たちは一体どういった反応を返すのが正解なのだろうか────という、彼女たちの心の声が聞こえてきそうである。


 ──まあ、そりゃそうだよな。


 あくまでも顔には出さないよう、そう思いながら心の中で嘆息混じりに呟くラグナ。実のところ、ラグナ自身こうなるのではないかと薄々不安には思っていた。


 嘗ての面影などまるでない。しかし、だからとて過去は変わらないし、事実が覆ることなどあり得ない。そう、今の自分はこんな有り様であるが────世界最強の一人だった。『炎鬼神』の通り名を持つ、冒険者組合ギルド大翼の不死鳥フェニシオン』に所属する《SS》冒険者ランカーだったのだ。


 無論、その過去と事実はこの三人の受付嬢たちも知っている。知っているからこその、この様子なのだろう。


 世界最強の一人だったはずの、『炎鬼神』の通り名を持つ《SS》冒険者だったはずの者が。ある日突然、いきなり自分が所属する冒険者組合の受付嬢になって働くというのだから。そんなの質の悪い冗談か何かとしか思えないだろう。というか、そう思われるのが当然で、そう思われても仕方のないことなのだ。


 如何ともし難いこの気まずさの最中、居たたまれない気分に陥ったラグナが辛抱堪らないでいると。場の雰囲気を見兼ねたのか、困惑の所為で口を開けず未だ一言どころか一声すらも出せないでいる受付嬢たちへ、メルネがこう言った。


「貴女たちにも色々と思うところがあるのはわかるわ。けど、それでも認めてほしいの。何も言わずに、今だけはラグナのことをどうか受け入れてほしいのよ」


 それはメルネの誠実さがこれでもかと伝わる懇願。しかし、それでも受付嬢たちが返すのは困惑故の沈黙で。だが、数秒の間を置いて。


「ま、間違いないですよね?その女の子……い、いえその方があの、あのブレイズさんなのは。世界最強の《SS》冒険者ランカーの一人で、『炎鬼神』と畏れられていたあの、ラグナ=アルティ=ブレイズさんということは……間違いないんですよね?」


 ようやっと、一人が今まで閉ざしていたその口を開き、そう言った。まさにおっかなびっくりと表するに相応しい言葉と態度だった。


 果たして、それを喉奥から絞り出し、そうして口から吐き出すことに。この受付嬢は一体どれだけの葛藤と躊躇を必要としたのだろうか。ラグナはそれが気になり、そして申し訳ないと思う。


 メルネはというと、ほんの少しだけ迷ったものの、まるで意を決するが如くその口を開かせ答える────その直前。


「ああ、そうだ」


 当人たるラグナが、それを遮った。その問いかけを発した受付嬢の言葉を、ラグナは堂々と肯定してみせた。


「さっきも言った通り、俺はラグナ。ラグナ=アルティ=ブレイズだ。……でも、ラグナだ」


 ラグナの言葉が部屋に響く。受付嬢たちも、メルネも。その全員が口を閉じ、何も言えないでいる最中。そんなラグナの言葉だけが、淡々と静かに響き渡っている。


「世界最強でもないし、『炎鬼神』でもないし……もう《SS》冒険者でもない。見ての通り、今の俺は非力で無力で弱い、ただのラグナなんだ」


 伝わる。痞えないように懸命に。必死になって、その言葉一つ一つを今ラグナは紡いでいるのだと。これでもかと四人には伝わる。


「俺のこと、お前たちが気に入らないってのはわかってる。嫌がってるのも理解してる。当然だよな、いきなりだもんな。俺、元は男だもんな。……でもさ、それでもさ。働かせて、ほしいんだ」


 故に、口を開けない。挟めない。止めることなど、できない。彼女らはただ黙って、ラグナの言葉を聞くことしかできない。


「こんな俺にでもできることがしたいだけなんだ。ただのラグナにでも、できることがしたいだけなんだ。だから、だから……」


 四人が見守る中、ラグナは言葉を続けた。


「お願いします。俺を『大翼の不死鳥フェニシオン』で働かせてください。一緒に働かせてください」




 そしてラグナは三人の受付嬢たちに────────頭を下げた。




 ──……駄目、か。


 頭を下げたまま、ラグナは苦い表情を浮かべる。自分は言った。自分は吐いた。隠すことなく、誤魔化すことなく。できるだけ正直に、そして誠実に。今の今まで心の奥に押し込んでいた劣等感塗れの本音をありのままに吐き出した。


 けれど、そうしても。それが人に届くことはなかったようだった。その証拠に受付嬢たちからは────────






「そっ、そんなことないですよ!!」






 ────────気がついた時には、ラグナはもう顔を上げていた。


「そうですよブレイズさん!自分のことをそこまで卑下しないでください!」


「あなたは今でも『大翼の不死鳥』の《SS》冒険者ランカー!私たちが知っている、私たちの『炎鬼神』!ラグナ=アルティ=ブレイズさんなんですっ!」


 まるで今まで黙っていたのが嘘のようだった。感情が爆発でもしたかのように、閉じていたその口を開き、三人の受付嬢たちは慌てた様子で口々に、焦った風に次々とそう言う。


「え……」


 そんな彼女たちを前に、ラグナは思わず呆然としてしまった。


「じゃ、じゃあ何でずっと黙ってたんだ……?」


 ラグナとしては、その問いかけは純粋な疑問からのものだった。気に入らないから、受け入れ難いからだと。だから彼女たちは黙り込んでいたのだと、ラグナはそう思い込んでいたのだから。しかし、彼女ら曰く別にそういった訳ではないらしい。


「そ、それは……そのぉ」


 困惑の疑問符を浮かべるラグナへ、受付嬢はそんな風に濁した言葉を返す。それから助け舟でも求めるかのように、隣の二人の受付嬢らへ視線を流した。


「……」


「…………」


「………………えっ」


 結論から言うと助け舟が出されることはなかった。受付嬢が流した視線は、受け止められることなくそのまま向こうに流されたのである。


 予期せぬまさかの裏切りに、信じられないと堪らず声を漏らす受付嬢。そんな彼女を依然見つめるラグナ。そして部屋は再度沈黙と静寂に包まれた。


「ああ、あのぉ……えっと、えっと、ええぇっと……ですね?……は、あはは……はぁ」


 言うなれば、それはもうどうしようもないだと。諦めの境地に至り、悟った者の言動であった。今もこうしてラグナに見つめ続けられているその受付嬢は疲労困憊の様になって顔を俯かせたかと思うと。やがて小さな声で何かを呟く。


「…………す」


 だがそれは、本当に小さな声で。故にラグナはそれを聞き取れず。


「は?」


 と、ラグナが呟いたその瞬間。受付嬢が何やら息を深く吸い込んだかと思えば──────────











「ブレイズさんがぁ!あまりにも、あんまりにも可愛過ぎたからですぅぅぅぅぅううううううッッッッッ!!!!」











 ──────────という、己の欲望おもいの丈を力のあらん限りこの場でぶち撒けた。

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