しかし、まあ。そうなって当然というか、そうなるのが必然というか。寧ろそうなる他にないのではなかろうか。
「ど、どうですか?ブレイズさん、私の気持ち……私のこの想い、きちんと全部あなたに届きましたか……?」
『
……まあそんな。ある意味一途で真摯な、一世一代とも辛うじて、奇跡的に捉えられるであろうシシリーの告白を。不幸にも、不憫にも受けてしまったラグナの反応だが。
嫌悪、忌避、そして恐怖────そういった様々な感情が入り混じって乱れる、一言などでは到底言い表すことができない血の気の引いた青褪めたその表情。
まるで意味のわからない
僅かばかりに震えてしまっている、引き攣ったその口元。
そう、誰の目から見ても。今のラグナは────
「……さっきからずっと、何言ってんだお前……?」
────シシリーに対し、これ以上にない程にドン引いていた。
「え、ええッ!?そんなっ、私何故かこれ以上にない程にドン引かれてるッ!?な、何でっ……?一体、どうして……っ?」
残念だが当然。こうなって然るべき事態。……のはずなのだが。恐らく自分が思っていたのと百八十、否もはや二周して五百四十度違う態度と反応を取られ、焦燥感をだだ垂れ流しながら、シシリーは驚愕を禁じ得ないでいる。
「わ、私何か言っちゃってましたかブレイズさんが怖がるようなこと?ちち、違うんです違うんですよ?ブレイズさん?私は別に、ただブレイズさんの為を思って、ブレイズさんの為と思って────
スパァンッ──まさにその瞬間のことだった。恐らく迫り来る焦燥とそれに伴う動揺から、もはや何が言いたいのか、何を主張したいのか全くもってわからない言い分を口走り始めたシシリーの頭を。彼女の左右に立つ二人の受付嬢が、全く同時に叩いたのだった。それも割と容赦なく。
────あ痛ったぁあッ?!」
「ちょっとぉ!いきなり何するのぉ!?」
が、そんなシシリーの講義の声に対して返ってきたのは────
「それはこっちの台詞だわっ!!!」
「シシリー、アンタ何考えてんの!?馬鹿なの!?死ぬのッ!?」
────二人の受付嬢たちによる非難
「シシリーッ!いくらどうしようもなかったからって、もっと、こう!他にやれることあったでしょ?他にもっとマシな奴あったんじゃあないの?なにもあんな暴走することなかったんじゃない、のっ!?」
「は、はあッ!?何、何なのその言い分ッ!私はただ己の胸の内に秘めていた、ブレイズさんへの想いを打ち明けただけだよっ!?」
「アンタのさっきのはただのろくでもない
「え、ええええ!?ろ、ろくでもないってどういうこと!?酷いよ、クーリネア!フィルエット!」
「「アンタが一番酷いッ!!!!」」
……ぎゃいぎゃい、と。ラグナとメルネの前にも関わらず、各々の言い争いを勝手に白熱させ、身勝手にも続ける三人の受付嬢たち。そんな彼女たちを眺めながら、メルネは心の中でポツリと呟く。
──私はさっきから、一体何を見せられているのかしら……。
「も、申し訳ありません!本当に、誠に申し訳ありませんでしたラグナ=アルティ=ブレイズ様ぁッ!!」
「私共の同期がこのような粗相を、とんでもない過ちをぉ!!」
と、今すぐに自害でもしかねない勢いで謝罪し始めた。
