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崩壊(その四十六)

「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」


 ダンッダンッダンッダンッダンッ──ただひたすらに呟き。ただひたすらに刺す。このクラハの絵を買ったその日から始めて、今に至るまで。果たして、これで何回目だろうか。何回繰り返したのだろうか。


「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」


 ダンッダンッダンッダンッダンッ──しかし、もうどうでもいい。これで何回目だとか、何回繰り返しただとか、もはやどうだっていい。


「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」


 ダンッダンッダンッダンッダンッ──クライドには関係ない。例え何十、何百、何千、何万と繰り返そうが。彼にはもう、止められないのだ。止めようにも止められない。今更止まろうにも、止まることなどできやしない。


「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」


 ダンッダンッダンッダンッダンッ──そうして、また。その行為を終えたクライドはその絵を机上から払い、流れるようにまたしても足元へと手をやり。


「……」


 クライドの指先が、宙を掻いた。予期していなかったその感覚に、彼は無言のまま視線だけを足元に向け、そして思い知る。


『寄越せ。ありったけ全部、寄越せ』


 と言って、そこに無造作に積み重ねたはずの、あの紙の山は。いつの間にか、一枚たりともなくなっており。そのことに呆然とした疑問を抱きながら、ふとクライドは周囲を。部屋の中を見渡す。


 部屋の床は、その紙で埋め尽くされていた。その紙全てに、顔に穴を穿たれた人間が描かれており。それを目の当たりにしたクライドが、静かに呟く。


「どうしてだ……?どうして僕がこんな目に遭う……?どうして僕ばかり……?一体どうしてこの僕ばかり、剣聖の僕ばかり、『閃瞬』の僕ばかり、僕、僕、僕……クライド、シエスタ…………」


 人間、やることがなければ。他にやることもないのなら、誰にそうしろと言われた訳でもなく。こうして、自然と考えてしまう生き物だ。時間の許す限り、深く考え込んでしまう生き物なのだ。そしてそれは、クライドも例外ではない。


 良くないと。それは良くないことであると、クライド自身わかっている。それを考えれば考える程、その思考に囚われれば囚われる程に。


 心が歪み、腐り、潰える。そんなことは、他の誰でもないクライドこそが、一番わかっていた。


 だからこそ、こうしていたというのに。ほんの僅かな間であったとしても、思考を逸らし。はぐらかそうとしたというのに。


 だが紙は終わった。もうない。行為が止まった。もうできない。それ故に、クライドは考えてしまう。


「ブレイズさん……父上……クラハ=ウインドア……」


 そう呟く傍ら、クライドの脳裏で。唐突に、弾けた。






『……すみません』


『僕はこれで失礼します』




『俺の後輩に、何してんだ』


『言うことあるか?』


『潰す』




『素晴らしい。ではクライド、お前……これに見覚えはあるか』


、な?』


『見損なったぞ我が息子よ……よもや、お前ともあろう者が、そのような腐った世迷言を口にするとは……クライドッ!二年も見ない間に、こうも見下げ果てた男になるとはな!!』


『今のお前を見て、今し方の言葉を聞いて……私は決めたぞ』


『お前にはシエスタの家名を捨ててもらう。今後一切、お前がシエスタを名乗ることを私は許容しない。決して……決してな』






 それらの記憶が弾けて、散って、撒かれ、混ざって、合わさって。そうして、クライドの脳裏を侵食し、腐食させていく。瞬く間に精神が蝕まれ、歪まされ、挙げ句の果てにひしゃげて崩れて、壊れていく。


 嗚呼ああ。嗚呼、嗚呼どうすれば。一体どうすれば、一体どうしたら。この苦しみから抜け出せるのだろうか。自分は解放されるのだろうか。


 自分にはわからない。誰も教えてくれない。故にだからこそ、己は救われない。報われることのない、被害者なのだ。


「僕は……この僕は……」


 そうして、不意に。まるで他人事のように、クライドは脈絡もなく思う──────────部屋に落ちている紙、この宿屋ホテルの従業員に捨てさせないと、と。


「……………………捨て、る?」


 瞬間、クライドの思考が跳ねる。まるで雷にでも打たれたかのように、彼の思考が爆ぜる。


「捨てる、捨てる、捨てる……?捨てる。捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる……………………あ、は……はは、ははは……」


 それがまさに、一寸先すら見えぬ闇の最中に。一筋の弱々しい、けれども比にならぬ程に凄まじい光明が差した瞬間に他ならず。


 濁り澱んでいたクライドの瞳が、途端に生気が灯る。その勢いが秒刻みに増す毎に、彼は震える声で呟く。


「そうか……そうだったか……は、は、そうだったんだ…………そうだったなぁ!ははははははっ!」


 クライドの瞳に灯るその生気に、言いしれようのない不穏さが滲み。それは瞬く間に誤魔化せない怪しさと、無視できない危うさへと転じ。


「よく考えればわかることだった。よくよく考えてみれば、当然のことだったじゃあないか!?、荷物は多ければ多い程重いし苦しいし辛いのは当たり前だよな……そうだよなあッ!?あははははッ!!」


 そして爛々とした輝きへと成り果てた。そのことに気づかないまま、自覚してないままに。裂けて血が出るまでに、その口端を吊り上げて。クライドは笑う。笑い続ける。


「あはッ!はははっ、ははッ!だったら、だったらぁ!そうだったらあッ!捨ててしまおう!!そうしたら、もう重くない!苦しくない!辛くない!ない!ない!ないッ!!はははははははッッッ!!!」


 父、カイエルがそうしたように。彼がそうすると決めたように。息子であるクライドもまた決めた。そうすると、彼は決めた。


「はは、ははは……いらない。いらないいらないいらないいらないいらない……もういらない。全部いらない!もう捨てよう!全部捨てよう!剣聖、『閃瞬』、家名シエスタ……捨てようじゃあないかッ!?そうだ、僕にはもうこれ一つあればいい……これだけでいい……!」


 と、歓喜と瓜二つの、しかし根本的に、もはや本質的には全く違う類の。目にする者全てに嫌悪と忌避、そして恐れを抱かせる、満面の笑みを以て。クライドはそう叫ぶや否や、椅子から飛び跳ねるように離れ。床の紙の一枚を手に取り、それを頭上へと掲げてみせる。


「これさえあれば……これさえあるなら。それで僕はこの僕だ!あはッ!あはははははッ!あッははは!ははははッ!ははははははッッッ!!!」


 そうして、クライドは笑い。大いに笑い、いつまでもずっと、そうやって笑うのだった。

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