「…………えっ。あ、いや……」
誰も予想だにしていなかったシシリーの狂行により、ひしひしとした恐怖感を否応にも抱かされ。怯えながら目の前の現実から意識を遠去けようとしていたラグナだったが。そんな二人の受付嬢による凄まじく猛烈な謝罪が、ラグナの意識を現実へと引き戻す。
「重々、これが決して許されることはない蛮行であることは私共も重々承知しております……ですが、ですがどうか!御慈悲をっ!シシリー=クレシェンに寛大な御慈悲をォォォオオオッ!!」
「じ、慈悲?」
「この子はこれでも良い子なんです!頭がちょっと、アレなだけで!ブレイズ様への憧れが過ぎてるだけで!あんなでも、根は良い子なんです!!」
「ちょ、まっ」
二人の受付嬢────クーリネア=アヴァランとフィルエット=パマヌアスの謝罪の勢いに、ラグナは完全に追いつけていない。しかし二人はそれでも構わず、『
「すみませんブレイズ様!」
「申し訳ありませんブレイズ様!」
「「本当にすみません!!本当に申し訳ありません!!」」
恐らく、いや絶対。二人のこの謝罪は、ラグナがシシリーに対して赦しを出すまで止まらない────そのことを遅ればせながら理解したラグナは、無理矢理に口を挟んだ。
「わ、わかったわかったって!もういい!いいから!だからその、一旦黙ってくれ!」
慌てたラグナの言葉に、クーリネアとフィルエットの二人は即座に口を閉じる。一瞬の静寂が流れた後、半ば呆れた様子でラグナは嘆息し、続けた。
「さっきから寛大とか慈悲とか……お前らは悪魔だとでも思ってんのか、俺のこと」
と、ラグナが少々心外そうな態度で訊くと。クーリネアとフィルエットは申し訳なさそうに共に目を伏せ、そしておっかなびっくりに答える。
「い、いえ滅相もありません。そのようなことは決して。……ですが、シシリーのしたことを思えば」
「正直、殺されても文句は言えないですし……」
二人の答えを受けて、ラグナは複雑そうな表情を浮かべる。
──……あー…………うん。
まあ、確かに。本音を言ってしまえば多少の精神的なショックは受けていて、それは未だに抜け切っていない。だが無論、だからといって殺したい程までの怒りなど感じてはいない。というか、寧ろ────
少しだけ迷いながらも、もう一度小さく嘆息して。それからラグナは口を開いた。
「シシリー=クレシェン……だよな?名前」
二人の同期に庇われ、擁護され。ままならないこの気まずさの最中、ばつが悪く後ろめたそうな表情で。さながら審判を受けている被告の如く、その場に突っ立つシシリーに顔を向けて。
「っえ?あ、はは、はいッ!そうです!私はシシリー=クレシェンですッ!」
突然ラグナに名前を呼ばれたシシリーは、狼狽えながらもラグナの言葉を肯定する。時間が経ち、だいぶ間が過ぎたことで。あの常軌を逸した興奮が冷めに冷め切り、遅れて自分がしでかした事の重大さを理解し、そして自覚したのだろう。さっきまでの無敵ぶりがまるで嘘だったかのように。今、彼女はラグナに対して完全に怯え竦んでしまっていた。
そんなシシリーを見やって、ラグナは心の中で堪らず呟く。
──俺が悪い訳じゃないよな……?なのに、何で俺が悪いことしたみたいな感じになってんだ……?
己の胸の内に徐々に広がりつつある、謎の罪悪感。ラグナがそれを感じる必要性は全くの皆無なのだが、ラグナの性分というか生まれ持っての心根というか。ともかく、そういったものの所為で感じてしまうのである。
得も言われぬ居心地の悪さの最中、それでもラグナは口を開き、依然ビクビクとこちらのことを恐れるシシリーに訊ねた。
「まあ、とりあえずさ……別にお前は俺のこと気に入らないとか、認めたくねえとか。そういう訳じゃないんだよな?」
「そそそそ、そぅです!勿論、当然!ブレイズさ……様!をみみみ、認めないだなんてっ、そんな恐れ多過ぎる大それた愚行、この私めにできようありません!できっこありませんッ!!!」
「…………」
つい先程までのシシリーの行いの全てを鮮明に、こと細やかに思い出しながら。どの口が言ってんだ、とラグナは彼女に言いそうになるのを堪え、それを飲み込んだ。そして至極平静な風を装って、彼女に言い聞かせる。
「落ち着けよ、シシリー。俺は怒ってねえから」
「すみませんすみませんすみませんすみませんでしたぁぁぁぁ……って、え?お、怒ってないんですか……?」
「ああ。怒ってない」
「え?ええええ!?ほほほ本当ですかそうなん「まあだからって平気な訳でもねえけどな」…………それは、その……本当にすみませんでした……」
都度、その態度を一喜一憂に目まぐるしく変化させるシシリー。そんな彼女のことをラグナは仕方なさそうに、目を逸らし細めて、閉じた。そうして、まるで観念したかのようにポツリと────
「だったら、いい」
────そう、小さく。頬に僅かばかりの朱を差して、ラグナは呟くのだった。
一瞬の静寂がラグナとシシリーの間を横切って。
「……ふへ?」
数秒後、ようやっと呆然とした表情を浮かべ、とてもではないが信じられないように。シシリーがそのような、素っ頓狂な声を漏らすと。ラグナは閉じていた瞳を思い切り見開かせ、まるで場の雰囲気を誤魔化すように叫ぶ。
「だ,だから別にいいって俺は言ってんの!もう二度は言わねえっ!……から、な……」
だが言葉に勢いがあったのは最初だけで、最後の方は尻窄みになって消え入りそうな声になって、ラグナは恥ずかしそうに言い終えた。その顔もまた、先程は頬に僅かな朱が差す程度だったが。それも今やまるで燃えているかのように真っ赤に染め上がっていた。
遅れて、辿々しい口調で。躊躇いを見せつつも、シシリーが恐る恐るラグナにこう訊ねる。
「ぶぶ、ブレイズ様……ぇぇえええっと、そ、そそその御言葉はゆる、赦し……である、と……私は解釈しても…………よろしい、のですか……?」
シシリーの問いかけに対して、ラグナは依然赤い顔のまま。ぎこちなく、ゆっくりと。さっき言った通り何も言わずに小さく頷くだけで。しかしそれだけの動作でも己の意はシシリーに伝わったようで。
「ほっ……本当ですかぁぁぁああああ……ッ。ぅはあぁぁぁぁぁ…………」
そのシシリーの一言は極限の恐怖と緊張から解き放たれた安堵に満ちていて、そして肺にある空気全てを絞り出す勢いで凄まじいため息を吐きながら、彼女はその場に崩れるように座り込んだ。そんな彼女に、ラグナはふと思い出したように慌てて続ける。
「あ、でもさっきみたいなのは勘弁な。マジで」
「はぃぃぃぃ……以後気をつけます、ブレイズ様……」
「……それとな」
ラグナの苦言に対して、即座に、そのように返事するシシリー。だがそれを聞いたラグナは複雑な表情を浮かべて、それからまるで特に大したことでもないかのように。それこそちょっとした雑用を任せるくらいの気軽さで。
「さん付けとか様付けとか、堅っ苦しいのは止してさ。俺のことは普通にラグナって呼んでくれ」
胸を手で押さえ、まるで限界を超えて全力で運動した後のように肩を上下させるシシリーに頼んだのだった。
「了解です。承知しましたブレイ……って、ええええええ!?」
不意打ちと言っても過言ではないラグナからのまさかの提案に、最初こそ平然と受け答えたシシリーだったが、数秒遅れて彼女は堪らず相手の耳を劈かんばかりの驚愕の声を上げる。そしてそれを近距離から、しかもいきなり聞かされたラグナも堪らず眉を顰めさせた。
「お前、色々と忙しい奴だな……俺、何か叫びたくなるようなこと今言ったか?」
と、非難半分疑問半分の言葉をぶつけずにはいられないラグナへ、だがシシリーはさっきと全く同じ声量で言葉を返す。
「いいい、言いましたっ!仰られましたよっ!ぶ、ブレイズ様をし、下の御名前でっ!そのいと尊き過ぎる御尊名で、それも敬称も付けずによよよ呼ぶだっ、なんて!そんな、あまりにも末恐ろしい無礼な真似……このシシリー=クレシェンにはできませんよぉおおおおおッ!!」
「……えぇ……?」
顔面蒼白で命を燃やさん勢いでそう叫ぶシシリーを目の当たりにして、ラグナはなんとも言えない微妙な表情になりながら、それと全く同じ感情が込められた呻き声を漏らす。
『ブレイズさんがぁ!あまりにも、あんまりにも可愛過ぎたからですぅぅぅぅぅううううううッッッッッ!!!!』
その一言を始めに次々と、先程のシシリーの数々の行いがラグナの脳裏を過ぎる。そしてそれが終わった後、ラグナは心の中でこう呟かずにはいられなかった。
──もう今更じゃね……?
或いは、故にだからこそなのだろうか。弾けて、先走って、暴走して。その全てが終わった後で自らの過ちを正しく理解し、そして受け入れた今だからこそ。それ程までにシシリーはラグナの提案を是としないのか。
そこまで考え、半ば呆れて嘆息しながらも、未だできませんできませんと連呼するシシリーに。ラグナが仕方なく、
「そっ……そうですよブレイズ様!」
「シシリーの言う通りですっ!」
今の今まで、ラグナとシシリーの会話を黙って見守っていたクーリネアとフィルエットが。何故かここに来て、突如として二人の会話に割って入った。
「は?」
予想だにしない出来事に、ラグナは目を丸くさせずにはいられない。そんなラグナへ、畳み掛けるようにして二人が続ける。
「流石にそれは……過ぎた温情ではないかとっ!」
「正直に言って……情状酌量の余地があり過ぎるのではないかとっ!」
「度を越した容赦なのではないかとっ!」
「身に余る慈悲なのではないかとっ!」
言いながら、クーリネアとフィルエットの二人はラグナとの距離を詰め、ゆっくりと迫る。
「ちょ、ちょ……っ」
ちなみに、今この場にいる全員の中で、一番背丈が低いのはラグナで。そんなラグナからすれば、じりじりと詰め寄る二人から発せられる迫力というか、圧迫感は相当なものだった。
ダンッ──そして駄目押しとばかりにクーリネアとフィルエットの二人は一歩を強く踏み締め、息を揃えて力強く言う。
「「如何でしょうか、ブレイズ様ッ!!」」
思いもしなかったまさかの横槍に対して、もはやラグナの状況把握と処理能力は限界に差し迫っており。しかしそれでもなんとか抗おうと、ラグナは反論に打って出る。
「待て待て待て!ちょっと落ち着けよお前らっ!さっきは許してやれだのなんだの言ってた癖に!」
「そっ……それは!そうなんですが!」
「それはそれ!これはこれというものですっ!」
「はあ!?なんじゃそりゃあ!?」
やはり多勢に無勢。数の利を覆せず、クーリネアとフィルエットの二人にラグナは劣勢にならざるを得なく、そして二人の勢いを止められず押し切られてしまう────かに思えたその時だった。
パンパン──不意に。唐突に手を叩く乾いた音が部屋を貫いて。それはラグナとクーリネアとフィルエット、そしてこの状況に追いつけず呆けた表情をしていたシシリーの全員が。ある一方に視線と意識を向けるのに充分だった。
「はいはい。自己紹介……というよりは話し合いかしら。とにかく、いい加減もう終わりにしましょ」
一瞬にしてこの場の空気を一変させ、そしてまとめてみせた当人たるメルネ=クリスタはそう言って。自分の方に顔を向けた全員に対して、なんとも言えない苦笑いを浮かべた。
まず三人に
「全く……茶番も茶番、とんでもない茶番劇だったわね。ラグナには大変な迷惑かけちゃった」
それからメルネは背後を、正確には自分の背後に並んで立つ三人の受付嬢たち────シシリー=クレシェン、クーリネア=アヴァラン、フィルエット=パマヌアスの方へと振り返る。
「さて、と……まあ色々と言いたいことはあるけれど、これだけは先に言わせてもらおうかしら」
固く張り詰めた緊張の表情を浮かべる三人に、真剣な顔でメルネはそう言って────直後、
「三人とも、私のこんな無茶振りに応えくれて本当にありがとう」
そして、メルネは三人にそう礼を告げるのであった。